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ショパンの「革命のエチュード」から東京2020オリンピックへ

Dina Asher-Smith has backed the relaxation of rules around athlete protests at the Tokyo Olympics, calling protest “a fundamental human right”

(ディナ・アッシャー=スミス選手が、東京オリンピックでの「基本的な人権」への抗議についてのルールを緩和すべきだとする選手の抗議をサポート)
― BBC より

オリンピック期間の報道から感じる見えない政治の圧力

 東京オリンピックの真最中、世界のメディアはオリンピックについて様々な報道をしています。
 まず、欧米のメディアが最も取り上げているのが、このオリンピックが日本の世論を二つに分け、コロナ禍の中での開催に反対している人も多くいるという事実です。次に、日本のオリンピックへの膨大な財政支出への懸念。そして最後に、この暑さ。月曜日のBBCでは、なぜ選手のパフォーマンスに影響さえ出かねない最も暑い時期にオリンピックを行わなければならないのかという事実を、アメリカをはじめとしたプロスポーツとのスケジュールの兼ね合いを理由に取り上げていました。
 
 海外のメディアは概ね、開会式のパフォーマンスそのものには好意的で、コロナによる制限の中でのユニークな開会式を称賛する声も多くありました。
 一方で韓国のメディアは、やはり自国の視聴率を上げるためか、コロナによる隔離など異常な状況下での開催は日本の選手に有利ではないのか、という批判を色々な視点で取り上げています。
 
 課題は、日本はオリンピックが始まるや否や、日本選手の活躍だけにほとんどのメディアがフォーカスし、あたかもこれらの課題がなかったかのように、大会を盛り上げることに集中していることかもしれません。
 
 さらにもう一つ言えることは、この1か月間に世界情勢が目立って混沌としてきていることで、世界の主要メディアはそちらの報道にも時間を割くため、相対的にオリンピック報道のインパクトに影響が出ているようです。
 
 まず、アメリカが軍隊をアフガニスタンから撤退していることで、アフガン情勢は極めて不安定になり、イスラム原理主義を掲げるタリバン勢力が目立って拡大してきています。これは世界を不安に陥れる大きな要因です。
 次に、中国が政権の安定をアピールするために、習近平氏が少数民族の問題で揺れるチベットを訪問し、国家のまとまりを世界にアピールしようとした事実もありました。そして、これを受けて、少数民族の人権が守られていない中国で次期冬季オリンピック開催を再考するように、アメリカの超党派議員が活動を開始したというニュースも大きく報道されています。
 さらに、ドイツを中心としたヨーロッパでの気候変動による洪水や、フィリピンでのドゥテルテ大統領の任期満了による辞任など、世界で今起こっている重大ニュース、そして我々の未来に影響を与えているニュースが、オリンピックと重なっている中で、日本ではそうした現実がなぜか外のことのように放り出され、オリンピックのお祭り報道の毎日であることも気になります。
 
 日本政府としては、このお祭りを通して、それまでの現政権に対するコロナ対策やオリンピック開催問題での批判を、あたかも台風一過のように吹き飛ばして選挙に結びつけたいのかもしれません。メディアや選手にも、オリンピック関係者にも、こうした意図を批判できない暗黙の力が働いているのでしょう。
 例えば、民主主義国家ではありながら、オリンピック参加を選手が辞退した場合、その選手は実際のアスリートとして、様々な場面から疎外されてしまうのかもしれません。それはマスコミも同様です。中国のように公然とはしていないものの、日本にも明らかに目に見えない政治の圧力があり、それが強化されつつあることに我々は緊張感を持つべきです。
 
 ここで取り上げたいのが、ヘッドラインでのイギリス選手のコメントです。
 スポーツと音楽は国境を越えて平和を、というスローガンがあります。
 しかし、権利を求めて戦う人にも、国家の威信を拡大する権力者にも、スポーツと音楽は常に活用され、利用されてきた現実があるのです。
 

芸術家やスポーツ選手が自分たちの意思を表明すること

 ここで少し話題を変えて、ショパンのピアノについて語ります。
 この記事を発表する7月27日。ちょうど191年前(1830年)のその日にフランスで7月革命が起こり、ナポレオンの失脚以来続いていたフランスの王朝が再び打倒されたのです。
 一方ショパンは、祖国ポーランドがロシアに席巻されていることに心を痛めていました。その年の11月にポーランドで起きた市民の蜂起に、ショパンは7月革命で民主化されたフランスが支援を送るのではと期待したものの、それがなかったことにとても失望したと伝えられています。
 それから間もなく、1831年に彼がウィーンで発表した「革命のエチュード」は、そうした彼の思いが詰め込まれた作品です。その後、フランスで活動を始めたショパンは、終生ポーランドをモチーフにした作品を発表し続けます。彼の美しい旋律は、彼の祖国の置かれている現状への怒りと悲しみから生まれていることを理解することが、ショパンを知る大きなヒントとなります。
 
 なぜ、このことを書いたかというと、芸術家やスポーツ選手がしっかりとした政治的なスタンス、一市民としての意識を持つことがいかに大切かということを示したかったからです。以前は、例えば1968年のメキシコシティーオリンピックで、アメリカの黒人選手トミー・スミスとジョン・カーロスが、黒人差別に抗議して黒い手袋をし、拳を掲げて表彰式に臨んだことがありました。これを機に、アメリカで起きている黒人差別への関心が世界に広がり、アメリカでの公民権運動の拡大にもつながりました。
 そして今回、イギリスの陸上選手ディナ・アッシャー=スミスが、意思表明することは基本的人権だとして、IOCがオリンピックでの政治的な抗議活動を禁止していることに対して正式に異議を申し立て、それが多くの参加選手の賛同を得ていることが、欧米では大きく報道されているのです。
 
 ショパンやトミー・スミス、あるいはディナ・アッシャー=スミスの行為は勇気あるものと言えましょう。判で押したように「(コロナ禍の中ですが)ただ頑張って国民の皆様に勇気を」という日本選手のコメントは、何か共産主義国での無言の圧力に屈したコメントに通じるものがあります。コメントに多様性や個々の考えが見受けられないのです。
 
 今回の開会式では、1972年にミュンヘン大会でのイスラエル選手襲撃事件によって命を落とした選手への黙祷が行われました。パレスチナ問題の複雑な背景を知る人は、テロ行為で命を落とした選手への黙祷には敬意を示しながらも、そこに女性差別などで批判を受けた日本による欧米へのアピールを、日本政府が意図したのではと危惧します。これは皮肉にも、オリンピックの政治利用に他なりません。
 そして、世界の主要国も、明らかにオリンピックを政治的に利用し、自国のスタンスや国威、そして内政の安定のための特効薬へとつなげています。
 それでありながら、ショパンからディナ・アッシャー=スミスへとつながる芸術家や個々のスポーツ選手の意思表示には、常に強い制限がかけられているのです。
 

自分の意思を語れなければ、世界との交流はできない

 日本人は、個人が政治を語ることを極端に忌避します。個人が自分の意見を持てず語れない国、日本は、世界の個人と交流ができません。
 オリンピックと政治の課題を通して、お祭りが単なるポピュリズムに利用されないためにも、こうしたテーマを我々はもっと真剣に考えるべきなのです。
 

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『日英対訳 世界の歴史
A History of the World: From the Ancient Past to the Present』山久瀬 洋二 (著)、ジェームス・M・バーダマン (訳)日英対訳 世界の歴史
A History of the World: From the Ancient Past to the Present

山久瀬 洋二 (著)、 ジェームス・M・バーダマン (翻訳)
受験のためではない、現在を生きる私たちが読むべき人類の物語
これまでの人類の歴史は、そこに起きる様々な事象がお互いに影響し合いながら、現代に至っています。そのことを深く認識できるように、本書は、先史から現代までの時代・地域を横断しながら、歴史の出来事を立体的に捉えることが出来るように工夫されています。 世界が混迷する今こそ、しっかり理解しておきたい人類の歴史を、日英対訳の大ボリュームで綴ります。

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