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FTXの破綻から思う人類の未来とは

Prices of digital currencies fell again as the crisis engulfing the market deepened over the weekend. Bitcoin, the world’s biggest cryptocurrency, has plummeted about 65% so far this year.

(〔FTXの破綻により〕市場への不安が週末に拡大しデジタル通貨の価格は再び下落。世界最大の仮装通貨ビットコインも、今年に入ってから約65%急落)
― CNN より

人類社会の500年のサイクルを振り返ってみると

 未来学というのがあり、そこでは過去の歴史の動向や社会学などを総動員して、これから人類に起こることをシミュレーションするわけです。
 そうした視点に立って、過去の世界の歴史を見ると、人類は農耕社会に入ったことで大きな進化を遂げ、その後文字を持ったことで情報交換が容易になり、社会を秩序立てて発展させていきました。文字を持った人類がその後自らの社会を変えていくとき、大まかにいえば500年のサイクルによって時代を進めているように思えます。
 
 古代から中世に入り、西欧で宗教的権威への懐疑が生まれ、宗教改革が始まったのが1517年でした。それ以前の500年は、十字軍によってイスラム世界と西欧世界が激しい対立を繰り返す中で、カトリックの権威が少しずつ揺らいでいった時代です。さらにその500年前は、ローマ帝国が崩壊し、西欧世界が中世へと傾斜していきました。また、宗教改革はその後の西欧社会がアジアを含む世界に大きな影響を及ぼすきっかけにもなりました。
 
 こんな話をすれば、今回話題にしたいFTXの破綻とどんな関係があるのかと、不思議に思われるかもしれません。しかし、今こうした人類の流れの中に仮想通貨やAI、さらにインターネットの技術革新などを置いてみると、面白い未来の姿があぶり出されてくるように思えるのです。
 
 宗教改革は、ある意味で現在の社会へと人類が傾斜するきっかけをつくりました。その後、人々は宗教的な権威と戦いながら、科学や文明を進化させ、同時に市民社会を築き上げました。この500年の間には無数の革命や戦争があり、それ以上に発明や機械文明の進化を促すきっかけが芽生えました。そして、市民社会は民族ごとに国民国家を育み、今の世界地図ができ上がりました。現在そんな国家は、民主主義を信奉する国家と、国家の権力が国民をコントロールする権威主義の国家とに分断されています。
 

デジタル技術が国家のあり方を変えてゆく次の500年へ

 そんな現在社会でインターネットが生まれ、開発され進化し、そこからAIなどのコンピュータ技術が国境を超えてネットワークを広めたとき、我々の中に次の500年の姿がおぼろげに見えてきます。
 
 それは、権力と結びつく国家のあり方が時代を経て変化してゆくのではという予測です。ウィキペディアがネットであらゆるユーザーから情報を集め、百科事典をはるかに凌駕する情報を世界に提供し始めたとき、その情報の信憑性に疑問を投げかけた人も多くいます。しかし、問題があればそれを次の人が書き換えることで、情報がより洗練されてくるとして、インターネットでの民主主義への信頼を主張する人も増えました。
 
 その頃、ウィキリークスという、もう一つのネットでの挑戦があり、国家の機密を躊躇なくオープンにする試みもなされました。しかし、創設者のジュリアン・アサンジはイギリス政府に逮捕され、アメリカ政府もスパイ容疑で被告の引き渡しを求めています。このケースはそのモラル上の是非への議論の余地はあるかもしれませんが、大きな目で見れば、国家という権力に対してネットの力をもって挑戦したものとして、通常のウイルスやハッキングなどによるネットでのテロ行為とは一線を画したケースといえそうです。つまり、インターネットやAIの技術は、国家がそれをコントロールするか、それともするべきではないかという議論を市民に投げかけたわけです。
 
 そして、この課題を継承したものが仮想通貨でした。
 そもそも、通貨を発行する行為は国家の最も大切な権威の元にコントロールされています。仮想通貨はその壁を超えてあたかも株の売買のように交換できる通貨です。従って、多くの国は急ぎ対抗措置としてデジタル通貨の導入へと傾きました。未来のある時点で、こうした摩擦が国家と個人との深刻な対立へと発展し、それまで国家が合法と違法との基準を設けていた常識へ人々が果敢に挑戦し始めるのではという予測が、一部のネットユーザーの間に広がりました。
 国は権威によって国民を縛るのではなく、サービスを提供するホテルのようなもので、世界市民がそのサービスによって住む国を選べるようになるという、壮大な改革への500年の旅が始まったように思えるのです。
 
 宗教改革の火蓋が切られるまでの数百年にわたって、カトリックの権威に逆らったものは凄惨な刑罰によって葬られました。しかし、最終的にカトリック教会がそれぞれの地域を治める国王の権威と対立したことで、ルターが反旗を翻したとき、多くの国王が彼をバックアップします。その瞬間に情勢が大きく変化したのです。500年後の人類は、今我々の世界で起きていることを、この宗教改革への動きにオーバーラップさせるかもしれません。
 

「自由」を求める闘争が生まれたネット社会のこれから

 FTXはその子会社での様々なコンプライアンスの問題を指摘され、ユーザーが資金を引き上げたために運営が困難になりました。ビットコインも一時日本でセキュリティ上の責任を追求された過程がありました。
 これからも、国家の情報管理の問題、安全保障の問題と、インターネットでの自由の問題との対立は、さまざまな波紋を生み出すはずです。これは、先週解説したイーロン・マスク氏がTwitter買収の際に言及したインターネットでの「デモクラシー」の定義をもう一つ進化させた、「自由」を求める闘争のベクトルが社会に生まれていることを示しています。
 
 ネット社会は確かに現在社会を大きく揺らしています。戦争も社会秩序の維持もネットへの依存なしにはあり得ません。同時に、ネットでのセキュリティへのテロリズムや、誹謗中傷、フェイクニュースなども社会不安の源泉となっています。しかし、世の中が変化するとき、こうした不安は常に存在することは歴史が証明しています。過去に帝国が衰亡する過程でも、流言飛語が飛び交い、盗賊や無法状態を悪用する者が無数に現れました。それがネットの変革の中で起こっていると思えば、多くの現象が合理的に理解できます。
 
 今、次の500年へと人類は足を踏み入れようとしているのでしょう。その向こうに何があるのか、どういう波乱が待ち受けているのか。以前よりも科学文明が発展している現在であれば、そのインパクトによっては人類そのものの存亡にも関わる重大事が起こるかもしれません。
 
 FTXの破綻は宗教改革へとつながる過程で起こった一つの小さな宗教裁判なのかどうか、それを冷静に判断できるのは未来の人類なのかもしれません。
 

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『Postcards from a Bilingual Family 日×米家族の11年』田村 記久恵 (著)、Steve Ballati (訳)Postcards from a Bilingual Family 日×米家族の11年
田村 記久恵 (著)、Steve Ballati (訳)
『朝日ウイークリー』(朝日新聞社)にて11年間連載された英文イラストエッセイが一冊の本になりました。日本人の妻とアメリカ人の夫、そして2人の子どもたちのバイリンガル・ファミリーの暮らしは毎日が“異文化コミュニケーション”! その日常を、オールカラーのイラストとわかりやすい英語に時々日本語で、楽しくご紹介。英語を学びながら、異文化や多様性、国際結婚やバイリンガル育児についての理解も深まる一冊です。

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