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異文化体験、それは Do it yourself の試練の連続

ある日、知人からお茶に誘われました。彼の友人のことで相談があるというのです。

「今ね、私の元の同僚が、アメリカに留学しているんです。その人が大学の寮にはいったのは2ヶ月ほど前。ルームメイトはスウェーデンからの留学生です。ところが最近、そのスウェーデン人のルームメイトにボーイフレンドができ、そのボーイフレンドを部屋に連れてくるらしいんですよね。それで私の友人が困ってしまって、どうルームメイトに注意したらいいんだろうって、私にメールしてきたんです。あなたならどうしますか?」

知人によると、その元同僚というお友達は、旦那さんと死に別れ、悲しみを乗り越え再出発しようと、高校の教師を休職し、アメリカの大学に留学しているとのこと。私も心から応援したくなりました。

「その人、ルームメイトにはっきりと言ったんでしょうか」

「そうは思いません。いやな思いをしているなら、当然顔にもでるでしょうし、困ると明言しなくても、色々な様子から相手も察するのではと思うんですが、全然効果なしだっていうんです」

「確かにね。はっきりと不快だと言葉にすると角が立ちますよね。でも、表情やもってまわった表現だと、相手には通じなかったのではないですか?」

「阿吽の呼吸は異文化では効果なしというやつでしょうか」

私はよく、海外でのコミュニケーションは以心伝心ではうまくいかないことが多いと強調します。この知り合いにも以前そうしたことを説明したことがあったのです。
しかも、世界には色々なコミュニケーション文化がありますが、北欧の人は特に言葉そのものに頼ってはっきりと意思を伝えることを憚らない傾向があります。日本人とは対象的だというぐらい際立った違いがそこにあるのです。ある意味で、その人が直面している相手は、日本人が一番苦手なはっきりとものをいうという態度なしには、なかなか意思が通じない相手かもしれません。

「フィードバックという言葉がありますね。仕事の上などで、部下や仕事先、時には上司にも、その仕事の結果について自分の考えやアドバイスを述べることをフィードバックといいます。英語の世界では、フィードバックはできるだけ具体的に、明解に明言しなければなかなか相手に通じません。しかもフィードバックは、問題がおきたとき即座に、その場でしなければ効果は薄れます。実は、このフィードバックの発想は日常生活でも同様なのです」

「つまり、困ることは困るとはっきりいうべきなのですね」

「そう。日本人は遠慮の精神が働いて、困るとはっきり言えません。だから、相手にメッセージが伝わらないんです」

「でも、怒りや不快感は、どこの国でも表現しにくいのではないですか?」

「そこなんです。怒り、不快感、またはこちらが正しく相手が間違っているとか、白か黒か、勝ちか負けかを意識しすぎるのも日本人の特徴なんです。もっと軽い気持ちで、これっていやなんだよ。やめてくれる?という風に言えば、相手もドライに、また嫌な奴だなと思われることなく、そうなんだ。ゴメンゴメン。という程度で済むんです。でも、注意する行為自体がそこに相手との対立や白黒を意識してしまう日本人は、その前に相手との和を考え過ぎ、却ってぎくしゃくした言い方になり、それが逆効果を生むこともあるんです。皮肉なことですよね」

「フーム。和を重んじるためにねえ」

「英語だと、日本語に翻訳すると、ちょっと直截すぎてきつくないかと思うぐらいの表現を、結構ドライにやっています。その感覚を掴むのはなかなか難しいですね」

「そりゃ大変だね。僕なんかついつい相手に対して気をつかってしまう。あとでぎくしゃくするのが厭だから」

「あのね。人間って、相手によく見られるに越したことはないと、考えますよね。でも何をしたら相手からよく見られるか、そうでないかは、文化によって違うんです。相手に対して何を期待すればいいかという尺度も違うんです。北欧系の人の場合、明解にスパッと言ったほうが、よりフレンドリーに相手にメッセージが伝わります。これは北欧だけではなく、アメリカや他の多くの国でもそうなのですが、日本人は日本人の意識と文化に従って、相手に期待をし、相手の反応を待ってしまいます。でも、それは相手には理解不能ということも多々ある筈ですよ」

「そんなとき、ついつい遠慮して、相手との和を保とうと、笑みさえ浮かべてしまうのが、日本人の癖なのかもしれませんね」

「笑みも曖昧な笑みが問題なのです。ちゃんと意思を相手に伝えて、その後で、相手が聞いてくれたことに対して、Thank you というときは、ちゃんと笑みを浮かべてフレンドリーにするべきですよ。メリハリをもって、言葉の内容と表情とをできるだけ一致させることが何より大切なのです」

その後、私の知人が友人にどのようなアドバイスをしたかはわかりません。しかし、異文化という大海原で波に揉まれる人は、その体験がいかに貴重か自負して欲しいのです。
一回のアドバイスで全てがうまくいくようなものではなく、そんなアドバイスを聞きながらも、経験を積み、その蓄積でだんだんとこなれてゆくのが、海外でのやりとりであり、交流のノウハウなのです。
異文化の大海原での試練は、Do it yourself の試練、体験の連続なのです。それは、その時に自分の文化の罠に捉われず、相手のコミュニケーション文化に好奇心を持って、学んでゆく姿勢で挑まなければ、なかなか光が見えてこない試練ともいえそうです。
是非、頑張ってほしいものですね。

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