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今の世界を見つめる、フィリピンの古都で芽吹いた魂の叫び

Shall I curse the hour when first I saw the light of day, would it not have been better a thousand times when I died when I was born. Would I want to explain but my tongue remains powerless for now do I clearly see to be spurned is my lot. But would it be my greatest joy to know that it is you I love, for to you do I vow and a promise I make its you alone for whom I would lay my life.

(私が最初に光を感じた時を呪うのか。生を受けた時に死を迎えた方がはるかによかったと。語りたくても、言葉が足りず、無力なまま、今私は私の定めに逆らえないことがはっきりとわかっていても。でも、私が愛したのはあなただけだとわかったことが、そしてあなた一人に私の命を捧げることを誓ったことが、至上の喜びだと、言えないのだろうか)
― レオナ・フロレンティーノの詩 より(一部抜粋)

あるフィリピンの女性詩人が燃やした情熱

 1849年に一人の女性がフィリピンで生まれました。
 彼女の名前はレオナ・フロレンティーノ(Leona Florentino)。彼女はマニラから車ではるか12時間以上も北に移動したところにある、ビガン(Vigan)という古都の名士の家の娘として育てられました。
 当時、フィリピンはスペインの植民地でした。ビガンには今でも当時の街の面影が残り、世界遺産にも登録されています。
 彼女は子供の頃から活発でした。当時の慣習で女性には許されない乗馬をするなど、親を困らせたというささやかな記録が残っています。彼女は言葉への天性の才能があり、幼い頃から現地の言葉で詩作をします。しかし、レオナは女性ということで、大学に進むこともできませんでした。
 その代わり、母親や彼女の才能に気づいた神父からスペイン語の教育を受け、ビガンがあるイロコス地方の言葉で創作した詩をスペイン語に訳し、綴り続けました。その記録は、当時のイロコス地方の文化を知る上でも貴重な手がかりになるといわれています。
 
 19世紀のカトリック社会、それもフィリピンの辺境の街のしきたりは厳しいものでした。彼女は14歳で結婚を強いられ、街の有力者の妻になります。
 しかし、自立心旺盛な彼女の行動は夫や子供たちにも疎まれました。そして、ついに結核を発症したことから別居の上隔離され、35歳でこの世を去ったのです。結核が伝染すること以上に、彼女の影響を受けることを嫌った周囲の人々によって、子供と会うことも禁じられた軟禁生活の中での死でした。
 彼女の死後、その情熱的な詩は、一人の息子によって紹介され、やがてヨーロッパやアメリカにも伝わりました。たった22編の詩が、マドリードに伝えられたのち、世界の主要都市に広がったのです。
 その詩の内容から、彼女は同性愛者ではなかったかと推測されます。孤独な情熱が彼女の心の中で燃えながら、当時の社会には受け入れられずに、隔離され、子供との行き来も禁じられながら、命の炎を燃やし尽くしたのです。当時のモラルのスタンダードから、彼女を理解する人は誰もいなかったはずです。
 

心の炎はかがり火となって現代の世界を照らす

 しかし今、彼女はフィリピンのフェミニズムの先駆者と見なされています。世界レベルで見るならば、彼女の存在は時の流れと共に忘れ去られてしまったようです。とはいえ、彼女の心の中に灯った炎は世代と共に静かに受け継がれながら、やがてしっかりとしたかがり火として見えてくる日がやってきます。
 例えば、フィリピンの人権活動家でジャーナリストのマリア・レッサ氏などが、そうしたかがり火を灯台のように人々を照らしています。マリア・レッサ氏が昨年ノーベル平和賞を受賞したときは、私も彼女を少し別の視点から紹介し、ノーベル賞のあり方を問いかけました。それは、レオナ・フロレンティーノが他界して137年後のことでした。
 
 この年月は、人類が一つのことに結果を出すまでに、どれだけの時間と情熱が必要かということを物語っています。
 人類の歴史は左右前後に揺れながら、少しずつ変化しています。それを進歩として認識するには数百年の時の流れが必要です。歴史をそのように捉えれば、今ウクライナで、さらにはミャンマーや世界のあちこちで起きている人権の蹂躙も、人類の長い苦悩の中の1ベージなのかもしれません。しかし、実際に歴史の渦の中で悶えている人は、そんなあたかも評論家のコメントともいえる解説に激しい憤りを覚えるでしょう。レオナ・フロレンティーノが喀血しながら一人で詩作をしていたとき、そこには理解者は誰もおらず、たまたま彼女の息子が母の死後にその作品をまとめたとしても、彼女自身の葛藤と生き様を共有できることはなかったはずです。
 
 ウクライナの中で苦しむ人の映像がCNNなどで流れたとき、ふと彼女のことを思い出したのは、なんとも不思議な心の作用だなと自分でも思いました。3年前にビガンに旅したとき、古都の交差点に彼女の銅像を見つけ、そこに書かれていた説明を読んだときのことを思い出したのです。
 そして、つい最近、フィリピンで友人の結婚式がありました。その時、コロナのために式に参加できず、東京からレオナ・フロレンティーノの詩を贈りました。それがヘッドラインで紹介した詩なのです。長い詩なので、その最後の一部だけ翻訳し、記載しました。
 

魂が世代を超えて受け継ぎ人を救い導くもの

 さて、彼女の詩を紹介した息子イサベロ・デ・ロ・レイズは、その後フィリピンの革命運動に身を投じ、スペインの弾圧を受けて投獄されながらも、ライターとして、ジャーナリストとして活動を続けました。フィリピンがスペインからアメリカに譲渡された後も、独立のために戦い、労働者の権利のためにも奔走しました。彼が他界したのは第二次世界大戦後にフィリピンが主権を勝ち取る直前、1938年のことでした。
 
 レオナ・フロレンティーノの詩を読みながら、人の魂を蹂躙する不当な力への怒りを抱きながら、世界の行方を思っています。しかし、彼女の思いが、本人が予想もしないなかで息子に受け継がれたことを思うとき、人が最終的に勝利するものは何かという問いへの答えを見たような気がしたのです。そんな世代を超えた葛藤と闘いが、人類を救い導く力であることを祈念したいものです。
 

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