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国際社会におけるイギリスの思いもよらない影響力とは

Crowds line route as Queen’s coffin makes final journey to Windsor Castle

(女王の棺がウインザー城に向け最後の旅に出る沿道を人々が埋め尽くす)
― BBC より

今なお世界に大きな影響力を持つイギリスの象徴

 この記事を書いているとき、イギリスでは、ちょうどエリザベス前女王の国葬が行われていました。
 先週の記事に続いて、イギリスの王室について解説したいと思います。
 というのも、イギリスが世界の覇者で、超大国として君臨していたのは100年も前のことで、もはやイギリスはヨーロッパにある伝統的な国家の一つだと捉えている人が多いのではないかと思ったからです。
 
 しかし、実際にそうなのでしょうか。一つのファクトをお知らせします。
 イギリスが過去に世界に君臨していたときに植民地だった地域の多くは、独立後もイギリスとの紐帯を重んじ、旧宗主国と特別な関係を維持してきました。そうして出来上がったのが、イギリス連邦(British Commonwealth)という国家連盟です。実はその加盟国は56カ国。加盟国の人口をすべて合わせると26億人となり、地球の全人口の3分の1にもなるのです。
 もちろん、加盟国の多くは共和国となり、イギリス国王を元首とはしていません。とはいえ、これだけ多くの国家がイギリスの文化や政治的な影響を大きく受けながら今もなお存在しているという事実を、我々はともすれば見落としがちなのです。
 
 さらに、王室同士のつながりやアメリカのようにイギリス連邦には属してはいないものの、言語や文化のルーツを強く共有している国家を含めると、いかにイギリスが大きな存在であるかを我々は再認識することになります。
 中国に返還され20年以上が経過する香港もそうした中の一つです。中国政府が香港の言論統制に懸命であったのも、香港がイギリスに統治されていたころに育まれた民主主義教育やその風土が、北京の政府にとっては脅威であったからに他なりません。
 そんなイギリスの影響を象徴していたのが、今回他界したエリザベス女王の存在だったわけです。
 

西欧との文化的・歴史的対立のルーツの先にあるイギリス

 もちろん、イギリス国内にも、また旧植民地の国民の中にも、イギリスの王室の存在に懐疑的な人や敵意すら持っている人が多くいることは事実です。特に、戦後イスラエルとの関係、さらにはイスラム教内部の分裂によって争いが絶えない中東などでは、イギリスへの憎悪が根強く残っていることも忘れてはなりません。
 しかし、そうした地域でも、イギリスへの憎悪が時には愛情の裏返しであるという事実が見え隠れすることがあるのです。
典型的な事例はインドです。ご存知のように、インドは19世紀中盤にイギリスの植民地になって以来、戦後に独立を勝ち取ったあとも、イギリスをナショナリズムの矛先として捉え、イギリス人から受けた差別や謀略をテーマにした映画やドラマも数多く作られています。
 
 ムンバイにタージグループのフラッグシップとも言えるタージマハル・ホテルという高級ホテルがあります。ホテルはムンバイの象徴とも言えるインド門という凱旋門の前にあり、その堂々とした容姿で人々を魅了しています。創業者でインドを代表する財閥となったジャムシェトジー・タタがイギリス人による人種差別に反発し、インド人の手でイギリスを凌駕するホテルを作ろうと思い、インド人の誇りとも言えるタージマハルを模して1903年に建設したのが、タージマハル・ホテルだと言われています。
 しかし、今タージマハル・ホテルに宿泊すれば、古き良き時代の英国風のホスピタリティを満喫できます。彼らのプライドはイギリスよりもイギリス的で、洗練されていることにあるような気がしてなりません。それはことタージマハル・ホテルに限らず、イギリスの影響を強く受けてきた地域に共通する文化的風土ともなっているのです。
 
 ここで注目したいのは、こうしたイギリスに代表される西ヨーロッパの文化的風土と歴史的に対立してきた国々が存在することです。その代表はロシアであり、香港や上海という大都市圏を除いた中国です。ですから、世界の政治を民主主義と権威主義の対立と見るとき、我々はともすればロシアと中国がアメリカと対立していると単純に考えがちです。
 しかし、対立する人々の意識のルーツにはイギリスが存在することに思い至る必要があるのです。ウクライナへのロシアの侵略が始まったとき、アメリカと共に最も強い行動に出たのがイギリスだったのは、そうした背景によるものなのです。
 
 前回の記事でイギリスが王室と議会、そして民衆との微妙な緊張によって成り立つ国である実態を紹介しました。そのことはイギリスとイギリスの影響を受けてきた国家との間にも言えることです。
 例えば、イギリスの王室を離脱したハリー王子の妻メーガンはアメリカ人ですが、今彼女はイギリス王室の旧態依然とした風土を暴露する本を出版予定であると言われています。アメリカ人の多くは、そんなハリー王子とメーガンの行動を勇気あるものとして応援します。チャールズ新国王の皇太子妃であったダイアナ元妃が交通事故で死亡したときも、ダイアナ妃に同情する人々が葬儀に参列を、とアメリカからイギリスに押し寄せ、航空機の予約が大混乱となったこともありました。
 しかし、そんなアメリカ人も、イギリスの伝統や王室そのものに対しては憧れとコンプレックスの双方を抱いていることも皮肉な事実です。アメリカ人などに、そうした複雑な意識を抱かせる象徴が、エリザベス女王だったと言えましょう。
 

エリザベス女王の逝去とこれからのイギリス王室のあり方

 こうした目でイギリスの王室を見るならば、エリザベス女王の死去によって、まさに20世紀そのものが終焉したようにも見えてきます。
 そうであれば、大きな支柱を失ったイギリス王室の今後のあり方が、国際政治を左右する世界の世論に微妙な変化をもたらすのではないかとも予測されます。それは、人々の心の中に起こる見えない変化と言えましょう。イギリス連邦という連盟の存在意義そのものも、加盟国の中で議論されるようになるはずです。
 
 今まで、イギリスは二つの外交ルートを持っていました。ビジネスライクに事を進める政府と、人的な絆によって愛憎を愛情に変える役割を担ってきた王室という二つのルートによって、イギリスは見事に世界に君臨してきました。これは日本の皇族にはない、イギリス連邦という巨大なネットワークを有するイギリスでなければ為し得ない外交手腕でした。
 その手綱の重要性を誰よりも強く認識し、実践してきたのがエリザベス女王だったわけです。この役割を後継者となった新国王チャールズが継承できるかどうか。時代の変化と王室のあり方というテーマは、単にイギリスの王室の問題ではなく、世界の政治に打ち寄せる荒波の中での緩衝材のあり方を問いかける重要な課題とも言えるわけです。
 
 新冷戦とも言える現在、イギリスはアメリカだけでは担えない地球にとっての空気のような役割を実践してきました。そんなイギリスの価値を再認識させられたのが、今回の女王の国葬だったとも言えそうです。
 

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