A Chinese surveying team reached the summit of Mount Qomolangma on Wednesday morning to conduct a series of surveys on the pinnacle of the planet.
(中国の調査団が水曜日の朝、チョモランマの頂上に到達。この地球の尖塔について様々な調査を開始する)
― 人民日報英字版 より
世界史の転換点となったグルカ戦争
以前にも少し触れたことがあるかもしれませんが、インドはムンバイに行ったときのことです。ふとしたことから、一緒に出張をしていたアメリカ人がエベレスト山のことについて話を始めました。
すると、それを聞いていたインド人の関係者が、「あれはインドの山だからね」とポロリと話したのです。その言葉を聞いて興味を持った我々は、インド人と会うたびに「エベレスト山はどこの国にあると思う?」という質問をくり返しました。
それに対し、ほとんど全てのインド人が、「そりゃインドに決まっているだろ」と答えるのです。
我々が、エベレスト山はネパールにあって、中国との国境に接しているという事実を彼らに話しても、多くのインド人は笑って取り合いません。
すると、それを聞いていたインド人の関係者が、「あれはインドの山だからね」とポロリと話したのです。その言葉を聞いて興味を持った我々は、インド人と会うたびに「エベレスト山はどこの国にあると思う?」という質問をくり返しました。
それに対し、ほとんど全てのインド人が、「そりゃインドに決まっているだろ」と答えるのです。
我々が、エベレスト山はネパールにあって、中国との国境に接しているという事実を彼らに話しても、多くのインド人は笑って取り合いません。
最近、ネパールでも新型コロナウイルスが流行し始め、多くの人々はそれをインドからの旅行者が持ち込んでいると不満をもらします。そして、ネパール人に比べ、インド人は横柄で大国意識を持っているからと、彼らは批判します。
そこで、あるネパール人に、なぜインド人はエベレストがインドにあると思っているんだろうと尋ねてみました。
すると、その起源は1814年から16年にかけて起こったグルカ戦争にまで遡るんだと答えてくれました。
そこで、あるネパール人に、なぜインド人はエベレストがインドにあると思っているんだろうと尋ねてみました。
すると、その起源は1814年から16年にかけて起こったグルカ戦争にまで遡るんだと答えてくれました。
そこで、この戦争について調べてみると、もとはといえば、18世紀の終わりに当時中国を支配していた清帝国が、自分の勢力下にあるとしていたチベットを支援し、チベットに侵攻したネパール勢を駆逐したことが遠因だったということがわかります。
ところが、その当時インドへ積極的に進出していたイギリスは、清がチベットとともに、北から自分の権益を脅かすことを恐れ、早めにネパールを制圧して自らの傘下に置こうとして、ネパールと起こしたのがこの戦争だったのです。
ところが、その当時インドへ積極的に進出していたイギリスは、清がチベットとともに、北から自分の権益を脅かすことを恐れ、早めにネパールを制圧して自らの傘下に置こうとして、ネパールと起こしたのがこの戦争だったのです。
この戦争の結果、イギリスは当時ネパール王国が維持していた領土の3分の1を削り取り、それがそのまま後にイギリス領となったインドに組み込まれたのです。そして、ネパール自体も実質的にはイギリスの保護国となったのでした。
もともとイギリスには目論見がありました。ネパールの勢力を削れば、そこにあったダージリンをはじめとするお茶の権益も、自国で管理できるようになるのです。いうまでもなく、これはインド産のお茶をイギリスに輸出し、イギリス管理下のインドからはアヘンを中国に輸出して利益を上げようとした、イギリスの世界戦略の図式の中での出来事だったのです。
もともとイギリスには目論見がありました。ネパールの勢力を削れば、そこにあったダージリンをはじめとするお茶の権益も、自国で管理できるようになるのです。いうまでもなく、これはインド産のお茶をイギリスに輸出し、イギリス管理下のインドからはアヘンを中国に輸出して利益を上げようとした、イギリスの世界戦略の図式の中での出来事だったのです。
やがて、イギリスはアヘンの災いに苦しむ清とアヘン戦争を起こし、本格的に東アジアへ進出します。
そして、そうした脅威が日本の開国とその後の富国強兵策の遠因となったことは容易に推測できるわけです。グルカ戦争はそうした世界史の転換点になった戦争ともいえるのです。
そして、そうした脅威が日本の開国とその後の富国強兵策の遠因となったことは容易に推測できるわけです。グルカ戦争はそうした世界史の転換点になった戦争ともいえるのです。
エベレストにかかわるネパール・インド、そして中国
さて、話をエベレストに戻しましょう。
もちろん、エベレスト山のある地域は、グルカ戦争の後もネパールに残り、現在のインドのアッサム地方、つまりダージリンなどのお茶の産地に遠く裾野が広がっています。とはいえ、明らかにエベレストはネパールの山でしょう。
しかし、20世紀になり、第二次世界大戦を経てインドが独立し、大国として成長を遂げて周囲の国々を圧迫する中で、グルカ戦争以来の混乱によるこうした誤解がインドの中に根付いているというわけです。
もちろん、エベレスト山のある地域は、グルカ戦争の後もネパールに残り、現在のインドのアッサム地方、つまりダージリンなどのお茶の産地に遠く裾野が広がっています。とはいえ、明らかにエベレストはネパールの山でしょう。
しかし、20世紀になり、第二次世界大戦を経てインドが独立し、大国として成長を遂げて周囲の国々を圧迫する中で、グルカ戦争以来の混乱によるこうした誤解がインドの中に根付いているというわけです。
この話を聞いていると、現在世界の火薬庫となっている中東のことを思い出します。中東にイギリスが利権を拡張していた20世紀初頭、イギリスはユダヤ系の人にもアラブ系の人にも自立を約束し、対立するドイツやトルコの勢力を削ろうとしたのです。
その流れの延長に、第二次世界大戦が終わった段階でのイスラエルの建国があり、その建国で土地を追われたパレスチナ難民との対立が、その後の中東の混乱の原因となったことは周知の事実です。そして、被害者となったパレスチナ難民やアラブ系の人々は、そのことを今でも忘れずに抗議をくり返していることになります。
その流れの延長に、第二次世界大戦が終わった段階でのイスラエルの建国があり、その建国で土地を追われたパレスチナ難民との対立が、その後の中東の混乱の原因となったことは周知の事実です。そして、被害者となったパレスチナ難民やアラブ系の人々は、そのことを今でも忘れずに抗議をくり返していることになります。
同じように、被害者となったネパールの人々は、グルカ戦争のことを忘れません。
しかし、ヒマラヤ山脈に沿う小さな国家となったネパールに、今そうした過去があったことを知っている人も多くはいないというのが現実です。
そんなときに、今年の5月になって、中国がエベレスト山は中国側の山であるというような記事を発表しました。実際、人民日報などによれば、現在中国はエベレスト山の詳細な測量をやり直しているということで、このことがネパールの人々に新たな不安を与えます。
中国ではエベレスト山のことを、チョモランマ山と呼んでいます。実際、エベレストは中国とネパールとの国境に位置しているのです。
しかし、ヒマラヤ山脈に沿う小さな国家となったネパールに、今そうした過去があったことを知っている人も多くはいないというのが現実です。
そんなときに、今年の5月になって、中国がエベレスト山は中国側の山であるというような記事を発表しました。実際、人民日報などによれば、現在中国はエベレスト山の詳細な測量をやり直しているということで、このことがネパールの人々に新たな不安を与えます。
中国ではエベレスト山のことを、チョモランマ山と呼んでいます。実際、エベレストは中国とネパールとの国境に位置しているのです。
18世紀の終わりにネパールと戦争をしたとき、ネパール軍を駆逐し、一時的に清は自らの臣下としてネパール王を位置づけます。チベットは独立した政権でしたが、すでに清の影響下に置かれていました。
そして、第二次世界大戦後、現在の中華人民共和国が成立すると、中国は軍隊を送り、チベットを正式に中国の一部として組み込んだのです。
これによって、チベットの支配者だったダライ・ラマは亡命を余儀なくされ、チベットの独立をめぐる問題が起こることとなったわけです。もちろん、こうした動きはネパールにも、さらにはインドにも脅威となっていることはいうまでもありません。
そして、第二次世界大戦後、現在の中華人民共和国が成立すると、中国は軍隊を送り、チベットを正式に中国の一部として組み込んだのです。
これによって、チベットの支配者だったダライ・ラマは亡命を余儀なくされ、チベットの独立をめぐる問題が起こることとなったわけです。もちろん、こうした動きはネパールにも、さらにはインドにも脅威となっていることはいうまでもありません。
アジアの勢力図をめぐる緊張は続いていく
さて、中国は清朝当時のこうした領土の拡張をもって、チベットはもとより南シナ海の領有を主張し、現在海洋進出を進めています。20世紀の後半になり、イギリスに変わって世界の覇権を維持してきたアメリカは、こうした中国の動きを警戒しながら、その緊張の中で日本や韓国の立ち位置を見つめています。
そして、インドと中国との間では、中央アジアでのそれぞれの領有権をめぐっていまだに緊張が残っています。21世紀になっても、こうした世界の図式、外交上の緊張はさほど変わってはいないことがよくわかります。
19世紀は、インドと中国の凋落によって、世界の勢力図に大きな空白が生まれ、それを欧米列強が埋めようとした時代でした。
今、この2つの国が再生され強国となったとき、再び18世紀から19世紀にかけての世界情勢を参考にしなければならないような外交事情が、アジアに存在しているわけです。
19世紀は、インドと中国の凋落によって、世界の勢力図に大きな空白が生まれ、それを欧米列強が埋めようとした時代でした。
今、この2つの国が再生され強国となったとき、再び18世紀から19世紀にかけての世界情勢を参考にしなければならないような外交事情が、アジアに存在しているわけです。
海外ではほとんど知られていない、グルカ戦争。それはチベットをめぐった清国とネパールとの対立に始まり、最終的にはイギリスとネパールとの戦争に発展しました。
「エベレストはどこにある山なのか」という質問に、大国はそれぞれの思惑を込めて、「それは我々の山だよ」と笑いながら答えるのです。
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『なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)
価値観の違うメンバーを戦力化するための17のルール!
訪日外国人の数が、毎年過去最高を記録している現在の日本。お客さまが外国人であれば、接客する側も言葉や文化を理解している同国人のほうがいいと考えるのは当然のこと。
しかし、「はたして外国人に、日本人と同じレベルのおもてなしを実践することができるのか」「どうやって、外国人におもてなしの教育をすればいいのか」と、懸念や疑問を持つ現場関係者が多いのも事実です。
本書は、外国人とりわけアジア系人材を、おもてなし提供者として育成する教育方法について、銀座のデパートで実際に行われている事例を取り上げながら、詳しく解説します。