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忘却の彼方にある50年前の理想と大統領選挙

From 1957 to 1976, an extraordinary bus service operated between London and Calcutta, India. This remarkable journey spanned 32,000 kilometers and took 50 days to complete, making it the world’s longest two-way bus route.

(1957年から1976年にかけて、驚くべきバスがロンドンとカルカッタの間で運行していた。3万2千キロを50日かけて結ぶこのすごいバスは、世界で最も長い往復ルートだった)
― Chris Mathekaの記事 より

20世紀のシルクロードを行き来する幻のバスルート

 1週間前、アメリカの西海岸で、当時を知る出版社の経営者と打ち合わせをしたとき、表題のバスの話がでてきました。
 
 1957年から76年の間には、世界でいろいろなことが起きていました。時は冷戦時代の最中でした。
 中国では文化大革命の嵐が吹き荒れ、ベトナムではアメリカが介入することで、戦争によって多くの血が流れていました。アメリカはキューバ危機や公民権運動など、社会を揺るがす様々な事件が起きていました。社会現象に目を向ければ、戦後世代が若者の新しい文化を創造しつつありました。一時違法となりながら、最近アメリカで市民権を取り戻しつつあるマリファナなどが流行ったのもこの時代です。ビートルズが世界を席巻し、ヒッピー・ムーブメントに代表される既存の価値観に対する抵抗運動が世界に拡散していました。
 
 そんな時代、欧米にはないアジアの文化に憧れて、インドやネパールに向けて多くの若者が旅立っていました。この需要に応えるために、インドからヨーロッパまで3万キロ以上を走破して世界の様々な文化に触れながら旅をする国際バスが運行されていたのです。
 実は、お金のないヒッピー向けには、ネパールの首都カトマンズからドイツまでを結ぶ、いわゆるヒッピーバスも運行されていました。学生運動が先鋭化し、教育改革を求める学生が大学を占拠し、時には今でいうテロ事件などが発生する一方で、政治とは関係のないところで、理想郷を求める若者がこうしたバスのサービスを利用して20世紀のシルクロードを行き来していたのです。
 
 移動の自由は、彼らの活動領域を広げ、この波に押されるようにベトナム反戦運動などはアメリカの国際戦略そのものにまで影響を与えたのです。
 2024年現在、それはすでに58年前に途切れた幻のバスルートとして、ほとんどの人に忘れ去られています。
 
 学生の頃にネパールに旅をしたことがありました。航空券はバンコクまでなんとか飛んでゆけば、そこで転売される格安のチケットが手に入り、世界からやってくる若者は、そうしたチケットなどの情報交換をしながら、ネットワークを広げていました。カトマンズはドイツをはじめとするヨーロッパからの若者で溢れ、髪が長く麻づくりの粗末なシャツを着ている彼らと情報を交換すれば、そこからヨーロッパまでのバスの旅も可能でした。世界各地では紛争もあり、時には動乱もあったものの、バスに乗れば国境を越えることはなんら問題なかったのです。運賃を稼ぐために、ギリシャのオリーブ畑でのアルバイトを紹介するシステムまでありました。
 

かつての憧憬は過去のものに、そして時代は新冷戦へ

 冒頭に記した出版社のオーナーと彼の妻は、当時の時代の影響を受け、日本文化に興味をもったことから、今でも細々とそうしたテーマの書籍を出版しています。彼らは、トランプ氏が新しい大統領に選ばれることを心から恐れています。彼らの住むサンフランシスコ郊外の学園都市バークレーは、あの長距離バスのあった頃の記憶を持つ人々がいまだに集う、民主党の岩盤支持層が多数います。カマラ・ハリスもそうした時代の最後の一時期を共有しているはずです。
 
 彼らは言います。今、世界は昔の冷戦時代に逆戻りしようとしていると。しかも、あれから50年、科学技術は格段に進歩し、軍事のテクノロジーも当時とは比較にならないほどに変化しました。同じ紛争でも動乱でも、人々の憎しみや抑圧は過去とは比較にならないほど強くなり、そのことで、国境や一部の国の中を通行することは危険で、かつてのヒッピーバスの運行などはとてもできない有様です。インドからヨーロッパへの陸路は分断され、どのルートをとっても目的地に行くことはできません。中東の紛争、ロシアとウクライナ、さらには様々な地域でのテロ活動や政治的な封鎖によって、人の行き来の自由が奪われているのです。
 
 出版社のオーナーはすでに70代半ばを過ぎようとしています。
 彼は、トランプ氏が大統領になれば、こうした封鎖や抑圧がますます世界に拡大し、人々が住みにくくなるのではと心配しています。というのも、トランプ氏の掲げるアメリカ第一主義は、アメリカへの移民を締め出し、海外での紛争においても単純にアメリカの利益に基づいてその影響力を行使するはずです。ですから、ヒッピーバスなどはもってのほかで、世界は戦争の技術で管理され、偏狭なナショナリズムが横行するきっかけになるのではと彼らは心配しています。
 
 彼らが若者として生きた時代はすでに遠い過去で、世界の常識も変化しています。しかし、既存の価値観を無条件で受け入れるのではなく、批判の精神をもってそれを表現する自由がなくなりつつある世界に、我々が置かれているような気がするのは事実です。
 アメリカの大統領選挙は、トランプ氏とハリス氏が全く互角で拮抗しています。独特な選挙制度を持つアメリカでは、どこの州で勝利するかによって勝敗が決まります。そして、お互いの支持率が拮抗する場合、票の獲得数(popular vote)ではハリス氏が勝っても、拮抗する重要な州での敗北が選挙そのものでの敗北につながるのではと予測する人が多くいるのです。これが、私の知人たちの心配となっているわけです。
 

アメリカ大統領選挙の行方が、世界を変える

 アメリカが変化すれば、世界が変化します。
 自由と民主主義の旗手を標榜するアメリカで、アメリカの利益のみを優先するトランプ氏が選出されれば、あのインドとヨーロッパを繋いでいたバスルート上で、さらに多くの分断がおき、昔の夢がますます過去のものになりそうだと思えるのは、あの出版社のオーナー夫妻だけではなく、多くの人が憂慮する皮肉な事実であるといえましょう。
 

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