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ウクライナ問題の背景に見えるプロテスタンティズムのビジネス観

Business is business. Nothing personal.

(ビジネスはビジネス、個人的なことではないさ)
― アメリカの格言 より

「戦争はビジネス」という視点を宗教改革から振り返ると

 これはアメリカでよく使われる言葉です。
 “Nothing personal. It’s strictly business.” ということもあります。
 
 世界情勢を考えるとき、日本人が最も誤解しやすい点がこの一言の中に隠れています。
 以前、海上自衛隊のある幹部との夕食で、第二次世界大戦の話題が出たことがありました。そのとき、相手の方はどうしてアメリカと戦争にまでなったのか今でも不思議だ、と私にコメントしました。そこで私は単純に、「アメリカはビジネスとして日本に勝ったのですよ」と言ったのですが、彼にはその真意がなかなか伝わりませんでした。皆さんはどうでしょうか。
 
 実はこの問いへの答えを見ると、そこにウクライナをめぐるロシアとアメリカとの対立の背景までがあぶり出されます。少々回りくどくはなりますが、「戦争はビジネス」という、あまり道徳的ではない言葉をあえて使って、この課題を分析してみたいのです。このことが国際情勢を分析する上での大きな視点となることを解説したいと思います。
 
 昔の話になりますが、1517年にルターが宗教改革を始めたことを歴史で学んだ人もいるでしょう。ルターはローマ・カトリック教会が神と個人との間に介在し、そこに君臨するのはおかしいと抗議をしたのです。つまり、神と個人とは直接信仰でつながるべきで、その間にどんな権威も権力も存在して特権を享受するべきではないと唱えたのです。その抗議が、当時ローマ教皇庁の権威を煙たがっていた諸侯に支持され、宗教改革の嵐がヨーロッパ中に広がったのです。こうしてできあがった新教を信じる人々が、プロテスタントでした。
 この結果、プロテスタントは、オランダやイギリスを変革し、旧大陸で迫害された人々は新大陸へと移住し、アメリカという国家が誕生しました。つまりアメリカ人の意識の原点は、プロテスタントとしての信仰のあり方や行動原理に収れんされるのです。世界中からの移民も、アメリカ社会に馴染むに従って、思想信条や信仰こそ違うものの、その影響を強く受けてゆくのです。
 

プロテスタントの行動原理からウクライナ問題を考えると

 では、プロテスタントの人々の行動原理とはどのようなものでしょうか。
 それは、個人が信仰を持ち、直接神とつながっている以上、個人の行動はどんな制約も受けず、自己の責任で自分の幸福を追求することができるという考え方です。言い換えれば、仕事をして富を得ることは悪いことではなく、ビジネスを追求することは個人の当然の権利だという考え方へと定着してゆくのです。
 この意識がイギリスやアメリカが経済大国として発展する原点となりました。そして、その過程で彼らはビジネス的な行為をより効果的に実践するために、個人的な感情とビジネスでのやり取りとを分離するようになったのです。「ビジネスライク」という言葉があるように、仕事相手が個人的に好きであろうとなかろうと、ビジネスはビジネスとして実践されるのです。
 
 この考え方は、国の政策の実行や、軍事行為などにも浸透します。つまり、外交的な駆け引きや経済的活動は、あくまでもゲームのようなビジネスライクな行為で、個人の好悪や感情に左右されるものではないわけです。
 ですから、戦前に中国などでの利権を巡って日本とアメリカが対立したときも、アメリカはビジネスとしてその駆け引きに勝利しようとしたわけです。しかし、日本側は違っていました。制度として経済や政治軍事活動のノウハウは欧米から吸収したものの、プロテスタントの意識を原点とするビジネスライクなものの考え方は持てませんでした。これが、日本人としての感情を煽り、ロジックの上で勝利することが不可能な戦争へと駆り立てたのです。その結果、敗戦を通して、日本はアメリカの経済圏に見事に組み込まれます。アメリカは戦争を通して日本に投資し、それを回収して余りあるビジネス的な恩恵を享受したわけです。
 
 この方程式はウクライナ問題にも当てはまります。ウクライナの問題をアメリカから見た場合、ウクライナがNATOやEUに加盟することを表明するまでになったのは、西側諸国によるビジネス上の戦略の勝利であって、何ら後ろめたいものはないわけです。対して、ロシアではプロテスタンティズムは育っていません。ロシアは農奴制に支えられた帝政から、共産主義国家になったとき、そこにビジネスをビジネスとして育てる風土は皆無でした。そしてその後も、権威とそれに従う人々とが織りなす構造によって国家が運営され、大多数の国民もそれを受け入れてきました。ソ連崩壊のあと、ロシアは資本主義を受け入れますが、いわゆるビジネスライクな自由な経済活動が流布することはありませんでした。
 従って、ウクライナを自らの経済圏の中でコントロールするための、ビジネスとして割り切った戦略を持つかわりに、自らの影響力がウクライナから削がれてゆくことに対して、ナショナリズム的な感情に訴えることしかできず、今回の侵攻を行いました。それはロシアにとって致命的な選択でした。
 

「ビジネスライク」がもたらした功罪と国際情勢の複雑さ

 ビジネスライクな行為を常識とするアメリカをはじめ、欧米の主要国から見るならば、このロシアの感情的な行為は ”Business is business” というロジックから逸脱した、野蛮な行為にしか映らないわけです。
 世間では、こうしたアメリカの姿を一部の陰の権力者や人種などのグループに属する人の陰謀論と捉える人々が多くいますが、それはイギリスやアメリカの成り立ちを理解していない稚拙な知識に翻弄されているに過ぎないのです。
 
 今、プロテスタント的な意識を基盤に持った人々と、その影響を受けた人々は、その母体となったキリスト教からも乖離し、ビジネス戦略によってグローバルにつながろうとしています。
 ただ、その過程で様々な問題も発生しています。ビジネスとはお金を儲ける行為です。ですから、ロシアからガスの供給が減少すれば、その代替を探すために、彼らはいとも簡単に政策を転換します。イランからの原油の供給も、中東の石油の減産も、彼らにとってはそれがどのようなプロフィットにつながるかが政策判断の基準になります。その判断がいわゆる陰謀論であるかのように見えてしまうのです。イランで髪を露出した女性が警察に殺されたことで国中に拡散している抗議活動は、通常ならアメリカなどの支持を受けるはずですが、今回アメリカが積極的に動かないのは、このプロフィットの問題での躊躇に他なりません。莫大な利益を生み出すエネルギービジネスと、そこに投資している金融ビジネスが政治に与える影響は計り知れないのです。日本もこうした国際情勢の複雑さをもっとその本質的なところから理解するべきです。
 
 確かに、世界はこうしたビジネスライクな行為によって、より民主的で住みやすくなった部分と、逆に余りにもビジネスと個人とを切り離しすぎることから生まれる阻害や利己的な行為によって、人々が分断され、不信感を抱き合うという負の部分とが同居していることは事実です。その矛盾が常に世界を翻弄し、ときには収集のつかない混乱へとつながった事例も多くあります。
 
 しかし、少なくとも、世界で起きている危機的な現象を分析するときに、こうした歴史的な背景から物事を見てゆく冷静な視点も必要なのではと、今改めて強く思うのです。
 
 最後に、この記事はプロテスタントの宗教活動そのものを批判しているものではないことを、明記しておきたいと思います。また、この分析は20世紀初頭の著名な社会学者マックス・ヴェーバーも指摘してきたということも、ここで確認しておきます。
 

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『英語の格言に学ぶグローバルビジネス』山久瀬 洋二、アンドリュー・ロビンス (著)英語の格言に学ぶグローバルビジネス
山久瀬 洋二、アンドリュー・ロビンス (著)
欧米の人がビジネスをする上で好む名言や格言。これを理解すれば、彼らのビジネスシーンでの物事の考え方、仕事のプロセスの背景が見えてきます。「グループ志向で組織の構造を重んじる日本、個人のイニシアチブが評価される欧米」など、日本人がしばしば困惑してしまう“ 異なるビジネス文化” や、“ビジネスの進め方と発想法の違い”などについて、彼らが好む名言・格言から理解を深めることができる1冊です。

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