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21歳の若者のチャットがもたらした甚大な損害とその実態

Authorities say Jack Teixeira, a 21-year-old member of the Massachusetts Air National Guard, posted sensitive materials in an online chat group.

(当局は21歳の米国空軍州兵がオンラインチャットグループに機密情報を漏洩させたと発表)
― New York Times より

アメリカで相次ぐ機密情報の漏洩とその影響

 今週、アメリカでジャック・テシェイラという21歳の若者が、アメリカ軍の機密情報を漏洩した疑いで逮捕されました。彼は米空軍の予備部隊に所属するIT技術者で、軍の機密にアクセスすることができたわけです。オンラインゲームのチャットグループのリーダーだった彼は、高いコンピュータリテラシーを駆使して、情報をチャットでリークしました。
 その内容は、米軍によるウクライナの戦況の分析にはじまって、米軍がどのような戦略でウクライナを支援しているかということまで、多岐にわたっていました。影響は極めて深刻なものだと報道機関は伝えています。
 
 最近、アメリカで似たような事件をよく耳にします。2020年には、中国系の元CIA職員が、中国への機密漏洩容疑で逮捕されています。
 ロシアや中国とアメリカやイギリスとの間でこうした水面下での諜報活動があることは、昔から知られていることでした。
 有名なケースとしては、旧ソ連時代にイギリス諜報局に勤務していたジョージ・ブレイク氏が、西側のスパイとしてソ連で活動していた500名以上の名前をソ連側にリークしたことで逮捕されたことがありました。二重スパイだったわけです。
 興味深いのが、その後ブレイク氏はイギリスの刑務所を脱獄し、ソ連に亡命したのです。スパイ映画顔負けの事件ですが、こうした事例は他にも多くありました。いったい本当は誰がどこの味方かわからなくなるほど、内幕はベールに包まれているのです。
 
 そして、一旦情報が漏洩されると、諜報機関は大きなダメージを受けます。ソ連、あるいはロシアなどに潜伏し、西側のために活動している人物の情報が相手側に渡るからです。実際、アメリカで似たようなケースが起きたときは、ソ連で活動する多くの諜報員が逮捕され処刑されています。
 ブレイク氏のケースでも、最低でも40名以上の人物がソ連で命を落としたとされています。
 

人員の潜入からオンライン上にも広がる諜報活動

 しかし、今回のテシェイラ氏のケースは、以前のスパイ映画の題材となるようなものではありません。彼はコンピュータ、AIなど様々なツールを使い、ゲームのように情報をやり取りしていたのではないかと思われるのです。現在では「ミッション:インポッシブル」や「007」とは違い、オンラインでごく簡単に情報を奪取し、売り買いすることも可能な時代なのです。
 
 しかも、この情報漏洩はその発覚から1週間も経たないうちに、多くの憶測を呼びました。ロンドンのある専門家は、むしろこの情報漏洩がウクライナにとっては戦争の深刻さが伝わったことで、プラスになるのではないかとも評論しています。
 というのも、このことによって、ウクライナ側が防空のために使用している旧ソ連製の武器の在庫が5月末にも底をついてしまうのではというような緊急性のある事実が明るみに出たからです。
 そして、現在ウクライナがいかにアメリカに頼って戦争を展開しているかという事実まで公になり、ヨーロッパの主要国の間でもウクライナへの支援について新たな議論が起こっているのです。ウクライナに欧州がさらに100万発の砲弾を提供する必要があるという事態が一方にあり、そのための生産や供給が困難である現実までもがあらわになりました。ヨーロッパ諸国の国内事情も混沌としているわけです。
 このため、ウクライナ東部の戦況は当分膠着状態のまま、戦争は来年も続き、ロシアもウクライナも国力を消耗させるのではという見方も出ています。そうであれば、当然和平交渉の鍵を誰が握るのかという課題も見えてきます。
 
 もちろん今回のリークは、あくまでもオンライン上の情報に関するもので、ブレイク事件のように、いわゆる相手国の中で長年にわたって活動しているスパイの情報とは異なっています。CIAやロシアの情報関係者、さらには中国の国家安全部などは、今でも実際に人を欧米や日本などに潜入させ、アメリカやイギリスも同様のことを行なっているはずです。しかし、今回の逮捕劇はその実態に大きな打撃を与えたものではないはずです。ただ、その情報漏洩で、アメリカが今でもモスクワの内部情報を的確に掴んで、いつどのような形でウクライナを攻撃してくるかという事実を、しっかりとリアルタイムでウクライナ側に伝えていたことは明らかになりました。
 
 ということは、この漏洩で逆に恐怖に慄いたのはロシア側だったかもしれません。つまり、敵の実際の姿を見てそれを確保することができないまま、アメリカが展開している活動の有り様だけがおぼろげに伝わったわけなのです。プーチン大統領の疑心暗鬼に拍車をかけるという意味では、むしろ今回のリークはアメリカ側に貢献したのではないかという専門家がいることは皮肉なものです。
 
 そして、ウクライナのゼレンスキー大統領は、この情報漏洩を利用して、さらなる援助を引き出すのではという憶測も流れています。恐らく、ロシア側は西側がどのような諜報活動をしているのかという実態を知っても、核心を押さえることができない以上、むしろウクライナは最大限にそうした情報を活用し、武器不足を西側に訴え、再度ウクライナとの結束の確約を取ろうとするのではないでしょうか。
 

SNSから簡単に国家の安全保障が脅かされる時代へ

 最後に、今回の事件が語るもう一つのことは、現在ではTwitterやInstagramに至るまで、あらゆるツールが情報漏洩のツールで使われているという事実です。辣腕のプログラマーがゲーム感覚で情報の売買を行い、それによって国家や一般市民が大きな損害を被ることが、今では明日にでも起こりうるという事実です。
 平和ボケと言われる日本人が「まさか」と思うことが、フィリピンでの「ルフィ」の名で騒がれた刑事事件のみならず、こうした国家の安全保障のレベルでも起こりかねないわけです。
 
 ジャック・テシェイラ氏の刑期は、最長25年になる見込みといわれています。過去のスパイ事件では終身刑のケースが多いことから見ても、今回の量刑から、その被害は人の命に関わるような深刻なものではなかったのでしょう。
 

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