Instead, we agreed that we would settle for the borders that we inherited, but we would still pursue continental political, economic and legal integration. Rather than form nations that looked ever backward into history with a dangerous nostalgia, we chose to look forward to a greatness none of our many nations and peoples had ever known.
NYのとあるウクライナ系書店で出会った移民の思い出
ここの住人の多くは、古くは19世紀の列強に分断され帝政ロシアによって抑圧された人々、その後はソ連がスターリンのもとで進めた有無を言わさぬ共産化と民衆の弾圧から逃れてきた人々の子孫です。世代が変わり、街の住人も変わってゆくなか、今でも錆びついた高架鉄道の駅を降りれば、そうした移民の風情が漂ってくるのです。ソ連の一部に組み込まれたウクライナは、スターリンの圧政だけではなく、第二次世界大戦でも独ソ戦によって甚大な被害を出しました。そんな歴史の重圧から逃れ、20世紀の生き証人となった人々の子孫が暮らしているのです。
彼は17歳のときに、母親が牛を売って作ってくれた25ドルを持って、ウクライナからアメリカに移住してきました。やっとの思いでニューヨークにたどり着き、移民局の食堂で出された一杯のミルクとアップルパイは、一生忘れられない味だったと語っていました。彼は先にアメリカにやってきた兄を頼ってペンシルバニアの鉱山で働きました。やがて、故国を離れて働く同胞にウクライナの本や新聞を売ることを思いついた彼は、ニューヨークでそれらをトランクに詰めて路上で売ったのです。それがサーマ・ウクライニアン・ショップのおこりでした。一方、彼の兄はその後失業して故国に帰り、第一次世界大戦で戦死してしまったのです。
サーマック氏はそんな思い出話を聞かせてくれました。それが、私がウクライナを知るきっかけでした。
20世紀に起きた無数の悲劇の忘却とノスタルジアへの警鐘
一方、そうした忘却への警鐘を鳴らし、ロシアを非難したケニアの国連大使の演説は、早速CNNなどの海外メディアで称賛をもって取り上げられました。
「危険なノスタルジア」を武器にしたプーチンの行く末
ロシアが国連安全保障理事会の常任理事国でありながら、そうした国連憲章の意図を蹂躙したことが、言うまでもなく国際社会での批判につながっているのです。
しかし、プーチン氏は権力闘争で葬った人々からの反抗を防ぎ、過去の暗部を糾弾されないためにも、ロシアでのポピュリズムにすがって、権力の座にしがみつく以外に生き残れません。そのためにもウクライナを使って、仇敵アメリカに挑もうと暴挙に出たわけです。「危険なノスタルジア」を武器に使って、国内でのポピュリズムを煽り、生き残りをかけるプーチン大統領の誤算がどのようなつけとなって彼に回ってくるのか。ウクライナ侵攻は彼の破滅への序曲なのかもしれません。
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『日英対訳 教養として知っておきたい世界の重大事件』
ニーナ・ウェグナー (著)、平 湊音 (訳)
歴史に残る“あの事件”はなぜ起きたのか?教養と英語力を同時に高める一冊!
長い歴史の中、世界では数々の“重大事件”が起こってきました。事件の内容や真相を知ることは、その国や地域の歴史的背景や文化、そして価値観の理解にも繋がります。本書では、遠い中世の事件に始まり、現代社会に直接インパクトを与えている事件まで、欧米で起きた25の“重大事件”を収録。教養として知っておきたい、誰もが耳にしたことのある事件の内容と真相を、読みやすい英語と日本語の対訳で簡潔に解説します。