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過去を見詰めたい日本人 V.S. 前に進みたい欧米人

「ねえ、何故あのとき、すぐに対応しなかったのですか」

ある人が、いつになっても謝らないアメリカ人の仕事先に腹をたてて、そう切り出しました。

「だって、我々がいなくても、代替の人で充分対応ができたでしょう」

「そんなことじゃない。責任感の問題だよ。仕事に対する」

「なんだって?僕はいろんなことをやっているんだ。対応ができることを人に任せて何故いけないんだい?僕にはこのプロジェクトの他にも、色々な仕事に、そして家族にも責任がある。いったい何がいいたいんだい?」

このような、あるいはこれに近い会話を経験したことのある海外在住者は多いはずです。
仮に、こうした会話の経験はなくても、心の中で「責任感の問題だよ!せめて謝れよ!」と叫んだことのある人は多いのではないでしょうか。

「どうして、日本人は過去のことをいつまでもしつこく取り上げるんだろう」

「いやね。過去のことをしっかりと理解しないと、未来へ進めないでしょう」

「そんなことはない。未来はこれから造るもの。過去の責任を追求するよりは、同じ問題をおこさないために、これからどうしてゆくべきか、ソリューションを話し合うべきじゃないかな」

「いや、だからこそ過去のことをしっかり検証すべきだ」

「違うよ。日本人は誰に責任があるかを明快にして、その人に謝ってもらいたいだけだろ。それは検証じゃないよ」

謝ることは日本の文化ではとても大切だと、今までに何度も触れてきました。確かに、日本の社会では、謝ることで相手との緊張もほぐれ、和を保ちながら未来に向かうことができます。
しかし、アメリカなど多くの社会では、その心理的プロセスが日本のように強力な要素として文化の中にないのです。
ですから、日本人が海外の人に謝って欲しいと思っても、思うようには対応してくれません。
やがて、感情が鬱積し、抑えていた気持ちをそれでも控えめに、ぼそっと文句をいえば、そこに論理性を感じない欧米の人は、戸惑うか、不快に思って反論するか。いずれにしろ良い結果は望めません。

「ではどうすればいいんだい?」

と日本人は叫びます。

「単純なことさ。未来志向に話をして、今後同じ問題などに直面したときはどうすればいいか、お互いに話し合って agreement を結べばいいんだよ」

「責任を認めて、謝るのではなく、話し合って agreement か」

「そう。ちゃんとロジックをもって語り合う姿勢が respect という言葉の意味なんだよ。お互いに respect しようじゃないか」

例えばサービス業を例にとりましょう。
そこではサービスを提供する方が、サービスを受ける人に対して下の位置にいて、相手をたててゆくべきだという考え方が日本にはあります。
その上下関係の意識が、何か不都合があったときに、相手に謝ってもらいたいという心理を助長します。
逆に、基本的に人と人とが平等であるという文化の元で教育を受けてきた人は、サービスを提供することと、人の上下関係とを切り離して考えがちです。
このギャップが異文化環境での摩擦を産むのです。

特に、過去にこだわる意識に中に、こうした謝罪への願望が隠されているとき、その摩擦は深刻になってしまいます。
日本人は相手を責任感のない奴だと思い、相手は日本人のことを、理不尽で横柄な奴だと勘違いするのです。

未来志向の強い欧米型のコミュニケーションスタイルと、過去を固めた上で未来を造ろうとする日本人の意識とのギャップの陰に、こうした謝罪への願望という要素があるということを是非理解しておきましょう。

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