ブログ

皮肉にも同盟国から示される台湾の自立の選択への矛盾

President Trump’s New Chip Policies could force TSMC to put U.S. and Taiwan Production on equal footing, or face a huge tariff shock

(トランプ大統領はTSMCに対等な土台に立って事業を進めることを要求。でなければ、大きな関税のショックが待っていると)
― WCCFTEC より

孫文の承継者を主張する台湾のアイデンティティ

 TSMCの熊本への投資に今微妙な影が落ちています。その影響が日本の半導体産業全体に拡大しかねない懸念があることに、今九州をはじめとした関係者や政治家は気づいているのでしょうか。
 実は、今こそ台湾が置かれている事情を深く知っておかなければならないときなのです。
 
 その懸念について考えるには、この20年にわたり台湾が置かれている立場を振り返り、紐解かなければなりません。
 先週、元福岡総領事との面会のために、台湾政府の外務省(台湾の呼称では外交部)を訪ねました。お茶を飲みながら歓談していると、そこに一人の老人がやってきます。たちまち台湾の人は直立不動の姿勢をとり、元総領事は敬礼をして彼を迎えました。
 その人の名前は陳唐山氏で、今年90歳になる民進党の重鎮です。彼は李登輝総統が台湾の経済革新に拍車をかけたのちの、陳水扁総統の時期に政府の要人として活躍し、外交部長(日本でいう外務大臣)も務めたことのある人物です。そんな彼は当時、台湾本土化運動を牽引した政治家でした。
 
 台湾本土化運動とは、台湾こそ自分たちの母国と位置づけて育ててゆこうという運動を意味しています。
 外務省の重厚なビルの入り口には、孫文の立像があります。その背後には、孫文の銘とした「大同」というテーマの金文字の碑文があります。それは孫文の直筆を碑にしたもので、これが台湾政府にとって最も重要なビジョンとなります。
 孫文は、19世紀から20世紀初頭にかけて疲弊した清朝を辛亥革命で打倒した偉人で、中国でも台湾でも現在の国の礎を築いた人として扱われています。
 孫文は思想家であり、同時に革命家でした。そんな彼を国父として尊重するのは、台湾が以前中国にあった国民党政府の承継者であることを主張しているからに他なりません。
 
 ただ、ここに矛盾があります。二つの中国を中国が認めないという事実があり、同時に台湾も、今のところ孫文の遺志を承継した正当な国家であることを国是としていることです。
 共産主義革命を中国が推し進め、現在の北京の政府が樹立されたとき、孫文はすでにこの世にはいませんでした。孫文と結婚していた宗慶齢の妹・美麗が夫である蒋介石と共に台湾にきたとき、慶齢は北京に残り、その後二人が再会することはありませんでした。革命家としての孫文は、清朝を打倒することを目指しながらも、共産主義を容認していたわけではないというのが台湾の考え方で、蒋介石や宗美麗の見解です。民主、民権、民生という孫文のいう三民主義を承継しているのは他ならぬ台湾で、中国ではないということになるわけです。
 そして、この意識が台湾本土化運動とどう折り合いをつけ、台湾独自のアイデンティティとなってゆくのかは、今後の大きな課題となるはずです。
 というのも、台湾本土化運動には、中国から承継してきた国家という考え方とは一線を画す側面があるからです。
 

台湾の経済的自立を司る半導体事業とTSMC

 翌日、私は台南を訪れました。台南には台湾一の規模を誇るサイエンスパークがあり、そこにはTSMCの巨大な工場も稼働しています。
 今、トランプ政権が関税を武器にアメリカへの投資を世界の国々に強要しています。これが、台湾が経済的に自立し、台湾本土化運動を実現させるための大きな試練となっているのです。
 というのも、TSMCは世界の半導体の6割以上を生産し、その影響力が台湾の自立の大きな背景となっているからです。
 台南にある大学の教授は、TSMCがトランプ大統領の圧力でアリゾナにある工場への巨額な投資を余儀なくされ、それが日本への進出よりも優先されていることへの実情を語ってくれました。実は、トランプ大統領の言うアメリカでアメリカ人が自立してアリゾナ工場を運営することは、実質不可能だろうと多くの専門家が思っているのです。
 
 TSMCは国家戦略です。そこで、TSMCの台湾人社員は昼夜を問わず、残業は当たり前という具合に働いて工場を稼働させています。この労働モデルはアメリカでは成り立たず、結局台湾人を大量に送り込むことでアリゾナ工場の稼働の遅れを補填させているのです。
 言葉を変えれば、半導体の生産は微細な回路の蘇生など、特殊な技術が伴います。この技術をそのまま、アメリカ人の労働感覚と台湾人の意識との差を埋めることなく移転させることは難題なのです。
 
 当然、同じことは熊本工場でも見えてきます。昔の高度成長期の意識が過去のものとなった日本人も、台湾人の過激な労働意欲にはついていけず、そこに深刻な人材不足の課題が生まれていると専門家は語ります。そして、このアメリカか日本かの二者択一は、TSMCにとっては極めて困難な決断なのです。
 
 台北で外務省を訪ねたとき、台湾の外交官は、こうした懸念について「今TSMCは、政府とは距離を置くことでこの課題に取り組んでいるんです」と語ってくれます。外交官らしい含みのある回答です。TSMCが、政治と距離を置いていることをあえて内外に強調すれば、現在の台湾政府のルーツとなる台湾本土化運動に影響されることなく、TSMCの独自のビジネス判断で、アメリカや中国との間にある小さな国家としての立ち位置の中で、企業として成長できることになるからです。そして、そのことはとりもなおさず、台湾の自立自衛の立場を守ることにつながるわけです。
 頼総統の率いる台湾が、中国が一つの中国というスローガンをもとに露骨に干渉しはじめそうな、今後最も気になる5年間をどのように切り抜けるか、TSMCと政府との阿吽の呼吸が試されるのです。
 

慎重な舵取りが求められる台湾と付き合うには

 今、台湾に逃れてきた国民党はむしろ中国寄りの党として変化し、中国にとっても頼総統の率いる民進党の政権よりは、中国との妥協点も多くありそうです。しかし、香港の中国化を目の当たりにして以来、台湾の世論は中国への警戒感が高まり、それが現在の政権の支持母体となりました。
 それだけに、トランプ政権のアメリカ第一主義と折り合いをつけながら、台湾経済を守り、かつもう一つの目を中国に向けながら、台湾の自立を守るという極めてデリケートな舵取りを、これから求められているのです。
 
 そのためには、TSMCの日本への投資が犠牲になる可能性も否めないというわけです。とはいえ、台湾にとって日本は貴重な友好国です。さらに、日中戦争の悲劇を除けば、孫文も一時日本で革命への準備に励んだ時期があります。台湾にはそうした日本との関係への配慮も必要です。
 この現実を日本側がどのように察知しているのか、台湾外務省の関係者と会話をしながら不安が心をよぎります。
 ある意味で、半導体による投資があるからと短絡的に浮き足立つのではく、総合的な視野に立った国と国との付き合いを深めてゆくことが、何よりも大切なのではないかと思うこの頃です。
 
 そして、外務省の入り口に立つ孫文の立像を見たときに、もし孫文が今生きていたらどのような判断をするのだろうかと、考え込んでしまうのです。
 

* * *

『応用力を養う 実用台湾華語 中級』国立台湾師範大学国語教学センター (著)、古川裕 (監修)応用力を養う 実用台湾華語 中級
国立台湾師範大学国語教学センター (著)、古川裕 (監修)
「国立台湾師範大学」が台湾華語を学ぶためのテキストとして作成し、世界中で広く使用されている学習書の【中級編】が日本語版で登場! 人気の【初級編】に続く本書は、台湾師範大学の独自メソッドで口語から書き言葉、そしてリアルな日常会話までを、初級レベルから中級レベルへ無理なくステップアップすることができる学習書です。

・語彙・文法・会話をバランスよく学べる全15課
・丁寧な解説で、初級から無理なくステップアップ
・ピンイン(漢語拼音)を併記(第1課~第10課)
・短い読み物で読解力も養成
・台湾各地の話題で、旅行気分で楽しく学べる

 

山久瀬洋二からのお願い

いつも「山久瀬洋二ブログ」「心をつなぐ英会話メルマガ」をご購読いただき、誠にありがとうございます。

これまで多くの事件や事故などに潜む文化的背景や問題点から、今後の課題を解説してまいりました。内容につきまして、多くのご意見ご質問等を頂戴しておりますが、こうした活動が、より皆様のお役に立つためには、どんなことをしたら良いのかを常に模索しております。

21世紀に入って、間もなく25年を迎えようとしています。社会の価値観は、SNSなどの進展によって、よりミニマムに、より複雑化し、ややもすると自分自身さえ見失いがちになってしまいます。

そこで、これまでの25年、そしてこれから22世紀までの75年を読者の皆様と考えていきたいと思い、インタラクティブな発信等ができないかと考えております。

「山久瀬洋二ブログ」「心をつなぐ英会話メルマガ」にて解説してほしい時事問題の「テーマ」や「知りたいこと」などがございましたら、ぜひご要望いただきたく、それに応える形で執筆してまいりたいと存じます。

皆様からのご意見、ご要望をお待ちしております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

※ご要望はアンケートフォームまたはメール(yamakuseyoji@gmail.com)にてお寄せください。

 

山久瀬洋二の活動とサービス・お問い合わせ

PAGE TOP