「今年も、中国人観光客の爆買が話題になりつつも、よく中国人旅行者のマナーの悪さが取り上げられてきたよね。あれっていやだよね?」
ある、これは日本人の取引先との忘年会での会話です。
彼は続けます。
「まあ、彼らは日本の常識を知らないのでどうしようもないけど、僕の行きつけの寿司屋でね。カウンターのほとんどのスペースを中国人観光客が陣取っていたんだよ。しかも子供連れで。親はね。日本人が食べるのを指差して、あれは何?同じものをと注文を繰り返すんだ。子供はカウンターの椅子を使って大きな声ではしゃいで遊んでいて。いやだったね」
確かに寿司屋のカウンターは、大人の世界を楽しむ場所かもしれません。それを知らずに、中国人観光客が騒いでいたというわけです。
「いえね。ugly American って言葉がその昔流行ったのを知っていますか?戦後に世界の超大国となったアメリカから、膨大な観光客が海外に出て、あちこちでショッピングをしたり、高価なカメラやビデオカメラをぶら下げたりしながら街々を闊歩している様子を皮肉った言葉です」
「なるほど」
「パリでね。フランス料理を注文しているのに、ワインではなくコーラをくれとおおらかにウエイターにオーダーする彼らを、フランス人たちは心の中で嘲笑ったものですよ」
「確かに、そんなことがありましたよね。日本でも寿司屋でコーラを注文して。こいつら味がわかっているんだろうかって思ってものですよ」
「そして、その後は日本人でした。80年代後半、日本はバブル経済の波に乗って、世界中でブランド物を買いあさり、欧米の人たちからはうさぎ小屋のような小さな家に住んで、海外では団体であちこちに乗り込んでは買い物に熱中していると、皮肉られましたよね」
「うさぎ小屋って言われたこと。確かに覚えています」
「Rice paper ceiling という言葉を知っていますか。その当時、あるアメリカ人の著者が、日本企業では外国人はなかなか出世できないということを、この言葉で表現して、日本社会の閉鎖性を批判したことがあったのです」
「我々が中国の政治体制を批判するように?」
「その通り。この言葉は和紙の天井という意味ですよね。海外に進出した日本企業が、いつまでたっても現地の人を信用せず、常に日本からマネージャーを送って日本のやり方を押し付けようとしたことを批判したわけですよ。日本から送られてくる管理職を rotational managers といって、数年駐在した後に帰国して新しい日本人と引き継ぎをする。いつまで経っても、現地の人がその地位につくことはないという意味ですよ」
「日本に来た外資系企業でも似たようなことはあるでしょう」
「確かに。でも、当時今の中国のようにどんどん海外に進出した日本企業には正に優越感の塊のような人が多くいたんですよ」
「そうですか」
「当時、日本の成功にびっくりして、欧米の若者の間で日本語熱がおきたりしたものです。そうして日本にやって来たり、現地の日本企業に就職したりしたものの、日本社会との異文化にさらされて、逆に日本に批判的になった人もいたというわけ」
アメリカや日本の他にも、例えば中東の人々が「石油成金」と笑われたりと、その時代時代で富を持った者をターゲットにした皮肉や偏見は後を絶ちません。
ビールを飲み干した後、彼はふと昔のことを思い出します。
「そういえば、私も恥ずかしい体験をしたことがありました。バブルの頃に」
「といいますと?」
「バブルの頃、ロンドンに出張したんです。そしてたまたま観光しようとある教会に入ったところ、地元の人がみるからにいやな顔をして、私に注意したんですよ。教会に入る時は、帽子をとってくださいってね」
「それは面白い。でも、その人、口に出して注意してくれたからまだいいじゃないですか。多くの場合、みんな心の中であれこれ思っても、言葉にはしてくれないから」
「そうですよね。我々も中国人の観光客に、言葉で日本社会でのマナーを解説したりはしないですね」
日本人の場合、特に言葉に出してフィードバックすることは文化的にやりにくいようです。
これからも、海外の人が観光目的でどんどん日本にやってくるはずです。そんな彼らに、偏見なく日本社会のルールを解説するノウハウが求められることはいうまでもありません。
彼の行きつけの寿司屋では、中国人の子供があまりうるさいので、わざとわさびの利いた寿司を出したということでした。これは、ちょっと笑えない「おもてなし」です。
異文化がぶつかる時、人々はついつい、それが異文化だということを忘れて、相手に偏見を持ってしまいがちです。それは確かにお互いに気をつけなければならないことでしょう。ただ、気づかない人に、相手を侮辱することなく、どう心を開いてフィードバックをしてゆくかは、誰もが常に考えてなければならない課題なのではないでしょうか。
山久瀬洋二・画
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