Long an outspoken critic of US cultural ignorance of Asia, especially Japan—this failure to understand Asian affairs Reischauer contended led directly to US political failure in the area.
今夏亡くなった長年の友に思いを馳せる
コロナ禍の中でのオリンピック開催で世間が騒がしくなっていた7月のはじめに、一人のアメリカ人が癌のため他界しました。
マイケル・ブレーズ、77年の生涯の大部分を日本で過ごし、編集者、翻訳者、著者として活躍していました。
私との付き合いは80年代の初め頃からで、すでに40年の月日が流れていました。
彼と最後に会ったのは3年前のこと。航空会社の協賛で、日本橋の江戸文化を英語で紹介するプロジェクトに関わったときでした。
その後も、私自身が本を書くときは彼の時間が空いている限り、英文訳をお願いしたものです。9月も半ばを過ぎた先週の金曜日に、ふと彼のことをしみじみと思い出すできごとがあったのです。
ジョンはメールで、彼の先輩にあたる人物が森有正のエッセイを翻訳したので、それを出版する権利について問い合わせてくれないかと依頼してきたのです。
ベトナム戦争を忌避したアメリカ青年の歩み
クリスチャン・ポラックが来日したのは1971年のこと。当時はベトナム戦争の末期で、アメリカから多くの若者が徴兵され、ベトナムのジャングルでの過酷な戦争に苦しんでいたときでした。ベトナム戦争へのアメリカの介入に反対する反戦運動がアメリカ中に広がり、日本にもベトナム戦争はアメリカの侵略行為だとして、反戦運動を支援する若者が多くいたのです。
彼らは、アメリカ軍を離脱したり、徴兵を逃れ、軍紀違反として追われているアメリカ人の若者を匿ったり、といった活動も積極的に行っていました。沖縄からはB52爆撃機が毎日のように、ベトナムの熱帯雨林にナパーム弾を投下するため離陸していました。アメリカ軍はベトナム兵のゲリラ活動を抑え込むために、枯葉剤も散布して森林を破壊します。その結果、ベトナムでは奇形児が産まれるなどの被害があり、有名な結合双生児ベトちゃんドクちゃんの存在は世界に衝撃を与えました。
文学の編集が彼の担当で、昭和に活躍した日本の作家の作品の多くが彼の手によって海外に紹介されました。私も会社の後輩としてマイケルとは親しく交流していたのです。私にとっては温厚で朗らかな先輩でしたが、他のアメリカ人の同僚によると、お酒の席などで、いきなり感情的になる側面もあったとのことでした。
彼はのちにアメリカへの帰国を許され、故郷に一時帰国したこともあったと聞いていますが、終生日本を離れることはありませんでした。
日本と欧米とをつなぐ人の糸を切らさないために
しかも、日本の戦後を語り、ベトナム戦争や冷戦の確執を体験した目で現在を語れる人が一人、また一人といなくなろうとしているのです。
ライシャワーは、右や左、貧富などの格差を超えた人脈づくりが、その国を理解し、付き合ってゆくためには必要だと、よく語っていました。こうした広いネットワークをもつ人こそが、単にビジネス上の交流を超えた理解を促し、それが最終的にはビジネスや外交での利害にも返ってくるのです。自らの所属する会社や団体という狭い世界を超えた人脈とネットワークの広さは、それ自体がお金には代えられない資産です。その資産を海外にも伸ばすことのできる人が、今の日本には特に必要です。
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今回の記事に登場したジョン・ギレスピー氏のインタビュー動画を紹介します。カジュアルな英語を話したい、リスニング力を上げたい人は、ネイティブが話すリアルな日常英会話をぜひ聞いてみてください。在宅ワーク中の聞き流しにもおすすめです。⇒動画はこちらから
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『完璧すぎる日本人』
山久瀬 洋二 (著)、マイク・マニーア (監修)、マイケル・ブレーズ (訳)
なぜ日本人は世界中で「扱いにくい」と評価されてしまうのか?なぜ、韓国や中国にビジネスを奪われてしまっているのか?
「トヨタのリコール問題」を例にとりながら、異文化環境でのビジネスの困難さを浮き彫りにし、日本と世界の仕事の進め方に対する価値観の違いをひもとく。もうこれ以上「曖昧な日本人」と言われないために。
欧米をはじめ、日本・中国・インドの大手グローバル企業96社4500名の異文化摩擦を解決してきたカリスマ・コンサルタントによる「英語で理解し合う」ための指南書第3弾!