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激動期と平和期のサイクルの中に日本を置けば

“The concept of innovation has entered a turbulent age.”

(イノベーション〈技術などの革新や刷新〉でいうならば、現在は激動期に入っている。)
― Springer より

海外との交流から見えてくる「日本」

 年末年始を含めた3週間にも及ぶアメリカへの長期出張を済ませ、さらに帰国早々、久しぶりに韓国フィリピンの友人と一緒に週末を過ごすことができました。
海外の多くの人との交流を通して、日本を客観的に見るのも大切なことだと、つくづく思い知らされます。
 アメリカでは、イラン系の友人とも会食をしました。彼は去年の暮れに久しぶりに故郷を訪れる予定でした。しかし、その後のアメリカとの緊張関係の中、帰国を諦め、両国の狭間で故国の友人や親戚のことを心配していたのが心に残りました。
そして、日本への帰国直前にイランとアメリカとの間に多くの悲劇が起こったとき、私は彼に連絡を入れ、彼と私とは宗教も文化も異なるものの、私は心から全てが平和になるよう共に祈っているよと伝えました。
そして帰国すれば、軍事オタクともいえる人が、イランをめぐる様々な情勢について感想を述べているのを目の当たりにし、私はつくづく日本は平和な国だなと、皮肉なため息をつきました。

激動期と平和期とを繰り返す中で

 そんな「平和」という概念について、帰国後に夕食を共にした韓国の友人が面白いことを語ってくれました。彼は、日本と韓国との平和のサイクルの違いについて語ってくれたのです。
彼によれば、今韓国は政治的に激動とも言える変化の最中にあると言います。1945年に日本から独立し、朝鮮戦争、独裁政権や民主化運動を経て現在に至る韓国は、試行錯誤を繰り返しながら、この75年間激しく変化を続け、今その動きが大きな波になっているのだと語ります。

「日本から見れば、韓国は約束を守らず、過去に取り決めたことをすぐに撤回すると思うかもしれないが、それは韓国の社会と政治がどんどん変化し、どこに向かうのか見当もつかないほどに人々の意識も左右に揺れているからなのです」

と、彼は語ってくれました。

 そこで振り返ってみると、日本にとっての激動期は1853年にペリーが来航し、明治維新を経て、その後西南戦争を含めると10年ごとに戦争を繰り返しながら、最終的に第二次世界大戦が終結するまでの90年間が激動期だったように思えます。
それ以前の江戸時代も、その後の戦後から現在に至る時代も、社会の中に様々な出来事はあったものの、大きく見れば平和な時代です。

「明治維新前後の日本もそうですが、激動期には、人々は外からどんどん技術を導入し、なりふり構わずサバイバルへと奔走しますよね」

 私はそう応えます。

「そうなんです。別の例で言えば、日本の戦国時代は激動期ですよね。この時代、日本にはキリスト教も入れば、鉄砲も貪欲に取り入れました。でも、その当時の韓国は平和期だったんです。だから外の動きに鈍感だったし、海外から何かを取り入れる必要もないと鎖国をしていました。日本はそんな激動期の後、江戸時代に同様の平和期に入り、やはり鎖国しましたよね」

「そうそう。そして、今日本は戦後からの平和な時代の中で、外への関心が薄れ、ある意味で精神的な鎖国状態になっているかもしれませんね。韓国も今は経済が発展し、多くの人は日本人と同じようなメンタリティを持っているのかなと思っていましたが、違うんですね」

「韓国はこの75年間の激動期の中で、これからどこに行くのか全く未来が見えないんです。日本と同じように少子化で社会が衰退するのか、激動期特有のハングリー精神で今までにはない民主国家に成長するのか、誰もわからない。だから大統領も逮捕されれば、国家の方針もどんどん変わる。そんな韓国の方向を見極める意味でも、今年の選挙はとても大切なのです」

 我々のそんな会話を聞きながら、フィリピンの友人は、ここ数年フィリピンを揺るがしてきたドゥテルテ大統領の強権的な改革について語ります。フィリピンに代表されるアジア各地も、長い激動期の向こうにどのような未来が見えるか、これからどのような社会に成長するのか、韓国と同じような意識を共有できるのだと言います。

今の「平和」に迫り来る「激動」の波

 アメリカ滞在中には、日本のある大手自動車会社の駐在員が面白いことを語ってくれました。
それは、彼らの掲げる10年後の目標についてです。

「今、車社会が大きく変化するときに、我々はどのような成長を遂げるべきか、10年後に向けた目標を会社は掲げています。しかし、こちらに来てみると、我々が10年後と思っていることが、実はすでにアメリカやヨーロッパでは数年後に実現可能なことと想定して多くの人が技術革新を進めている。これには驚愕させられました。ああ、このままではと思いながらも、日本の巨大な組織を見ると絶望してしまいます」

 平和期の中にいる日本人には、外を見る力と好奇心が薄れつつあります。表題に記したように、世界の産業技術界はグローバルなレベルで激動期に入っています。しかし、日本は変化しなくても、海外と交流しなくてもそれでやっていけると、平和な島国にいる多くの人は心の片隅で安心しきっているのです。

「そんな激動期にある社会と、平和の中で安心している社会の双方に、ポピュリズムが蔓延し、それがナショナリズムに変わりつつありますよね。この媚薬についつい手を伸ばしたがる人が、激動期にある国では外に敵をつくり、日本のようにそうでない国の人は、ただ自分の国を自画自賛して悦に入っているというのが今の世界の課題なのでしょうね」

 私がそうコメントしたとき、マレーシアで活動する日本人の若者が言っていたことを思い出しました。

「日本にいるとき、何が息苦しかったかって、多くの人が日本はとても素晴らしく、そこにいれば安全で豊かでいられると本気で思っていることでした。そして、海外と日本を比較するときは、日本は特殊だからとすぐにコメントして、現実を見ようとしない人ばかりでした。そんな社員が集まる大きな組織にいるのがいやで、こちらに飛び出したんです」

 確かに、日本は海外とは異なる特殊な国です。でも、どこの国も他の国と異なる特殊な国だということを忘れてそうコメントするのが、平和期の中にいる日本人のくせなのかもしれません。
次の激動期が、すぐそこまで迫っているかもしれないのです。未来を見るとき、自分の都合の良い未来を描きながら、そこで安心できているのは、この現在の一瞬だけかもしれないのです。

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『対訳 日本小史 JAPAN: A SHORT HISTORY』西海コエン (著)対訳 日本小史 JAPAN: A SHORT HISTORY』西海コエン (著)
古代から現代まで、日本の歴史を大きな流れで、かつコンパクトで分かりやすい英語と日本語の対訳で解説。理解を深めるためカラー写真や図版を豊富に使って、日本史の全体像を把握することに主眼を置いた作りとなっています。また歴史事項の英語表現も同時に学べ、教養を高めたい学習者におすすめの一冊!

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