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「戦争とビジネス」、そして「グーグルとビッグデータ」

Delegations during signing of the Treaty of Versailles

“We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.”

(われわれは、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということは、自明なる真実であることを信じる。)
― アメリカの独立宣言より

パリ講和会議に見る「アメリカの世紀」

 ちょうど100年前の1月18日から、パリで第一次世界大戦後の体制を決定するための講和会議が開催されました。
 会議の名前は、パリ講和会議。日本を含む主要な戦勝国5カ国を中心に、世界大戦に関与した国々が集まり、戦後の世界のあり方について討議したのです。
 
 世界史に興味のある人ならお分かりのように、この会議では当初、敗戦国には賠償金を請求せず、恒久的な和平を実現するために国際連盟を設立することなど、様々な理想が討議される予定でした。
 しかし、実際に締結された講和条約には、敗戦国ドイツに対する高額な賠償金の支払いが盛り込まれ、国際連盟にアメリカ合衆国は参加しませんでした。その結果、経済的に破綻したドイツが国家主義に走り、ヒトラー政権を生み出したことは、多くの人の知るところでしょう。
 
 講和会議では、世界史で初めてアメリカの存在感の大きさが注目されました。20世紀は「アメリカの世紀」と呼ばれています。20世紀初頭に移民による豊富な労働資源と消費パワーに押され、さらに19世紀に開拓した広大な領土と、そこで根付いた産業に押され、アメリカは経済大国へと成長したのです。
 アメリカは世界の金融市場にも大きな影響を与えるようになります。もともとアメリカは、イギリスの経済的束縛から脱却しようと独立した国家です。ヘッドラインで紹介した独立宣言にも書かれているように、アメリカは「幸福を追求すること」を国民の基本的な権利であると、世界に先駆けて保障した国家です。この「幸福を追求する権利」の保障こそが、アメリカ人の資本主義精神の背骨となるのです。言い換えれば、アメリカでは経済活動、資本主義活動は、国民の根本的な価値観に沿った行為であるといえましょう。
 
 さらにいえば、こうした経済的発想こそが、アメリカ人のいう「business」という感覚なのです。例えば、日本人は露骨にお金の話をすることを伝統的に忌避する傾向があります。ですから、「business」感覚をむき出しにせず、商業活動においても物事を婉曲に進めることを求めがちです。しかし、20世紀になって、そうした「business」的な風土を持つアメリカが世界経済に大きな影響を与えだすと、人々は以前よりも資本主義を信奉し始めるのです。
 

John Trumbull: Declaration of Independence

資本主義が推進する「戦争」という名の「ビジネス」

 第一次世界大戦は、そんな経済的な論理の影響を強く受けた、最初の戦争といっても過言ではありません。アメリカの金融界は戦争に対して投資を行い、その投資した資金の回収を強引に進めます。特にイギリスやフランスへの投資が無駄にならないようにと、アメリカは経済界の圧力の下、伝統的な孤立主義を打ち破って自らもヨーロッパ戦線に参戦します。そして、戦争が終わると、敗戦国からの賠償金の取り立てによって投資の回収を急ぎます。当時のアメリカのウィルソン大統領が提唱した理想主義も、金融界のそうした動きの中で封じ込められてしまうのです。
 
 それ以降、「戦争はビジネス」という一つの常識が生まれました。戦争は国家による巨大な消費行動です。武器のみならず、ありとあらゆる産業が戦争に動員されます。このことが、金融業界や資本家を益々豊かにしてゆきます。
 戦争は、必ずしも有利に展開するとは限りません。しかし、仮に味方が不利であったとしても、生産活動やそれに対する投資には追い風になるかもしれないのです。ある時期まで、ヘンリー・フォードをはじめとしたアメリカの経営者の多くが、ヒトラーを支持していたことは有名な話です。彼らの心の中によぎったのは、こうした資本主義の理念が、ソ連によって打ち砕かれることへの恐怖でした。ドイツに共産主義の浸透を阻止する壁となって欲しかったのです。同時に、独裁国家によって急成長を遂げるドイツの軍備、そして経済への投資にも興味があった彼らにとって、ヒトラーを支持することは、一石二鳥の効果があったのです。
 
 その後、ヒトラーの政策が過激になり常軌を逸してくると、彼らの態度も一変します。しかし、この「戦争とビジネス」との関係は、第一次世界大戦以後、現在に至るまで継続しているのです。ベトナム戦争はアメリカに苦い教訓を与えました。しかし、当初ベトナム戦争に消極的であったケネディ大統領を押し切って、泥沼の内戦への介入を強く求めたのは、アメリカの経済界だったのです。中東でも同様のことがおこります。「戦争とビジネス」、それは今もなお切っても切れない、人間の欲望の追求のテーマとなっているのです。
 
 もちろん、こうした発想にブレーキをかけようと、人々が良心に訴えてきたことは事実です。しかし、戦争とビジネスとの相乗作用によって世界がより便利になり、軍事技術が通常の産業に転用され、人々の「幸福を追求する権利」への甘い蜜となったとき、我々はともすれば妥協をして、そうした繁栄を享受しようとしがちです。
 
 21世紀に入り、「戦争とビジネス」との関係は新たな段階へと「進化」しました。それは、サイバーセキュリティという新たなビジネスが、戦争やそれを遂行する国家運営と手を組んだことです。
 世論を操作するために、グーグルなどによるデータが、国家のニーズに沿って活用されつつあることも懸念材料です。個人の様々な消費行動や趣味趣向がビッグデータに集積され、それが世論操作へ活用されようとしています。選挙はいまや、ネットビジネスにおける巨大な市場の一つです。民主主義を操るツールとしてSNSやAI、さらにビッグデータが活用されていることは周知のことです。しかし、それが第一次世界大戦以降の「戦争とビジネス」との婚姻関係が進化し、モンスター化した結果であることに気づいている人は少ないかもしれません。
 

2019年、「戦争とビジネス」はどこへ向かうのか

 18世紀から19世紀にかけて、人々はアメリカでの綿花の生産を支えるために、進んで奴隷貿易に投資しました。奴隷を捕獲し輸出したのは、アメリカの資本家だけではありません。それによって利益を享受した、イギリスやオランダも奴隷貿易の恩恵にあずかったのです。そのモラルが問われたとき、人々はさらに巧妙に民主主義やグローバリズムの衣を被りながら、「戦争とビジネス」との婚姻を進めました。そして現在、その婚姻関係の蜜月を享受しようと、新たなツールであるインターネットやAI技術に目をつけているのです。
 
 ビジネスは、人々に幸福と不幸を同時にもたらす諸刃の剣であることを、我々は今まで以上に知っておく必要があるわけです。
 パリ講和会議からちょうど100年経つ今、我々は改めて「戦争とビジネス」との関係に注視するべきなのです。
 

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『The Mark Zuckerberg Story (Facebookを創った男: ザッカーバーグ・ストーリー)
』トム・クリスティアン(著)The Mark Zuckerberg Story (Facebookを創った男: ザッカーバーグ・ストーリー)』トム・クリスティアン(著)

世界を席巻する巨大メディアFacebook創始者マーク・ザッカーバーグ。最新の話題をシンプルな英語で読む!ビジネスシーンで使えるボキャブラリーも満載。
利用者が全世界で増え続ける交流サイト最大手”Facebook”のアイデアは、米ハーバード大学の寮の一室からはじまった。2004年のことだ。その部屋に住む男子学生の名前は、マーク・ザッカーバーグ。数年で巨大メディアを生み出すことなど想像もしない19歳の学生だ。その若き実業家ザッカーバーグの大学時代の活動から、最新の超大型企業買収までを平易な英語で綴る。

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AI時代にJapan Inc.の遺物として立ちはだかる「How to 教育」

“Japan Inc. is a descriptor for that country’s traditional, highly centralized economic system.”

(ジャパンインクとは、日本の極めて中央集権的な経済システムを指す記述である。)
― Investopediaより

変革を拒む日本の「How to教育」

 よく日本人はHow(「どのようにするか」というやり方を問いかける質問)には強いものの、Why(「なぜ」という理由や本質を尋ねる質問)を受けると戸惑ってしまうといわれます。欧米では、教育の基本は子供に「Why?」と質問することを奨励することから始まります。
 しかし日本では、教師に「なぜ」と聞くこと自体めったにないことで、教育はいまだに双方向ではなく、教師から生徒への一方通行で行われています。そしてその教育は、問題の解き方の「How to」を教える教育に終始します。
 
 日本の教育は究極のところ、大学入試に向かうためにデザインされています。
 大学入試制度は戦後、様々な試行錯誤を続け、センター試験の導入などはあったものの、入学試験自体のあり方に根本的なメスを入れることはありませんでした。
 高度経済成長に向けて、そうした教育で育った人材が優秀なビジネスマンや官吏として社会に送り出されました。当時の日本はまだ貧しく、人々はハングリー精神を抱き、成長する経済に挑んでゆきました。
 詰め込み教育と批判されながらも、教育現場にも競争原理が持ち込まれ、そうして育成された人材が、そのままJapan Inc.(株式会社 日本)と世界から評された強力な組織の土台を造ったのです。
 そして、この日本の土台を造った教育が、日本の経済的成功の中で評価され、日本人自身もそれを維持することの必要性を感じていました。
 
 ところが、オイルショックなどと共に高度成長が終わり、低成長時代に入り、社会環境が変化し始めた後も、日本はそれまでの教育方針を時代の針に合わせて変革することを拒んできたのです。
 高度成長の時代までは、塾などの補助教育の機能は、進学校自体が概ね担って優秀な学生を有名校に送り出していました。しかし、その後、その役割を塾業界がビジネスとして担うようになりました。そして、バブル経済の到来です。好景気の波に乗って塾業界も急成長し、大学への進学を考える生徒のほとんどが、何らかの塾に通うことが定例化するようになったのです。その背景には、親の世代の個人所得が以前に比べ大幅に増加したこともあったと考えられます。
 結局、日本の教育は塾などの民間企業と学校などの公的機関との二人三脚で、産業として肥大化し、その結果、組織として教育界全体が迅速に変化することが難しくなりました。
 教育業界は、まさにJapan Inc.の典型例であると共に、その負の遺産の象徴となってしまったのです。
 
 英語教育を例にとってみましょう。
 今、改めて日本の英語教育の質が問われています。しかし、塾も学校も多くの英語教師は高年齢化しています。あと数年変化がなければめでたく定年ということで、わざわざ今求められているコミュニケーション型の英語教育にシフトしてゆくことには極めて消極的です。
 さらに、学校の教員や塾の講師など、教育者自身も、すでに塾世代の洗礼を受けているため、どうしても今のままの受験教育のやり方に固執してしまいます。
抜本的な改革をしようとしても、彼らは原則を変えるノウハウを見出せずに、できる限り現状維持を求めます。従って、変化しなければならない本質を残したまま、微調整だけに終始してしまうのです。
 

AI時代に求められる「人間のコミュニケーション力」

 では、そうした変化しにくい教育現場に突きつけられている日本の課題とは、どのようなものなのでしょうか。
 簡潔にいうならば、AI(人工知能)に取って代わられ必要ではなくなる知識を、日本人は今なお必死に勉強しているのです。そして、AIが人間の生活に多くの変化をもたらしたときに必要とされる教育へのアプローチが皆無なのです。
 数世紀先の世界を考えれば、AIも相当進化するでしょう。しかし、少なくとも今後数十年の状況を予想したとき、AIは情報を学習し、集積し、そのデータをもとに機能してゆくはずです。もちろん高度な計算や状況分析の分野ではAIは相当役に立つはずです。また、自動翻訳のように、言葉の壁を乗り越えた意思疎通の場でもAIは大きく貢献できるはずです。
 
 しかし、いかに自動翻訳が進んでも、人と人とのコミュニケーションは、人間の領域として残るはずです。また、そのコミュニケーションの母体となる、相手への理解と、その理解の原点となる知識を引き出そうとする行為は、人間に所属します。
 であれば、求められる英語教育のみならず、教育全般の将来像も自ずと見えてきます。情報の供給はAIが行うものの、情報源自体の存在を知悉し、それにアクセスする判断と好奇心は人間に属した行為となるはずです。そうした判断力と対応力の育成こそが、教育業界に求められているのです。
 
 例えば、ある国の人と別の国の人とが緊張関係に陥ったとします。その時にまず世界言語である英語を使い、双方がコミュニケーションを促進しようと努めなければなりません。同時に、どうしてお互いが相手にそうした感情を抱いたかという原因を、それぞれが自らの知識の引き出しの中から取り出して、その知識が正しいかどうかを確認するとき、さらに副次的な情報を得るときにAIの力を借りなければなりません。
 その上で、緊張関係を協力関係へと進化させるための行動を選択するための判断を行います。その判断はAIのサポートを得ながらも、最終的には人間が行わなければならないでしょう。
 
 今の日本の教育は、こうしたプロセスを深化させるためのコミュニケーション力、判断力、そして想像力及び創造力を養うことなく、AIが行う情報の収集と習得という覚える行為に、その力の大半が削がれているのです。また、そうした情報源へのアクセスを促す動機を形成するリベラル・アーツ、すなわち一般教養が極めて軽視され、事実の存在を知らないために、そこにアクセスすること自体が不可能な人材が育てられているのです。
 塾や学校は、大学入試が変わらなければ、そうした改革にメスを入れることは不可能といいます。しかし大学側は、学生が入学してきた時点で、教養面、コミュニケーション力や判断力という人間力の側面から、すでに多くの課題を背負っていると批判します。
 
 その結果、社会には、高度成長の時代のエネルギーが冷めきったまま形骸化したJapan Inc.で、組織の歯車としてしか機能できない人間が排出されています。これが、日本人が今世界でリーダーシップをとれず、国力自体が減退している原因なのです。
 そんな日本人が最も得意なことは、組織を可もなく不可もなく安全に運営してゆくことでしょう。社会人の多くが、慎重に責任を負わないように従順であればよいという消極的な動機から、組織全体がコンプライアンスと財務的な安定性のみに注力し、現状維持以外のソリューションを見出せなくなっているのです。しかし、変化のない組織はいずれ淘汰されるのです。
 

「知識を蓄積する」教育から「判断力・創造力を養う」教育へ

 Japan Inc. の遺物にすがる教育を、いち早く是正しなければなりません。暗記偏重のリベラル・アーツ教育から、判断力や思考力を養う糧としてのリベラル・アーツ教育へと、見直しが求められます。その上で英語教育改革をはじめとした、様々な分野での変革を実施しなければなりません。
 AIは「How to」は得意です。であれば、「How to 教育」を脱却し、白紙から何かを創造する空想力やダイナミックな発想力を養える、人間力育成教育へのシフトが必要なのです。
 

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『コミュニケーションのためのやり直し英文法』草野進、スティーブ・リア (共著)コミュニケーションのためのやり直し英文法』草野進、スティーブ・リア (共著)
「会話力アップ」を目的に英文法をやり直そう!
コミュニケーション・ツールとしての英会話力に必要な「50の文法」

中学や高校で学んだ英文法。文章読解や英作文だけに使っていたその文法は、会話をする上でも、やはり大切な要素です。相手が言っていることを間違いなく理解し、自分が考えていることを正確に伝えるために必要な文法を、会話文から実践的に学びます。挨拶程度ではなく、“コミュニケーション・ツール” としての英会話力に必要な「50の文法」をギュっと凝縮して1冊にまとめました。

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“How to see”を忘れた”How to use”の危険性、ナチズムやISISから学ぶこと

 

“Philosophy is the study of general and fundamental problems concerning matters such as existence, knowledge, values, reason, mind, and language.”

(哲学とは、存在、知識、価値、事由、心、そして言語など、一般的で根源的な課題について学習することを意味している)
 
― Gilles Deleuze, Felix Guattari著 – What is philosophyより

「実用」偏重の ”How to use” 型教育へ

 今、学校教育で、大きな過ちが起きようとしています。
 社会の進化に伴って、小学生からプログラミングを習い、英語を学習するという方針にさほど異論を唱える人はいないはずです。私も、今までの文法と読解中心の英語教育には強い疑問をもってきました。それだけに、コミュニケーションのできる英語を教えることは全面的に支持したいと思っています。また、これからの時代についていける人材を育てるためにも、子供の頃からコンピュータ環境に馴染むことも大切かと思います。
 ただ、こうした教育は“How to use”型教育であることを、我々は知っておく必要があります。そして、そうした教育に比重を置く分だけ、もう一方の“How to see”型教育に対しても、重きを置くようにしなければならないと思うのです。
しかし、現実に社会が求めているのは、“How to use” つまり「いかに使うか」という技能を持った人々です。教育現場も例外ではありません。
 
 ここで改めて、“How to use”“How to see”とは何か、ということを解説します。
 スマートフォン(以下、スマホ)を例にとりましょう。スマホにソフトウエアをダウンロードし、様々な人々とコミュニケーションをしたり、データを蓄積したり、楽しんだりすることは、今では誰もがしていることです。このスマホの使い方が“How to use”の一例に他なりません。
 それに対して、こうしたスマホ社会や今後のネット社会、さらにはAI等の進化をどのように捉え、それが人々の生活やものの考え方にいかなる影響を与えてゆくかというテーマをじっくりと見つめることが、“How to see”ということになります。
 今、教育界全体が「実用」を重んじる教育へと変化しつつあります。“How to see”へのアプローチがないままに、“How to use”が強調されようとしているのです。
具体的に言えば、教育現場に英語やコンピュータに関する科目が増えた分だけ、人文科学への比重が軽減されようとしているのです。
 
 例えば、大学教育でみるならば、今ドイツ文学やフランス文学といった学部は、後継者が少なく存亡の危機にあるといわれています。文学を学ぶ人そのものが減少傾向にあるのです。欧米のものの考え方の原点となる、ギリシャ哲学やドイツ哲学なども例外ではありません。そもそも、子供達がじっくりと本を読む機会自体が、少なくなりつつあるようです。Heavy contents つまり、重厚な書籍を時間をかけて熟読し、多面的にものを見つめ、時には社会の常識をも疑ってゆくような思索の訓練が、おろそかになりつつあるのです。問題は深刻で、こうしたアプローチを教育現場で実践するノウハウ自体が、教師の間で枯渇しつつあるのです。
 

目まぐるしい産業の変化、追いつけない人々の意識変革

 ではなぜ、この問題の指摘が必要かということについて解説します。
 この20年間、世界の産業、そして技術は飛躍的に進歩しました。その変化の激しさは、過去に例を見ないものだといっても過言ではありません。私の場合、子供の頃は学校にも家にもキーボードすらなく、全ては手書きの世界でした。それが成人して会社に入り、次第にコピーマシンにファックス、そしてワープロが導入されはじめます。その後、瞬く間にパソコンがお目見えし、メール社会となり、さらには携帯電話が普及する中で、ネットへの知識がなければ何もできなくなりました。
 ところが、そうしたことも既に過去のこととなり、クラウドなどネット上での様々なソリューションが登場し、AIにおいても我々が子供の頃はSFの世界だったことが現実になろうとしています。これらすべてが、最近30年で変化したことなのです。
 
 歴史を振り返りましょう。まず、誰かが新しい製品を発明します。そして、その発明に従って、ライフスタイルが変化しはじめてから、人々は意識をそれに合わせ変革させてゆくのです。さらに、社会制度そのものがその変化を追いかけます。例えば、蒸気機関が発明されたのが1769年のことです。この発明を契機に、先進国では工業技術が飛躍的に進歩し、生産力が向上します。その結果、都市に労働力が集まるようになり、社会構造そのものが変化をはじめました。このように、何かが発明され、社会構造が変化し、それに社会そのもの、さらには人間そのものがしっかりと対応できるようになるには、50年から、時には200年の年月が必要なのです。
 ところが、現在は、蒸気機関の発明に匹敵するような変化が、5年ごとに起きています。人々は消化不良のまま、自らが抱える不安や苛立ちの原因も理解できないままに、新たな商品やシステムへの対応を余儀なくされているのです。
 その結果、“How to see”がなされないまま、“How to use”に特化した技能者だけが珍重されるという、奇妙な現象が生まれているのです。
 
 こうした社会現象は、歴史上過去にはないことです。
 蒸気機関が発明され、資本主義社会が成熟するまでに200年かかりました。蒸気機関がお目見えしたのち、人々は新たな生産社会に適応できず、最初に大企業、大資本と労働者との対立が起こりました。また、そうした変化に対応できない帝政や王政といった旧政治体制への批判も集中し、蒸気機関の発明から150年後、ついにロシアでは社会主義革命が起こりました。その波は中国やベトナム、東ヨーロッパなどに飛び火します。そうした紆余曲折を経て、社会主義を反面教師とした資本主義社会ができあがったのは、ほんの少し前のことだったのです。その過程での消化不良が、ナチズムや日本での軍国主義の伸長といった悲劇にもつながりました。
 では現在、通信のみならず、人々の生活のありとあらゆるところで、これだけ多くの変化が起こりつつある中で、我々は未来をどのように予測できるのでしょうか。蒸気機関が発明されてからの変化と同様に、150年後には今の我々には想像もできない社会システムの中で、人類は生活をしているのでしょうか。民主主義は、そして資本主義は継続できるのでしょうか。あるいは、新たな技術を消化できないままに、ネット世界の影響を受け、中東で一時急速に拡大したISISのような原理主義の脅威に、これからも晒されるのでしょうか。そうした不透明な未来の中で、人権は守られてゆくのでしょうか。
 

求められる「哲学」追求の”How to see”型人材育成

 今、世の中の進化のペースが早まる中で、人々の心の中でその変化とどう折り合いをつけてゆくかという「哲学」が、そのペースに追いつけずにいるのです。さらにそうした“How to see”を地道に追求する人材が、極度に不足しつつあるのです。
 医学でいうならば、心臓の専門、関節の専門など、各分野での専門性が高まり、技術が進歩する一方、体全体、さらには体と心のバランスを鳥瞰しながら人を診察する医師が不足していることと同じ現象が、社会のありとあらゆるところで起きているのです。
 
 哲学者、文学者は、日常と乖離した特殊な世界に生きる者ではなく、我々の日常で起きている全ての事柄を見極める、“How to see”のスペシャリストということになります。
 教育現場で、こうした人材育成の作業、さらには人材開発への投資が、今ほど必要とされている時はないように思われるのです。
 

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『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』日野田直彦 (著) なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』 日野田直彦 (著)

著者日野田直彦は、大阪府で始まった校長の民間公募制で、当時36歳で全国最年少の校長として箕面高校に赴任、4年間の学校経営で数々の実績を出しました。地域四番手だった学校を世界に通用するまでにし、海外トップ大学への進学実績日本一を短期間で達成するなどの大改革はどうやってなし得たのか、その手腕がこの本であきらかに。変化の激しい時代に対応し世界に貢献できる人材を育成するための教育改善と、同時に教師の働き方改革も実践したノウハウを公開します。

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Homo Sapiensは生き残れるのか

“Who was responsible? Neither kings, nor priests, nor merchants. The culprits were handful of plant species, including wheat, rice and potatoes. These plants domesticated Homo sapiens, rather than vice versa. “

(これは誰の責任なのだろう。王でもなければ、聖職者でもない。はたまた商人でもない。犯人は一握りの植物だった。小麦や米、そして芋といったような。これらの植物が人類を家畜化したのだ。我々が彼らをそうしたのではなく)
Yuval Noah Harari 著 Sapiens より

AIの進化に、哲学が追いつかない。
こういう風に懸念する人が多くいます。つまり、科学技術が進歩し、人々の生活様式が大きく変化し、人の寿命までも操作できるまでになった現在、はたして人類はその技術を深化させ、社会を維持してゆくだけの思索力と寛容力、さらに洞察力を獲得できたのだろうかということが問われているのです。
 
この見出しの一文が綴られているSapiensという書籍は、そんな人間の科学技術へのうぬぼれに鋭い視点で迫っています。
人類は自らの行動様式や社会を変革する大きな転機を幾度か経験してきました。
その一つが農業革命です。一万年以上前に人々は植物を栽培することを覚えました。多くの人は、それを大きな進歩と捉えます。ところが、著者はそうした我々の常識に鋭いメスをいれているのです。
 
農業を発明する前、人々は狩猟生活をしていました。
自然の中を、小さな集団で移動しながら食物を得て、共同体を維持していました。では、そんな折に人類を見舞った天敵や天災の脅威や、部族同士の争いを農業が解決し、人々はそれ以上に豊かな生活を満喫できるようになったのかと著者は問いかけます。
農業によって社会が生まれます。そして、人類は豊作不作によって自らの運命が左右されるとき、神に祈り、宗教が規模の上でも組織の上でも影響力を持つようになります。
そして、分業と階級が生まれ社会が膨張します。すると、ほとんどの人は必死で育てた作物を税金で権力者に奪取され、宗教的儀式にも捧げるようになります。以前は獲物を追って必要なときに食事をとっていた人々が、飢饉となるとなす術もなく飢餓の犠牲になるのです。狩猟採集生活をしていた人々より豊かになった人は、ほんの一握りの権力者だったというわけです。
とはいえ、生産は増え、人口も増えますが、その需要に追いつくために、労働はさらに過酷になり、豊かで人口の多い地域は他の部族からの侵略の危機にもさらされました。
 
これが農耕の発明の所産というわけです。
そして、人口が増えるに従って、この負の歯車の回転が加速するために、社会が進化してゆき、それを停止させることが不可能なまま、世の中は変化を続けていったというわけです。
 
しかも、面白いのは、農耕によって、人類が穀物を支配し、自然を支配したように我々は考えがちですが、本当の勝者は穀物の側だったというのです。
例えば、小麦は中東北部に群生していた植物に過ぎないのに、人類によって世話をされ、雑草や害虫を駆除してもらい、収穫のあと種まで保存され翌年に再びよく肥えた土地にそれを撒いてもらいます。種としての小麦はこのように人々を家畜化し、奴隷のように働かせることで、世界中に拡散し、繁茂することができたというわけです。
 
農業革命のあと、18世紀以降の産業革命を経て、さらに人類はIT革命を経験します。人類は今までに到達したことのない文明の渦に巻き込まれています。300年以前の人は、1000年以前の人とそう変わらない生活様式の中で生きていました。しかし、300年前と現在とを比較すれば、その違いは明白です。
 
さて、ここで我々が考えなければならないことは、文明の進化と共に、これからも人類は幸福な発展を遂げられるのかということです。著者は、人類が今や神の領域に至りつつあると強調します。つまり、19世紀の小説『フランケンシュタイン』がAI技術の進歩で可能になろうとしているのです。また、遺伝子などの操作によって、まったく新しい、ホモ・サピエンスではない人類が誕生する可能性もあるのではといわれています。
 
人類がどこまで神の領域に入り込むことができるのか。また、利便性を追求し、情報も電子信号で簡素化された人類同士が、お互いの背景をしっかりと理解し、何か課題がおきたとき、理性と洞察力、そして愛情によってものごとを解決することができ続けるのか。我々に突きつけられた課題は、人類の存続に関わる重大な課題というわけです。
 
人類の誕生以来、地球は過去に経験をしたことのない生命体の大量絶滅に関わってきました。乱獲や家畜化、そして自然破壊は、人類が言葉を操り、社会を形成し始めた頃から加速したといわれています。そうしたツケをこれから人々はどのように支払ってゆくのか。
 
Sapiensの著者ハラリ氏は、中世の軍事を専門とした歴史家です。そんな彼が記した本書は、従来の歴史的事象を細かく記述するのではなく、Homo Sapiensという人類の数万年に及ぶ歩みを鳥瞰し、そこから大胆に歴史そのものを見つめ直すことで、未来学へと視点を拡大してゆきます。
歴史から何を学ぶか。年号や英雄の名前を覚えることが歴史を学ぶことではないことを著者は明白に語っているのです。
 

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先人たちから学ぼう!

『Inspirational Proverbs and Sayings (心に響く英語のことわざ・名言100)』 レベッカ・ミルナー(著)Inspirational Proverbs and Sayings (心に響く英語のことわざ・名言100)』 レベッカ・ミルナー(著)
庶民の生活や知恵から出た社会常識を示す言葉。ビジネスやスポーツ選手の経験からくる事柄の本質をうまくとらえた言葉。そして人生の真実や機微を端的にまとめた先人の言葉。本書で集めた100の名言・ことわざは、現代の生活にも通じ、我々にその教訓や戒めを再認識させてくれるものばかり。100の言葉には意を汲んだ和訳つき。

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