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サン=テグジュペリの生誕120年記念によせて

On the morning of July 31, 1944, two weeks before the Allied landings on the French Riviera, Antoine de Saint‐Exupéry vanished on a reconnaissance mission in the skies somewhere between Corsica and the Rhone Valley. He had been a pilot for a long time; he was a writer, and a good deal of a philosopher.

(1944年7月31日朝、フランスのリビエラに連合軍が上陸する二週間前、アントン・ドゥ・サン=テグジュペリはコルシカとローヌ峡谷の間の空中で、偵察任務の最中に消息を絶つ。彼は長きにわたってパイロットであったが、同時にライターで、そして素晴らしい哲学者でもあった。)
― 1944年7月31日 ニューヨーク・タイムズ より

分断が広がる世界で『星の王子さま』が語ること

 今、世界はコロナウイルスに侵され、貧富の差、人種の対立、そして宗教の対立と、人間社会にいくつものひびが入っています。
 お互いに、譲りあい語りあうことを忘れ、それぞれが自らの主張を正当化する情報だけに埋没し、分断はますます広がっています。
 
 そんなことを考えていたとき、ふと思い出したことがありました。
 それは、子供の頃に読んだ名著『星の王子さま』のことでした。
 実は、1900年6月29日、つまりちょうど120年前の昨日、この小説を書いたサン=テグジュペリが誕生しました。
 彼はフランスの名門貴族の子どもとして生まれ、飛行機乗りとして一生を終えました。
 第二次世界大戦が始まって、フランスがドイツに占領されると、一時ニューヨークに避難し、そこで『星の王子さま』を書き上げました。
 刊行したのは1943年のこと。その直後に彼はヨーロッパに戻り、偵察機に乗ってドイツ軍を探索している最中に戦闘機に撃墜され、44年の生涯を閉じています。
 
 『星の王子さま』は、ともすれば学校の課題図書のようなイメージを与えてしまいます。どちらかというと女性の読者が多く、フランス語を学ぶ人にとっては最初に手にする本かもしれません。
 
 しかし、作者であったサン=テグジュペリは、この短編が学校教育の課題図書になるなどとは思っていなかったはずです。
 彼は、終生空を愛し、パイロットとして生き、そして死んでゆきました。
 特に、1920年代から30年代のはじめにかけて、まだ航空技術も気象学も十分に発達していなかった頃、双発機でフランスから西アフリカに、そして一時は南米各地を飛び回っていました。職業は航空郵便の配達です。
 
 当時、パイロットは風を読み、時にはいきなり変化する天気と戦い、無蓋の飛行機から地上や雲を眺めながら操縦をしていました。何度も不時着をし、九死に一生を得ています。
 『星の王子さま』も、リビアの砂漠に墜落し、何日もさまよった挙句、奇跡的に砂漠を旅する隊商に救出されたときの思い出をもとに、書いた小説です。
 

終生空を愛した、サン=テグジュペリの生き様

 彼の生き様は、現代を生きる我々に多くのことを語ってくれます。
 1930年代は今とまったく同じように、社会が分断され、右翼と左翼とが争い、政治も混乱状態でした。
 コロナで経済が壊滅的な打撃を受けている現在と同じように、1929年に起こった世界恐慌を契機に、世界の国々は自国の利益を守ろうと必死になり、人々はそうした国家の中で、海外に敵をつくりながら漠然と戦争への不安を抱いていました。
 
 サン=テグジュペリは、人を政治的なテーゼや経済的な外見で判断する世の中を嫌いました。なぜ人は人を数字で判断するのか、と問いかけました。
 「おいくつですか?年収は?何年の卒業ですか?成績は何点でしたか?」
 こうしたことが人を見極める尺度になることに、強い不信感を抱いていました。
 
 彼は、飛行機の操縦の中毒者と言ってもよいほど、空を愛していました。
 雨や風に自分の運命を預け、自然に挑みながら飛び続けました。ですから、戦争が近づき、人が社会に管理されるようになることに、パイロットとして最後まで抵抗しました。貴族出身で別の人生を歩むことも可能でした。また、作家として有名になれば、あえてパイロットを続ける必要もありませんでした。
 しかし、彼はそんな人生を選ばず、常に空へと帰ってゆきます。
 
 離陸すれば、スケッチブックを広げて空想にふけり、地上との通信をやめ、ヘッドフォンは頭痛がするだけだと、時には窓から放り投げることもありました。航空規則に管理される飛行に最後まで抗ったのです。
 
 そんな破天荒な作家でしたが、サン=テグジュペリはなぜか軍隊でも民間機の会社でも周囲から好かれ、事故を起こしても懲罰を受けることすらなかったのです。そのあまりにもストレートな生き様に、文句を言う上官や上司が、しまいには彼のファンになってしまいます。
 
 現在、世界はサン=テグジュペリの生きた時代とは比べものにならないほど管理されています。「人は管理されないと不安になる」という心理学者の予言通り、個人情報の保護に始まって、息をする隙間もないほど規則に縛られ、それを当然のこととして誰もが生きています。
 そして、その疎外の中から人々の分断が進み、人間が人間らしく打ち解けることができにくくなっています。
 

「一番大切なものは、目に見えない」

 サン=テグジュペリは、そうした世界の変化の兆しを、パイロットという職業の中にも感じ取り、それに抗う生き様を何度も小説にして発表したのです。
 そして、その人生の最後にまとめたのが、ほんの1時間もあれば読み上げられる『星の王子さま』だったのです。
 童話として語られるこの詩のような小説は、実は彼の人生の最後に、人間が生きることへの思いを綴った哲学書だったのです。
 ニューヨーク・タイムズが彼の死亡を伝えたとき、パイロットで作家、そして哲学者と書いた絶妙さに脱帽です。
 
 そんなことを考えながら、彼の一生を追いつつ『星の王子さま』を読み返してみると、我々が忘れていた目に見えないことを見ることの大切さ、そして、行き詰まりそうになっている現代社会の悲哀が心に広がってくるのです。
 

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『The Little Prince 星の王子さま』サン=テグジュペリ (著)、寺沢美紀 (訳)The Little Prince 星の王子さま』サン=テグジュペリ (著)、寺沢美紀 (訳)
「お願い、ヒツジの絵を描いて……」砂漠に不時着した「僕」の前に現れた、不思議な男の子。それは、故郷の星を離れ、6つの星々をめぐって地球にやって来た、小さな王子さまだった。ヒツジの絵を描いてあげた僕は、王子さまと心を通わせ、次第に忘れかけていた大切なことを思い出していく。飛行士として、人間と大地を真摯に見つめ続けたサン=テグジュペリが、私たちに残してくれた贈りもの。心に沁みる宝物のような言葉たちが、やさしい英語で、今新たによみがえる。

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