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ポピュリズムの原動力となる予定調和へのヘイトとは

Several recent attacks have not been charged as hate crimes, fueling protests and outrage among many Asian Americans.

(最近の暴行がヘイトクライムとみなされないことに、多くのアジア系アメリカ人は怒りを感じ、抗議をしている)
― New York Times より

国際政治の外交原則として機能する「予定調和」とは

 今、アメリカでアジア系の人々へのヘイトクライムが問題となっています。
 この問題の遠因はどこにあるのでしょうか。それは、ポピュリズムが生み出した負の遺産ではないのでしょうか。
 その因果関係について、歴史上の教訓から少し深く掘り下げてみたいと思います。このヘイトクライムが、トランプ政権下での米中関係という国際政治の問題と無縁ではないからです。
 
 国際政治を読み解くとき、我々は表面で交わされているメッセージの向こうにある、国家間の利害や目的を常に意識しておかなければなりません。それは常にプロの政治家、そして官僚によって設定された、いわば碁盤の上での真意の読み合いといっても過言ではありません。
 そのときに、我々がともすれば忘れがちになるのが、欧米で数百年にわたって培われてきた「予定調和」という考え方です。
 予定調和の元々の意味は、一見すると無関係な全てのものが神という高次元の世界の中で、実はしっかりと調和を保っているという考え方です。
 
 実は、近代史は国際政治にその考え方を当てはめることによって、大きく進歩してきたのではないかと思われます。
 例えば、中世までは戦争は徹底した殺戮の繰り返しでした。他民族に攻められた国家は本当に滅亡し、人々は命も財産も奪われていました。
 しかし、そうした殺戮への反省から、近代では戦争ですら外交交渉における究極の手段となり、勝者と敗者とは最終的に交渉をし、降伏する条件を決め、時には敗者の主権も守られるようになりました。植民地となった場合であっても、中世以前に見られる国家を消滅させるようなジェノサイドは稀にしかありませんでした。勝者は敗者側に、交渉のための組織や代表を残存させ、条件を話し合うのです。
 
 1648年、三十年戦争といわれたヨーロッパ全体を巻き込んだ戦争が終結したときに、この考え方がウェストファリア条約という名前で初めて実現したのだという歴史家が多くいます。
 実際、この条約は世界初の多国間条約として、その後のヨーロッパ社会での外交のあり方の原点となりました。
 以来、外交は全て最終的なゴールを暗黙に意識しながら、そこに向かってお互いが様々なパフォーマンスを繰り広げ、着地点をどこに設定するかという前提で交渉を進めるようになったわけです。
 欧米ではそうした予定調和の原則が機能し、戦争をしても常に外交の糸を引きながら、お互いの最終的な立ち位置を模索することが常識となってきたのです。それには、辣腕な外交官や官僚たちの老獪なかけ引きが必要不可欠でした。
 

予定調和が生み出す政治不信と「ポピュリズム」

 さて、そんな予定調和が崩壊するとき、世界はバランスを失い、混沌に陥ります。
 複雑に張り巡らされた予定調和の糸がもつれ、国際関係を保てなくなったことで第一次世界大戦が起こりました。そして、その後に勃興したファシズムによって、第二波ともいえる第二次世界大戦も起こってしまいました。この二つの波で、以前の予定調和による体制が崩壊し、新たなバランスのとり方を人々は模索したのです。
 新たな秩序には原則も必要です。その原則が基本的人権を尊重することと、人種差別を撤廃することへとつながりました。内政はともかく、少なくとも外交ではこうした概念が建前として使われるようになったのです。
 
 過去の残酷な戦争への教訓から、新しい予定調和の方程式を見直したことが、冷戦時代から現在に至る欧米での外交上の常識を構築したのです。法治国家同士が、さらに国際法によってお互いの究極の利益を保護できるように、様々なノウハウを培ってきたのです。
 しかし、1648年以来、鍛錬を重ねてきた欧米の外交哲学に、日本など新たにそのクラブに入ろうとした国家は、時に翻弄されてしまいます。その傾向は今でも変わっていないように思われます。
 
 このノウハウは、プロの政治家になるために必須の知恵であるといっても差し支えありません。拳を振り上げながら、常にお互いが落とし所を探っていることを知っている、という冷静に見つめ合うかけ引きが求められるのです。
 しかし、この予定調和を前提にしたプロの世界は、常に一般市民との間に疎外を生んでしまいます。プロの世界とそうでない世界との意識や情報の隔絶が、疎外をより深刻にし、人々は政治不信に陥ります。
 
 不信がさらに深刻になったとき、人々はポピュリズムに流され、予定調和が機能しなくなるのです。
 ヒトラーはそんな大衆心理をよく心得ていた独裁者でした。トランプ前大統領やブラジルのボルソナーロ大統領も同様です。
 ポピュリズムの範疇に入る指導者に共通していることは、通常の政治の世界では予測されない極端な行動や言動にあります。プロの政治家による予定調和をあえて破壊することで、人々は鬱憤を晴らし、喝采を送るのです。
 

アジア系へのヘイトクライムに見る現代社会の矛盾

 前置きが長くなりましたが、現在アメリカで横行しているアジア系に対するヘイトクライムは、そんなポピュリズムが残した負の遺産といえましょう。
 例えば、予定調和を重んずる政治家が越えられない一線を意図的に無視して、トランプ前大統領がコロナウイルスを「チャイナウイルス」と呼んだことで、人々が「よくぞ言ってくれました」と歓迎し、その後のアジア系の人々へのヘイトクライムの原点となったのです。アジア系の人々への基本的人権の侵害や人種差別を、ポピュリズムが触媒となって加熱させたのです。
 
 日韓関係も同様です。お互いに政治家が国内の支持を拡大するために、本来意識すべき予定調和を無視して感情論に走ったことが、両国関係に後戻りのできないヒビを入れてしまいました。日本でも「嫌韓」という言葉が社会問題になったのは記憶に新しいはずです。数百年の経験に基づく欧米流の老獪さを持てない両国は、拳を上げたまま硬直してしまったのです。
 
 しかし、一方で、こうしたプロによる予定調和の繰り返しとパフォーマンスが、本当に価値のあるものかという疑問が残ることも忘れてはなりません。戦争ですらゲームのように捉え、外交をあたかもチェスと同様に考える人々への批判があることも理解できます。
 
 人類の歴史は、分業の歴史といっても過言ではありません。
 社会が複雑になればなるほど、文明が発展すればするほど、個人の能力では社会を維持できなくなり、専門職が必要不可欠になってしまいます。
 皮肉なことに、政治や国際政治も専門職が管理する業務となってしまいました。しかし、それでいながら、他の専門職とは異なり、政治のあり方が人々の生活に深い影響を与える現実のせいで、分業社会の中で政治家や官僚がヒエラルキーの頂点に置かれていることが、現在社会の大きな矛盾となっているのです。
 
 であればこそ、「公僕」という意識や「国民主権」という概念の本質を、我々は今しっかりと見つめ直さなければならないのです。
 それが、ポピュリズムに傾斜した社会によって人々が刺激を受け、対立と憎悪、そして差別や偏見の波に流されない唯一のブレーキになるのではないかと思うのです。
 

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『日英対訳 武士道』新渡戸 稲造 (原著)、増澤 史子 (英語解説)日英対訳 武士道』新渡戸 稲造(原著)増澤 史子(英語解説)
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