山久瀬洋二の日常と旅日記

旅日記(4) 火山と殺戮、岩と繁栄


この島は、地中から吐き出された玄武岩でできている。
この島の女は逞しく、海に潜りアワビを採る。男はどちらかというとおっとりとしているという。実際、ガソリンスタンドなどで忙しく働く女性が目立つ。
そこは、太古は耽羅国と呼ばれた小さな独立国だった。
そんな昔から、人々は岩を削って像を造り、後年になって半島からの勢力に飲み込まれた頃には、石を積み上げて畑を囲み、墓場にも玄武岩を削った守り神をおいた。
そして朝鮮王朝時代には、トルハルバンと呼ばれる石像があちこちにたてられ、やがてそれが島のシンボルとなった。
太古の島の神は、火山島の神らしい暴れ者で、神話の時代に島の中央にある火山ハンラ山を蹴って岩を海に飛ばし、それが東に浮かぶ小島になったという。
モンゴルが日本に侵攻した頃は、朝鮮半島を統一していた高麗の一部として侵略に抵抗し、最後までゲリラ戦を展開し、将兵はここで玉砕した。そしてこの島はモンゴル軍の日本侵攻の補給基地となった。
以来、この島ではモンゴル産の馬の飼育が盛んになる。
他にも日本との繋がりは深い。昔は五島列島あたりから漁民が行き来し、時には島民との争いもおきたという。
その後、第二次世界大戦が終結し、日本の朝鮮半島の統治が終わる。朝鮮戦争へとつながる動乱の中で、1948年4月3日におきた民衆蜂起に端を発して、最終的には韓国から送られた反共組織や軍隊に6万人以上の島民が虐殺されるという悲劇がおきた。難を逃れた多数の人が、日本にやってきて大阪などで在日コリアンとして根付いていった。
最近になって韓国政府はその非道を謝罪する。
今、少なくとも表面上はそんな歴史の傷跡を島に見いだすことは難しい。それは古老の心の中に封印され、島はいわゆる東アジア経済圏のハブへと変身しようとしている。そして、島独自のことばも、今や保存活動がおきているほどに、消え去ろうとしている。

島の中心チェジュ市(済州市)にある国際空港は北海岸にある。
中国などから国際線も就航する空港の規模は大きく、中は出張族、観光客でごった返す。
例えばソウルからは、大韓航空とアシアナ航空の大手二社以外に、ジンエアーなどのローコストキャリアも毎時運行し、移動人口の多さには圧倒される。
新婚旅行客などのリゾートとして知られていた済州島が、ビジネス拠点としてにわかに注目を集めているのだ。
ソウルから本社を移す企業も目立ち、中国からの投資も加熱している。金曜日や月曜日のフライトがとりにくいほど混み合う理由は、ソウルや中国からそうした人々が出張してくるためだという。
「ソウル、北京、上海、福岡、そして関西から関東圏まで、チェジュ (済州島) は丁度こうした地域を結ぶ交差点に位置した将来性のある土地なのだ」
韓国のとある会社の社長はそう語る。彼も数年後に自らが経営する出版社の本部をここにおきたいという。

時代の波。
今は死火山となった噴火口が島のあちこちにあり、景勝地として整備される。
かつて火を噴いた山の神も、静かに地中で時の移ろいを見詰めているのか。
チェジュの岩の文化は、イースター島の巨石文化などにも通じ、太平洋と黒潮による海洋文明伝搬の足跡があちこちに残っている。
暖流のおかげで、ここは暖かく、日射しの強い初夏の午後に生い茂る樹木の中を潜れば、東南アジアにでもいるのではと錯覚する。
そして今なおこの島には、どこに行っても岩石がある。
住宅の塀、田畑の枠組みなど全てが石を積み重ねて造られている。そしてあちこちにトルハルバンがおかれている。
「昔は、先に石で囲んだ場所が自分の土地になっていた。墓を造れば石で囲む。後でその周りの土地を手に入れた人は、そこを石で囲むが、墓はそのまま残される。だからこの島にはあちこちの土地の中に土を盛り上げたお墓がある」と友人は説明してくれる。

古来の文化を保存しようと、ハンラ山の東側には5万坪にも及ぶ岩の文化を学習できる遊歩公園がある。公園の森に集められた数えきれない岩の像たち。
島の歴史と太古からの営みが、今静かに表舞台から去ろうとしているなか、そんな石像は我々に過去との惜別の笑みをおくっている。

火山活動が納まり、人が穏やかに暮らし、そして今グローバリズムにまで飲み込まれようとしているチェジュ (済州) 島。
それでもこの島の雄大な風景は、訪れる人を魅了する。
日本から戦中戦後の記憶が消えてゆくように、この島からも朝鮮戦争前後の悲劇への記憶が消えつつある。豊かな社会の忘却が、次の世の中に何をもたらすか。火を噴き、山を蹴飛ばすほどに雄弁だったチェジュの神々は、今沈黙して語ってくれない。

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