【海外ニュース】
Saudi women urgently need equal right. Saudi men must step in and embrace these reforms to guarantee our country a bright and prosperous future where all citizens are valued and treated equally.(Arab News より)
サウジの女性は同等の権利を即座に求めている。サウジの男性は、全ての国民が同等に扱われ、国家が繁栄してゆくために、この改革を受け入れ、進めてゆくべきである。
【ニュース解説】
今日は、今回の出張で滞在中のサウジアラビアの新聞のコラムからです。
アラブ地域では改革 (reform) の嵐が吹き荒れています。でも、改革の嵐が、我々が想像する民主化に直接つながっているかというと、単純にはいきません。
アラブの人はコーランの教えを大切にします。実際に、サウジでは老いも若きも、一日に5回のお祈りを欠かしません。しかし、そんな伝統に生きながら、サウジの首都リヤドでは、悲しくなるほどに、古い町並みは消え去って、高速道路とオフィスビル、そしてショッピングモールの世界です。
Nasser Mashari (ナセル・マシャリ) というサウジを代表するジャーナリストと食事をしたとき、伝統を維持しながらも、町を新しくする彼らの心の中にあるものを尋ねました。
「我々が日に五回神に祈る習慣を持っていれば、街が変わろうと問題ないはずです」と、彼はいいます。
イスラム教は偶像崇拝を禁じます。予言者のモハメッドが残したコーランの文章に記された戒律を守り、神に祈ることさえ守り通せば、例え街の姿が変わっても、伝統は守り通せるというわけです。逆に言えば、コーランの教えを守らなくなったときは、イスラムの世界は崩壊してしまうのです。
その時思い出したのが、アメリカン・インディアン Native American の姿。19世紀までは勇壮な狩人であり、戦士 warrior であった彼らは、アメリカが白人によって開拓されるに従って、土地と伝統を失ってゆきました。今、彼らの間にはアルコール中毒がはびこり、多くの人は物質文明に毒され、怠惰のための肥満と貧困に苦しんでいます。部族の伝統 tribal culture を観光産業としながらも、以前の勇壮なインディアンの姿はありません。民族がその背骨 spine を失ったとき、どうなるかという現実を見せつけられます。
サウジの人々は、伝統に固執しつつ、近代化のためにはアメリカとしっかり手を結びます。富裕層の多くは、子弟をアメリカに留学させ、アメリカの産業界とも太いパイプを築いています。しかし、サウジのホテルに滞在すれば、現地の人々は全て民族衣装を着て、女性は黒いベールに覆われているというわけです。しかもこれは国民の義務 mandatory らしいのです。
アラブの春は、20世紀にイギリスなど列強の侵略にさらされ、捻れた末に独裁体制下におかれてきた政治を、アラブ人一般の手に戻そうという動きです。ですから、それは単なる民主化ではなく、本来の伝統への回帰をも意味しているのです。アメリカがそこを見誤ると大きな誤算につながるでしょう。
この新聞のコラムは、そうしたアラブの中の一番繊細な部分に触れています。それは伝統と人権 human rights との対立という問題です。サウジでは女性は車の運転を許されず、婚姻関係のない男女の交流は極端に制限されています。女性は、男性がみだりに魅力を感じないようにベールに覆われており、それはそれで性犯罪を防いでいるという皮肉なメリットはあるものの、女性がおおらかにできないのも事実です。
近代化し、かつ世界に開かれながらも、伝統を維持する苦労。これは今の日本にも突きつけられている課題でしょう。背骨を失いつつある日本人が、アメリカン・インディアンの悲劇に追随しないために、アラブの抱える課題をどうみていくか。考えさせられることは山ほどあります。
早春のサウジは砂嵐が多く、道路には砂丘 dune から砂がさらさらと流れてきます。駱駝に乗れなくなったいまも、それを手放せないアラブの人は、移民を雇って、砂漠に駱駝を飼い、世話をさせています。
アラブの春が日本に語るものを、サウジの英字紙に掲載されたコラムから、まとめてみました。