C is dull bronze in color-while J is lighter-more on the lemon-yellow side. C’s eyes are set like any European’s or American’s -But have a marked squint…J has eyes slanted toward his nose.
人種差別が根深いアメリカでうねりを起こした中根中
この日、アメリカのデトロイトで大規模な黒人暴動が起こりました。当時、デトロイトは戦争を遂行するための軍需産業の中心地となり、そこにあった自動車産業の多くが生産拠点としていました。
当然、仕事を求めて全米から人が集まり、工場労働者となったのです。そして、仕事を求める白人と黒人との間の緊張も高まりました。当時の大統領フランクリン・ルーズベルトは、工場での人種差別を撤廃する大統領令を出してはいましたが、実態はというと、賃金や待遇、さらには雇用においても白人が優先され、増加する人口の中で住宅も不足していたため、黒人の生活苦は深刻でした。そうした憤りが爆発したのが、デトロイトの暴動だったのです。
2018年5月24日、ほぼ2年前のブログで中根中(なかね なか)という人物を紹介したことがありました。彼は当時FBI(連邦捜査局)にスパイ容疑で拘束され、収監されていたのです。
中根は、1870年大分県の杵築(きつき)市生まれ。その後渡米し、日系人をはじめとしたアジア系の人々への差別、さらに黒人への差別に対して立ち上がり、黒人の活動家にも大きな影響を与えたのです。
なんと彼は、10万人規模の非白人系の人々を動員する力とネットワークがあり、第二次世界大戦が始まると、FBIは彼が日本の諜報機関に属してアメリカ国内で社会不安を助長しようとしていたのではないかと疑ったのです。その真偽はわかりません。しかし、それほどまでに中根中のネットワークは巨大でした。
彼は、その後釈放されデトロイトで没していますが、それはちょうど第二次世界大戦が終わった1945年のことでした。
アメリカは移民社会だけに、常に人種同士の軋轢による事件が起こり、その度に人々はその軋轢を乗り越えようと声を上げます。中根中は、そんな人種差別撤廃のうねりを最初に起こした重要な人物だったのです。
「大東亜共栄圏」を掲げた日本のアジア侵略と歴史の皮肉
しかし、実際には日本がアジアを侵略し、それを正当化するためのスローガンだったのです。アウンサン将軍も結局日本に失望し、反日運動へと翻っていきました。
大東亜共栄圏を鵜呑みにして、黒人運動を煽ったのではという疑念がないわけではありません。しかし、アメリカの黒人活動家が彼のことを信頼し、様々な活動の影に常に彼の存在があったほどに、FBIも恐れマークを続けていたのは事実です。
こうした事実の中に、我々は時折やり場のない歴史の皮肉を感じてしまいます。
スローガンとしての大東亜共栄圏が、もし政治的なものではなく、心からアジアの独立と人種の平等を謳っていたのであれば、それは確かに一理あるテーゼであったはずです。アメリカでは戦前から日系人や中国系移民への根深い差別がありました。そして、戦争が始まると日系人が強制的に収容所に入れられたことも、史実として知られています。
中根中が生きていたのは、そうした時代のアメリカでした。そして、戦争によってたまたま日系人がアメリカ社会で厳しい差別にあったものの、その根幹にある課題は、アジア系やアフリカ系といったあらゆる有色人種への偏見にあったことは、否めない事実です。
77年前の今日に思いを巡らせ、今の社会を考えること
その9日前には、いわゆる “D-Day” として語り継がれているノルマンディー上陸作戦が決行されています。つまり、1944年6月は連合国軍側が日本やドイツに対して、本格的な攻勢を開始した月だったのです。
サイパンの戦いは24日間に及びますが、そこで日本軍は全滅し、自決者や一般の市民も含めると3万人から4万人近くの犠牲者を出してしまいました。
この延長に、一年後の沖縄戦で、8万人の軍人と12万人にものぼる民間人の犠牲者を出してしまう悲劇が起こるのです。さらに、こうした激しい抵抗に直面したアメリカ側は、日本本土への上陸による戦争の泥沼化を恐れ、広島と長崎に原爆を投下することになってしまいます。
インドのラダ・ビノード・パール判事です。彼は他の判事が日本の戦犯を一方的に裁くことに終始懐疑的で、裁判の後にその気持ちを「パール・ノート」と呼ばれる独自の判決文に記し、暗にアジア系の人々への偏見に対する憤りを表明しています。
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『I Have a Dream!』
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)
生声で聴け!世界を変えたキング牧師のスピーチ(日英対訳)
1955年、バスの白人優先席を譲らなかったという理由で逮捕された男性がいた。この人種差別への抗議運動として知られるモンゴメリー・バス・ボイコット事件を契機に、自由平等を求める公民権運動がにわかに盛り上がりを見せた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはこの運動を舵取りし、そのカリスマ的指導力で、アメリカ合衆国における人種的偏見をなくすための運動を導いた人物である。「I have a dream.」のフレーズで有名な彼の演説は、20世紀最高のものであるとの呼び声高い。この演説を彼の肉声で聞き、公民権運動のみならず、現在のアメリカに脈々と受け継がれている彼のスピリット、そして現在のアメリカのビジネスマネジメントの原点を学ぼう。山久瀬洋二による詳細な解説つきで、当時の時代背景、そして現代への歴史の流れ、アメリカ人の歴史観や考え方がよく分かる1冊。