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「自由」からの離脱が新たな分断を

If humanity cannot live with the dangers and responsibilities inherent in freedom, it will probably turn to authoritarianism.

(もし人類が「自由」の中に潜む危険と責任に耐えられなくなるとしたら、そのとき権威主義へと社会は変化するだろう)
― エーリッヒ・フロムの言葉 より

従来の貧富や教育の格差とは異なる新たな「意識の分断」

 今年、世界情勢を見てゆくなかで、特に顕著になったことがあります。
 それは、自由を求める人と、それができない人との間の新たな分断です。
 
 今まで世界や社会の分断といえば、貧富や教育の格差、いわゆる円熟した社会で生きる人と、途上国で頑張る人の格差や、そうした人々の間で見解が異なる自然環境への意識に代表される南北問題が絡んだ分断などが主流でした。
 これらの、目に見える分断とともに、ここ数年特に気になるのが、自由を求める人とそうでない人との間での、意識の分断が目立っているように思えるのです。その意識の分断が、EUにおける政治意識の変化やアメリカの覇権に対する新たな抵抗といった、新しい政治情勢の土壌を育んでいるように思えます。
 そして、この自由への意識の分断は、日本の国内にも着実に浸透しているように思えるのです。
 
 以前、スウェーデンにある世界企業が、東西冷戦の終結とともに旧東ヨーロッパに進出したことがありました。新しい市場を開拓しようと、その企業が生え抜きのマネージャーを選抜して、チェコのプラハ郊外に新設した研究所兼工場に派遣したのです。
 もちろん、チェコの市民も共産主義の束縛から解放され、西からの自由の風を歓迎しました。彼らは自由が豊かさを持ち込んでくれるものと期待したのです。
 
 ところが、スウェーデンからのマネージャーが着任してしばらくすると、オフィスでの微妙な行き違いや、誤解による摩擦があることに気づかされます。それは、社員が誰も積極的にイニシアチブを取らないことからくる摩擦でした。
 長い間共産主義下にあった社会では、指導者が常に目標を定め、指示を出します。従業員はその指示の範囲の中で、切磋琢磨して効率を上げることは求められますが、組織のあり方や指示以外の作業などに向けて、自らが工夫することはありませんでした。もちろん、言論の自由も制限されていたわけですから、上司への個人的な意思表示などはなかなかできません。
 逆に、スウェーデンのマネージャーは、自由主義社会で育ちました。自らの意見をどんどん出して、進んで工夫し業務を改善することは上司からも求められ、自らのキャリアもそうした活動の上で磨かれてゆくという社会で育ちました。そんなマネージャーが、共産主義社会で長い間暮らしていた市民を雇用して業務の効率を上げようと思っても、多くの人はマネージャーの指示を待つだけで、なかなかプロアクティブに動かないのです。それでいて、多くの人が自由主義社会になれば豊かさを謳歌できるというふうに期待するのです。
 

「自由」に失望し離脱した人々が向かう新たなナショナリズム

 自由な社会では、自らが自分のことを決めて判断することが、社会において成功するための大切な要素になります。ある意味で自由は孤独です。自分の行動はすべて自分に返ってきますし、当然言論の自由はあっても、才能と運と、社会的なニーズなどといった時流の読みを誤れば、とたんに貧困へと転落します。仮に貧困とまではいかなくても、個人で個人の生活のほとんどすべてに責任を持たなければならなくなります。
 
 この自由という甘い蜜の向こうにあるいばらの世界を知らずに、権威主義の国家から解き放たれた人が、その矛盾に気づかずに右往左往しているうちに、社会に失望してしまうのです。このスウェーデンの会社の場合、同様のマネージメント上の苦悩がハンガリーなど多くの旧共産圏に派遣されたマネージャーからもたらされました。
 
 そして、今自由社会に失望した人々が、その反動として新たなナショナリズムや権威主義社会を求めるようになりました。ハンガリーなど、もともと統制社会に置かれていた地域や、長い間社会秩序が不安定であったアフリカや中東などで、こうした人々が自由主義社会から離脱しはじめているのです。
 
 この自由からの離脱のベクトルは、そのままアメリカやEUへの不信感を後押しする政治的な動きにも繋がります。ウクライナにロシアが侵攻したときも、それが単に大国の横暴という位置づけで世界が結束すると、多くの指導者は楽観しました。しかし、自由からの離脱を支持する国家が密かに連携しながら、ロシアを支援していることは明白な事実です。南米のベネズエラ、中東のイラン、そして日本の脅威となっている北朝鮮やそれを支援する中国など、その輪はさらにアフリカやアジアの他の国にも影響を与えかねない状況です。
 

楽観的な自由がもたらす複雑さの反動から保守へと回帰する世界

 今、考えなければならないことは、自由というシンプルな言葉が人々に与える複雑な結果です。自由は資本主義をも代弁します。資本主義の社会はそもそも、お互いが競争をすれば、それによって社会が改善され、相対的に豊かになるという楽観論に後押しされ、人類に受け入れられてきました。
 
 しかし、現実はそのようにはいきません。資本主義による利益の追求が自然破壊を生み、貧富の差や、国家間の富と力の格差を作り出しました。この現実を直視して社会秩序を改善させようとしても、大国の利害がそこに絡み、理想通りにはものごとが進みません。こうした状況に、たとえば日本でも秩序に従った方がコンプライアンスの上でも、個人の精神的な安定の上でも上策なのではという意識がさまざまな組織に広がります。元々日本も長い間封建制度の歴史を持ち、明治以降も国家という権威に国民が従う形で社会を進化させました。そんな昔への回帰に対する憧れが我々を無意識に保守化させようとしています。
 
 イギリスやアメリカ、さらにはフランスのように、血を流して革命を起こし市民社会を育ててきた国家とは異なる世界のさまざまな人々が、自由を持て余しはじめているのです。
 これが、新たな世界の分断を作り出します。ロシアとウクライナとの戦いを見るときに、こうした世界市民のベクトルの微妙な変化を感じたのが、今年の特徴だったといえましょう。
 

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『Postcards from a Bilingual Family 日×米家族の11年』田村 記久恵 (著)、Steve Ballati (訳)Postcards from a Bilingual Family 日×米家族の11年
田村 記久恵 (著)、Steve Ballati (訳)
『朝日ウイークリー』(朝日新聞社)にて11年間連載された英文イラストエッセイが一冊の本になりました。
日本人の妻とアメリカ人の夫、そして2人の子どもたちのバイリンガル・ファミリーの暮らしは毎日が“異文化コミュニケーション”! その日常を、オールカラーのイラストとわかりやすい英語に時々日本語で、楽しくご紹介。英語を学びながら、異文化や多様性、国際結婚やバイリンガル育児についての理解も深まる一冊です。

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