異文化環境で面白いことがあります。
それは、こちらが相手に対して批判的な印象を持っているときは、相手もほぼ確実に同じテーマでこちらに対して批判的な印象を持っているということです。
例えば、外資系企業などに勤務する日本人がよく、アメリカ人の同僚に対して、「アメリカ人はどんどん自分の意見を押し付けてくる。結局自分たちが一番だと思っている」とぼやくことがあります。
日本人がそのように思う背景にはいくつかの原因があります。
原因の一つは、英語でのコミュニケーションで、どんどん自らの意見を表明したり、不明瞭なことを指摘したりして、その場でブレーンストームを行うことをよしとする彼らの常識に従って、アメリカ人が日本人と対話をしようとしていることにあります。
これに対して、まずじっくりと相手の意見を聞いて、その上でコンセンサスを大切にしながらコミュニケーションをしてゆくことをよしとする日本人のコミュニケーション文化が噛み合ないのです。
ではそんなとき、アメリカ人は日本人に対してどのように思っているのでしょうか。私は多くのアメリカ人に彼らの感想を求めてみました。
アメリカ人はどんどん自分の意見を表明するのに、日本人はなかなかそれに対して反応してくれません。時にはシニカルな表情と彼らが誤解しがちな曖昧な笑みすら浮かべ、日本人同士で目を合わせたりしながらも、やはり明解な反応を即座に表明してはくれません。
そんな状況に陥ったアメリカ人は心の中で思います。「日本人は不可解だ。変な笑みを浮かべ、対応の仕方は曖昧模糊。あれはきっと心の中で自分たちが一番だと思っているからに違いない」と。
そう、お互いに相手が自分たちを見下しているのではという感情を抱いているのです。
身近な事例では次のようなこともありました。
ある高校生がアメリカ人の家庭にホームステイしたときのこと。
アメリカ人は歓迎の意味をこめて「どうぞ自由に冷蔵庫をあけて、ジュースなんかを飲んでね」といいました。
しかし、遠慮の文化を持つ日本人は、どうしてもそれをアメリカ人の建前と思い、勝手に冷蔵庫を開けることができません。
何も飲み物をだしてくれないアメリカ人に、どうすればよいのか困惑し、テクテクとスーパーまで歩いて飲み物を買っては部屋にもちこみながら高校生は日々を送りました。なんか彼らは冷たいな。きっと歓迎してくれていないのかなあと心細く思いながら。
ところがそんな日本人の高校生をみて、アメリカ人はなんで冷蔵庫を開けないんだろう。この子はなぜ心を開いてくれないんだろう。我々のことを嫌いなのかなと困惑するばかり。
ここでも双方とも同じような疑念を相手に抱いていたのでした。
これは本当におきたことで、私の知人が状況を心配して、アメリカ人と日本人の高校生にそれぞれの文化の違いを説明して、やっと解決したのでした。
異文化環境では、思わぬことでコミュニケーションの摩擦がおきてしまいます。しかも、まさかというような些細なことがらで。
ですから、相手に対してアレ?と思ったときは、相手も必ず同じように思っていると考えることから全てはスタートです。一つ一つ正直に確認し、質問をし合いながら誤解を避けてゆく対応が必要です。
一番危険なのは、人間みな同じ常識をもっていると過信して、そこから相手を評価してしまうこと。
気をつけたいものですね。