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旅日記(1)博多とオースティン

博多は私にとっては学生時代の思い出の詰まる街である。
就職して後、アメリカに住み、そこで自立し16年間を向こうで過ごした。

もうアメリカから帰国して13年になる。
しかし、それでも意識は中途半端。

今夜博多に出張し、学生の頃は静かな砂浜であったシーホークスタジアムの横のホテルに泊まる。
数年前、久しぶりにここに来たときは、正に浦島太郎だった。

夜時間があったので、福岡市の西の繁華街、西新にでてふらりとラーメン屋のカウンターに座る。
隅っこで友人と喋っていた高校生は途中で店をでて、私一人が取り残された。

博多は、昔はフォークソングの街としてならしていた。
井上陽水、海援隊などなど、皆この街から東京に出た。私もシンガーではないが、同じオノボリとして30年以上前に上京した。

今、なんとなく、学生時代の友人に電話をするのも億劫で、一人西新の店にはいったのだ。 ちょっと場違いな雰囲気もあって、そうだ俺は今ではよそ者なのだなどと思いながら。そしてこの店には、この街ならではのローカルな歌が有線からながれていた。

そのとき、瞼の内側に、一本のフリーウエイが浮かんできた。
夜、南へのびるフリーウエイを無数のヘッドライトが行き来する。右手には大学のビルが並んでいる。
そして、そうだ!左手には、両側にライブの居酒屋がならぶ通りがあったはずだ。
ああ、オースティンだ。それはテキサス州のど真ん中。
博多とはもちろん縁もゆかりもない。

あれは、デル・コンピュータのオースティンのオフィスで、日本の取引先との商談の進め方についてコーチをしに行ったときのことだった。もう20年も前である。
テキサスは、アメリカでも独立精神が旺盛で、テキサスならではの、この地でしか聴けないカントリーミュージックも多くある。
オースティンはそんな音楽都市としても知られる、小さい街ながら実はテキサス州の州都なのだ。
あのオースティンのライブハウスのカウンターに流れていたカントリーソングを、なぜか西新で思い出した。

無性に、テキサスの田舎町が懐かしくなる。
私はアメリカではニューヨークにいた。でも、よく旅をした。仕事をからめてアメリカのつつうらうらを、車で回った。

そう、西新でよそ者として、一人ラーメンをすすっているとき、そんなアメリカでの日々が活き活きと蘇った。

私一人の、思い出だ。

ふと、ラーメン屋の女の子に、今日20年ぶりにアメリカから帰ってきてねといってみたくなった。まてよ。20年ぶりにムショからでて、娑婆のラーメンが食べたくなってねといったほうがいいかも知れない。どちらも同じようなものだ。

そんなことを思いながら、一人黙々とラーメンをすするのであった。

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