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アメリカを造った二つのパワー

Covered in oil, tightening nuts, turning gears, and assembling steel frames of the buildings in 20th century were immigrants, their children & grandchildren. I wish that America can return to the days where diversity could be turned into synergy.

(油まみれでナットを締め、歯車を回し、20世紀にビルの鉄筋を組み立てたのは、移民やその子供、孫たちだった。アメリカが多様性を力に変えていたあの頃に戻ることを祈念して)
― 山久瀬洋二 Twitter(@YamakuseYoji)より

憧れていたアッパー・ミシガンを訪ねて

 アメリカの中西部にあるミシガン州の小さな街に滞在しています。ミシガン州は、自動車産業などで有名なデトロイトのあるところです。デトロイトから車で6時間ほど北上すると、五大湖のミシガン湖とヒューロン湖とをつなぐマキナック海峡にかかる巨大な吊り橋を越えて、アッパー・ミシガン、あるいはアッパー半島と呼ばれる地域に入ります。
 実は以前から、アッパー・ミシガンの北岸に横たわる五大湖最大の湖として知られるスペリオル湖を訪ねてみたかったのです。その名前に惹かれただけではなく、16年間生活したニューヨークが、どうして150年にも満たない間にあのような大都会に成長できたのか、その原因を探りに、ニューヨークから1500キロ以上離れて北西にあるアッパー・ミシガン北岸を一目見たかったのです。
 
 マキナック海峡を渡りさらに50キロほど北上すると、カナダとの国境の港町スー・セント・マリーにやってきます。デトロイト近郊の自動車会社での仕事を終えた後、週末を利用しての旅でした。アッパー・ミシガンは、南がミシガン湖、北がスペリオル湖に挟まれた半島で、今ではミシガン州の中にあって最も保守的な地域として知られています。
 そこは昔、町の名前の由来ともなったスー族が活動していた地域です。その後、大西洋を渡ってきたフランスや北欧からの人々が、アッパー・ミシガンの住人の祖先となりました。彼らは、その地域で捕獲されるビーバーの毛皮を遠くヨーロッパに輸出するために狩猟をし、次第に森を切り開き、入植地を広げてゆきました。17世紀から18世紀にかけての遠い昔の話です。
 しかし、今でもアッパー・ミシガンは、深い森と湿原に覆われていました。木々が育ち、やがて朽ちてゆくと、そこに豊かな土壌が育まれ、その輪廻が何度もくり返されて、森と湿原とが交互に栄養を交換している様子を体験できたのです。
 
 さて、同じ17世紀から18世紀にかけて、アッパー・ミシガンからはるか南東のマンハッタンにも、オランダからの入植者がニューアムステルダムという小さな街を作りました。それが現在のニューヨークの始まりです。彼らもビーバーを捕獲し、フェルト帽の材料としてヨーロッパと交易を始めていたのです。
 実は、当時ニューヨークに入植した人々が、今アッパー・ミシガンに残っているような豊かな森から漂う芳しい土の香りについて、日記に残しています。長い船旅の末にその香りがしたときに、新大陸が目の前に現れた、とのことです。
 その後、ビーバーの毛皮の交易ルートは、マンハッタンから次第に北上し、現在のカナダとの国境付近にまで至りました。そこには五大湖の一つ、オンタリオ湖があり、その南にエリー湖が、さらにはヒューロン湖がつながっています。
 

スペリオル湖から波及した開拓と繁栄

 時が流れ、19世紀の初めには、マンハッタンの人口も2万人を数えるようになりました。その頃、スペリオル湖あたりにも小さな村が点在し、ミシガン州をはじめとした中西部の開拓も進みます。そこで収穫された穀物や豊かな森で伐採された材木などを大西洋に移送するために、ニューヨークの人々が注目したのが五大湖だったのです。
 1823年、ニューヨークに流れるハドソン川とエリー湖とを結ぶ運河が開通し、水運による物資の流通が始まります。同時に運河を利用して、内陸への入植者も劇的に増えてゆきました。そして19世紀半ばに、スペリオル湖の西岸から北岸にかけて、鉄鉱石やスズなどの採掘が始まったのです。鉱石は幅が600キロ以上ある湖を縦断し、スー・セント・マリーに運ばれます。そして、1850年代にスー・セント・マリーに建設されたドックを通り、そこに到着した船は、ドックの中で湖の高低差を利用して、ちょうどエレベータに乗ったように、標高の低いヒューロン湖に下ろされ、さらに遠くミシガン湖やエリー湖を経由して、アメリカ東部に運ばれたのです。
 
 19世紀も後半になると、ヨーロッパからさらに大量の移民が東海岸に押し寄せました。溢れた人々は内陸に都市をつくります。
 そうした都市の一つであるピッツバーグには、有名なカーネギー製鉄所がオープンし、スペリオル湖から水路で運ばれた鉄が精錬されたのです。精錬された鉄は鉄道建設に使われ、アメリカの物流を促進します。ピッツバーグから運ばれた鋼鉄は、その鉄道でマンハッタンにも運ばれ、マンハッタンはビルで埋まってゆきます。あのエンパイア・ステート・ビルディングは、ピッツバーグから運ばれた鉄によって1日に13階分も骨組みが伸びていったこともあった、と記録されています。
 そんなマンハッタンでのビル建設に関わった人々は、言うまでもなくヨーロッパから押し寄せた移民ですが、一つ面白いことに、高層ビルの狭い鉄筋の上で工事をした人の多くは、高所への恐怖心が薄いアメリカン・インディアンだったそうです。こうして、スペリオル湖東岸の小さな港町とマンハッタンが一本の線でつながったのです。
 

運搬船の姿に感じる20世紀の力と21世紀の分断

 ニューヨークは二つのパワーによって成長したことになります。一つは、新大陸の豊かな森と、鉱石などの自然の恵みです。この大地のパワーなしには、ニューヨークは存在しませんでした。そして、もう一つはこの大地のパワーに挑み、産業と都市の建設に従事した労働力に他なりません。それはヨーロッパ各地から渡ってきた移民のパワー、すなわち外からの力です。
 この二つのパワーが、ニューヨークをはじめとした東海岸で融合した結果、今のアメリカの繁栄につながったことになります。
 
 スー・セント・マリーのドックは現役でした。巨大な運搬船は、今では町のトレードマークとなり、1日に何隻もの船がドックで上に下に移動して湖を行き来しています。夕方、ドックの脇の公園から、汽笛を鳴らしてスペリオル湖に向けて出航していったタンカーまがいの運搬船を見送っていると、20世紀の鋼鉄と油、汗まみれで働いた労働者の姿が目に浮かんできます。それがアメリカのパワーだったわけです。
 ミシガン州はそうしたアメリカにあって、現在の分断を象徴するかのように、民主党と共和党支持者が厳しく対立する州でもあります。ニューヨークを建設した二つのパワー。この両輪を動かすギアが今、軋んでいるのです。
 

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『歴史イラストでわかる 幕末の江戸と暮らし』大津 樹 (編著)歴史イラストでわかる 幕末の江戸と暮らし』大津 樹 (編著)
幕末に日本に滞在したスイス人外交官エメェ・アンベールの著書『日本図説』〔パリ・アシェット社刊、1870年〕に収載された図版約500点の中から、江戸の町人の生活・文化にかかわる図版220点あまりを厳選して再編集。徳川幕府との交渉のため滞在した10か月間の見聞や収集した資料を元に作り上げた図版には、幕末の江戸の街並みや、町人の暮らし、働く人の様子などが精緻に記されています。日本人庶民に向けられるアンベールの温かいまなざしを感じることができる本書は、日本人にとっても歴史的に貴重な資料集です。

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