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アジアの苦悶を象徴するミャンマーの政変とは

The world must get behind Burmese protesters fighting against military rule

(ミャンマーの軍事政権への抗議活動には世界が呼応する)
― New York Times より

民政と軍事政権のアンバランスが生み出したミャンマーの政変

 アウンサン・スー・チー氏の身柄を拘束し、軍事政権がミャンマーに復活したことは、諸外国に大きなショックを与えました。
 今、隣国のタイも事実上、軍政下におかれています。東南アジアの情勢が以前とは大きく変わってきているように思えます。
 
 フィリピンでドゥテルテ政権が誕生し、麻薬の撲滅をスローガンに掲げ、警察に強力な権限を与えたとき、アメリカはオバマ政権下にありました。オバマ政権がフィリピンでの人権問題にコメントしたとき、ドゥテルテ大統領は強力に反発し、アメリカとの関係が一気に冷却化したことを覚えている方も多いはずです。
 しかし、フィリピンの場合、実際はドゥテルテ政権への支持率が極めて高いといった事情がありました。それは、麻薬や賄賂が横行し、それを社会悪として取り締まる政権が過去になかったからで、民衆にとってドゥテルテ大統領は一種のスーパーマン的存在に映ったからです。
 
 しかし、今回のミャンマー情勢は、フィリピンや、長い間政情不安に揺れた末に軍事政権に移行したタイの状況とも異なっています。
 
 もともとアウンサン・スー・チー氏の率いる政権は、軍事勢力との妥協の上の微妙なバランスの中で成立した、政治基盤が脆弱な政権でした。
 アウンサン・スー・チー氏が民主化運動を展開したことで、長い軟禁生活をおくり、その後事実上の指導者になったあとも、軍部の実力者は自らの利権を享受し、民衆はその状況をシニカルに捉えていました。とはいえ、一応は民主化が進んでいるということで、日本やアメリカなど世界各国からの投資も進み、経済も少しずつ安定してゆくかに見えた矢先に起きたのが、今回の事件でした。
 
 ここで多くの人は、中国はミャンマーの軍事政権を支持して、アメリカなどに対抗するのではないかと思っていることでしょう。
 しかし、中国としては、この先ミャンマーがどのような方向にいくのか見極められない以上、軽率な行動に出ることはできないはずです。香港の問題を安定化させ、南シナ海での権益を、コロナの「ワクチン外交」などをうまく使いながら、血を流さずに拡大したいと目論む中国にとって、ミャンマーの政変は想定外のことだったのかもしれません。
 

地の利を得たい中国を阻むアウンサン・スー・チー氏の人気

 では、アウンサン・スー・チー氏は、単に民主化の旗手として人気があるだけなのでしょうか。
 
 彼女の人気の背景に、父親のアウンサン将軍の存在があることを忘れてはなりません。彼はミャンマーのイギリスからの独立を求める反英運動を展開し、一時アジアに進出してきた旧日本軍とも同盟を結びました。しかし、日本が結局アジア諸国を植民地化しようと目論んでいることに失望し、抗日戦線を展開。日本の敗戦後も、彼はミャンマー独立のために奔走した末に暗殺されたのです。アウンサン将軍の政治的な帰趨には様々な評価はあるものの、国民の間には彼とその娘のアウンサン・スー・チー氏とを結び付けて考える人が今でも多くいるのです。
 
 中国は確かに、ミャンマーを自国サイドに引き入れたいと思っているはずです。それは、中国がインド洋への出口としてミャンマーを捉えているからに他なりません。雲南省と国境を接し、昔から人の往来も活発であった両国が、もし軍事的にも同盟できれば、中国の天敵ともいえるインドを差し置いて、中国が目下利権を拡大中のアフリカへの道が、インド洋の向こうに見えてくるからです。
 
 台湾やベトナム、インドネシア、そしてフィリピンなど、利害関係が錯綜する南シナ海とは異なり、インド洋は中国にとって極めて波の低い公海のはずです。
 しかし、だからといって、ただミャンマーの軍事政権を公然と支持するわけにはいかないというのが、中国にとって頭の痛いところなのです。それは、アウンサン・スー・チー氏の人気の高さと、共産主義国家としての中国の建前とが微妙なブレーキの役割を演じているからです。
 
 日本は、極東の東の端の島国です。そこからアジア大陸に入れば、韓国や北朝鮮、そして中国までは、日本人と似た顔つきの人が多くいます。学術的には諸説ありますが、そこからさらに南にベトナムやカンボジア、タイへと進めば、人の顔の色は濃くなり、彫りもだんだん深くなります。そこは中国系の文化と南アジアの文化が交差する、まさにアジアの心臓部です。
 そして、そんな心臓部にあたるタイからミャンマーに入れば、人の顔は少しずつ変化します。ヤンゴンにつけば、すでにインドアーリア系の人々を多く見かけ、隣国のバングラデシュを超えてインドへとつながる民族の線が見えてきます。そしてインドから西へと行けば、中東の人々が今ではイスラム教徒としてヨーロッパ世界と対立してはいるものの、人の骨格や顔つきは地中海世界とのつながりを色濃く残しています。
 ミャンマーは、アジアの心臓部から少し西へそれ、インドアーリア語族の文化圏と交わってゆくちょうど接点にあたる位置に存在しているのです。
 
 そんなミャンマーであればこそ、20世紀中盤は日本とイギリスとがその地の獲得を巡って激しく対立しました。そして、アウンサン・スー・チーは、父親の死後インドやイギリス、そしてアメリカなどで生活し、来日したときは、父親の足跡を調査するなど、世界各地から戦前戦後のミャンマーのあり方を見つめてきたのです。
 彼女は、1988年ごろからミャンマーへ戻って政治活動を始め、度重なる軟禁生活を耐えて、ついに事実上の指導者となりました。
 
 しかし、彼女が最近ミャンマーの西部に展開するイスラム系のロヒンギャ族に対する政府の虐殺事件を黙殺したことなどで、世界から厳しい批判を受けたことも事実です。その背景にも、彼女の政権基盤が盤石ではなく、様々な妥協を強いられたのではという憶測が流れています。
 

ミャンマー、そして東南アジアの平和と安定への道のりはまだ遠い

 ミャンマーの事件は、戦後植民地から脱却した東南アジアをはじめとする、多くの国の道のりと酷似します。今回のことは、戦後経済的にも政治的にも過去の負の遺産と、その後の冷戦などの間で苦しんだ長い歴史の道のりが、まだ終わっていないことを象徴する事件といえそうです。
 
 であればこそ、中国も、さらに世界も複雑な思いでこの事件への対応に苦慮しているのです。民主化の英雄として脚光を浴びたアウンサン・スー・チー氏が、その後ロヒンギャ族虐殺への対応で非難を受け、その直後に政権を追われたという経緯は、その背景に相当複雑な内部の軋轢があったことを物語っています。
 
 ただ、今回のクーデターに抗議している民衆に軍部が発砲し、死者が出たことを世界が許さないことは事実でしょう。事件のあったマンダレーはミャンマーの古都で、丘の上には美しい仏教寺院がある平和な街でした。しかし、そこには戦争中に日本軍の本部が置かれた過去もありました。
 
 ミャンマーが仏教国として、平和を愛する人々の静かで豊かな国へと成長するには、まだ長い道のりが必要なのかもしれません。
 

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『英語で聞く 世界を変えた女性のことば』ニーナ・ウェグナー(著)英語で聞く 世界を変えた女性のことば』ニーナ・ウェグナー(著)
「世界を変えたい」と本気で願い、人々の心を、そして世界を動かした女性たちのスピーチを集めました。彼女たちの熱い願いを耳で聞き、目で読み、英語と歴史背景を学べる1冊です。タリバンに襲撃されても、女性が教育を受けることの大切さを訴え続け、2014年ノーベル平和賞を受賞した若き乙女マララ・ユスフザイを筆頭に、アウンサンスーチー、マザー・テレサ、緒方貞子、ヒラリー・クリントン、マーガレット・サッチャーなど、名だたる女性たちのスピーチを、雰囲気そのままに収録。

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