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70年前の亡霊にくすぶる世界

【海外ニュース】

“Kneeling Hitler” placed in Warsaw’s Jewish ghetto.
(The Jerusalem Post: エルサレム・ポストより)

「ひざまずくヒトラー」がワルシャワのユダヤ人ゲットーに展示

【ニュース解説】

ニューヨークで活動するイタリア人のアーティスト、マウリッチオ・カテラン Maurizio Cattelan が、ワルシャワでの展示会に出品した作品の一つ、それが祈りを捧げるヒトラーの像でした。70年前にユダヤ人を隔離したゲットーのあった、14 Prozna Street のあるビルの中庭にそれは置かれていました。

新年早々重たいニュースだと思われるかもしれません。
しかし、このニュース、今後の日本を考える上でも、目をそらさずに見つめてほしいテーマなのです。
アーティストは風刺アートを手がけることで知られている人。従って、彼はこのヒトラー像に、色々な謎や問いかけを意図して、作成したはずです。
第二次世界大戦中、ワルシャワに住んでいた 35万人のユダヤ人が、ドイツ当局によってほとんど殺戮されたことは余りにも有名です。どんな理由があるにせよ、ヒトラーの顔をここに置くことは許されないと、僅かに生き残ったユダヤ人の子孫は怒りをあらわにします。
また、ポーランドは戦争中にドイツに占領され、ワルシャワは戦争末期に壊滅的な破壊に遭います。従って、ポーランド人にとってもヒトラーは許しがたい人物。怒りの声は一般のポーランド人からも沸き上がりました。

そのヒトラーの像は、ひざまずき、祈りを捧げている像です。
ユダヤ人はひざまずいてお祈りはしない。ということはこの人はカトリックなのかと、遠くから像を見た人は考えます。そしてそれがヒトラーだとわかったとき、ある女性は、Hitler did not have the right to ask for forgiveness (ヒトラーは許しを請う資格はない) と憤ってコメントしたと、同紙は解説しています。ポーランド人はカトリック教徒が多いだけに、そこにさらなる複雑な背景を読み取る人もいるのです。
正に、controversial exhibit (論議を呼ぶ展示) となったのです。

話は変わります。
私が年末年始に大分県別府市に帰省し、老いた母を連れて別府の地獄を観にいったときのことです。
そこの土産物売り場に、旭日旗のTシャツが何枚も売られていました。旭日旗は旧日本軍の軍旗として使用されていたもの。そしてその横をアジアからのビジターが怪訝な顔をして歩いていました。
別府は、立命館アジア太平洋大学などを誘致し、アジア各国からの学生も多く住んでいる所です。日本軍に蹂躙された近隣諸国の人々は、旭日旗に特別な感情を抱いている人も多くいるのです。
そこから、ワルシャワで起きた問題と同様なテーマがみえてくるのは、私だけではないはずです。

ドイツやアメリカといった言論の自由を認める民主主義国家でも、禁じられている行為があります。例えばドイツではナチスをサポートする活動は非合法。アメリカの多くの州では、黒人差別という過去を見つめるために、白人優越主義者団体 KKK などが行う十字架を燃やす行為は、非合法となっています。
もちろん、アーティストの活動や表現に、合法 legitimate か非合法 illegal かというレッテルを貼ることが正しいかどうかは議論の余地が残ります。
ただ、それを見ることによって、過去に厳しい体験をした特定の人々の感情を傷つけかねない事物に対し、我々はもっと敏感になるべきではないでしょうか。
同紙は、マウリッチオ・カテランの行為は legitimate art exhibit (合法的な芸術作品の展示) か、offensive provocation (人に不快感を与える挑発) か、という問いを投げかけていると解説しています。
ただ救いは、この展示が、ニューヨーク在住のイタリア人芸術家のアートとして展示されている点で、一般のドイツ人による行為ではなかったことかもしれません。別府の土産物売り場でみたTシャツとは、そこが大きく異なっています。

去年、中国で抗日運動をテーマにしたテレビドラマが繁茂し、その影響を受けた中国人が反日デモなどに参加しているという報道がありました。実際、中国で空港など公の場に置かれたテレビなどでそうした映像を見ると、旅人として中国人の中にいる日本人は気まずさと恐れを抱きます。私もそんな経験をしたことがありました。同様に、近隣の国々からの旅人は、別府の地獄で不快感と恐れを抱いたかもしれません。

70年以上を経た今でも、第二次世界大戦の亡霊が地球を彷徨って、ドイツや日本の周囲で様々な議論を呼び起こしています。
日本の課題は、この亡霊をいかに見つめ、鎮魂を通して隣国と付き合ってゆくかという宿命を背負っていること。この課題を、ワルシャワの一事件によって再認識させられたという意味で、マウリッチオ・カテランに感謝するべきかどうか。これもまた重いテーマといえましょう。

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