あるバングラデシュのブロガーの死に寄せて
【海外ニュース】
Prominent Bangladeshi-American blogger Avijit Roy killed
(CNNより)著名なアメリカ系バングラデシュ人のブロガー、アビジット・ロイが殺害される
【ニュース解説】
フランスで風刺画を発行するシャルリー・エブドが1月に襲撃され、2月にはデンマークで言論の自由を求める集会を狙った同様のテロ事件がおきました。
そして、2月26日には、バングラデシュで長年に渡り、イスラム社会で言論の自由の抑圧への抗議を続けてきたブロガー、アビジット・ロイ Avisit Roy氏が、首都ダッカで刺殺されるという事件がおきました。彼に同伴していた妻も重傷を負っているといいます。
日本では余り大きく報道されなかったこの事件。実は世界では大きな反響を呼びました。ロイ氏は高名なブロガーで、アメリカとバングラデシュとを往復しながら活動をしていました。彼の死が何故そこまで波紋を広げたのでしょうか。
Secularism という考え方があります。
日本語では世俗主義と訳します。ここでいう「世俗」とは「宗教」に対する言葉で、民主主義の原則を守るために、宗教的権威と政治的な権力 (世俗の権力) は分離されるべきという考え方が Secularism にあたります。
例えば、日本では戦前に神道と天皇の権威とが統合され、政治的な権力と融合されたことで、言論の自由が束縛され、戦争へと進んでいった経緯があります。
ヨーロッパでも、政治的権力とキリスト教の特定の宗教的権威とが融合していたことにより、他の宗教を信ずる人への迫害や、戦争が何世紀にもわたって繰り返され、人々の生活が破壊されてきました。
こうした経験から、民主主義を維持するためには、宗教と政治は分離されるべきという考え方が西欧社会には浸透し、今では常識となったのです。
しかし、この考え方は、イスラム教を信奉する国々ではなかなか受け入れられません。中東の多くの国にはイスラム法が受け継がれ、その常識によって人が裁かれます。ロイ氏はその現実への抗議をブログに綴ってきたのです。
そのロイ氏がイスラム教の過激な信奉者から殺害されたことは、欧米の常識への非道な挑戦と受け取られました。シャルリー・エブドへの襲撃事件が言論の自由への冒涜であれば、ロイ氏の殺害は、言論と思想の自由という近代国家の根本への挑戦として、多くのマス・メディアが反応したのです。
バングラデシュは、人口の9割がイスラム教徒で、残りの1割がヒンズー教徒です。そして中には、国家そのものをイスラム教の教えに従った国に変えてゆくべきだという人々がいて、政治的にも大きな圧力団体を構成しています。
今年にはいっても、そうした勢力によるデモや抗議活動が相次ぎ、政情不安が続いているのも事実です。
アビジット・ロイ氏は、Religious extremism is like a highly contagious virus (宗教への狂信者は、強力な感染力をもったウイルスのようなもの) と、Free Inquiry Magazine に寄稿したりすることで、こうしたイスラム原理主義の動きを強く牽制していました。そして、そのことで「バングラデシュに帰国すれば命はない」という警告も受けていたのです。
CNN は彼の死を悼む特集で、ISIL の影響はバングラデシュにまで及んでいるのかという質問を投げかけていました。
実は、どこの国にも、狂信的な人々はいると答えておきましょう。バングラデシュには、伝統的に混沌とした社会現象の中に、イスラム教が深く浸透しています。ですから、その影響は大きく、政治的にも脅威です。そして、その一部が ISIL と無縁でないかといえば、それは否定できません。
しかし、お隣のインドでも、イスラム教とヒンズー教の対立の中で、双方共に過激な思想に染まっている人々がいることを考えれば、確かにロイ氏のいう、過激な思想のウイルスの脅威について考えさせられてしまいます。
以前、イスラム教を批判した小説を書いたとして、イランの指導者ホメイニより死刑宣告を受け、イギリスに潜伏したサルマン・ラシュディ Salman Rushdie 氏が、Religion, a medieval form of unreason, when combined with modern weaponry becomes a real threat to our freedom.(宗教、その中世的な不条理に近代兵器が付与されたとき、我々の自由が脅威にさらされるのだ)という声明を発表していますが、その言葉をロイ氏は自らの論文の冒頭に引用しています。
そして、彼のブログ Mukto-Mona の表紙は今、We are united in our grief and we remain undefeated(我々は悲しみに団結し、敗北することはない)と英語で記されています。
宗教的な原理主義者が我々に突きつける脅威。これは日本人にとっても対岸の火事ではないのです。アビジット・ロイ氏の活動がどう受け継がれるか、注視してゆきたいと思います。