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サガダの思い出からみえてくるもの

The Sagada people have been practicing such burials for over 2,000 years, however, not everyone is qualified to be buried this way.

(サガダの人々はこうした独特な埋葬法を二千年にわたって受け継いできた。しかし、すべての人がこの方法を許されているわけではない)
― ウィキペディア より

ルソン島北部の山奥深い村に残る高地人たちの文化

 明けましておめでとうございます。同時に、北陸での地震で被災されている方々には心からお見舞い申し上げます。
 
 去年からトルコの大地震に始まって、マウイ島での山火事、フィリピンのミンダナオ島での地震アイスランドでの火山の噴火など、あたかも地球がうめき声をあげているのではと思うほど、大規模な自然災害が続きました。
 つい先日も、バングラデシュで雷雲の異常な発生によって落雷で死亡する人が増えているという不気味な報道がありました。そして、今回の北陸での大地震です。地震と異常気象とでは自然災害の原因に大きな違いがあることは周知の通りです。しかし、地球の温暖化が叫ばれているなかで、大規模な戦争などによって、自然が確実に破壊されていることは事実でしょう。このことはすでに何度か取り上げた話題です。
 
 年末にフィリピンのルソン島北部にあるサガダという町を訪ねました。
 そこはマニラから車で行けば10時間はかかるところで、幾重もの山を越え、最後に高原に向かって一挙に登り切ったところにある村です。周囲には世界遺産の棚田があり、切り立った山の斜面を何百年にもわたって耕し、まさに天にいたる無数の棚田が訪れる人を驚嘆させます。
 
 そんなサガダにジェイク・マスフェーレ・レイズという人が住んでいます。彼は今、子供の病気を治療するために、地元のガイドを務めるかたわら、彼の家に残る写真や民具を販売して暮らしを立てています。サガダ一帯はフィリピン古来の原住民が生活してきたところとして知られています。今、その子孫がこの地域の伝統を守るために、大手の観光業者によるリゾート化を排除しながら、独力で地域の観光に取り組んでいます。ジェイクもその一人で、サガダではそうした名所を見学するためには必ずジェイクのようなガイドによるエスコートが求められるのです。地域は大規模な鍾乳洞が多いことでも知られていて、そんな洞窟の脇には、死者の棺桶を吊るして保管するという、この地域独特の風習も残っています。
 
 実は、ジェイクの祖父はサガダに住み着いて地元の文化を調査していたスペイン人の写真家であり民俗学者でした。祖父の名前はエドアルド・マスフェーレ。スペインはカタルーニャ出身の軍人の息子で、父子ともに一時スペインに帰国の後、再びフィリピンに移住します。そしてサガダの近郊で農業とカトリックの布教活動に勤しみます。成人したエドアルドはこの地の高地人の文化に魅入られ、独学で写真の技術をみがき、数々の貴重な記録をカメラに収めたのです。その記録は世界に紹介されます。もし、彼の活動がなければこの地の高地人文化はそのまま消滅したかもしれません。実際サガダ周辺は60年前まで、二千年にわたるともいわれる伝統的な生活を維持してきた高地人が活動していました。現在の住人の多くはその子孫なのです。
 

貴重な文化とアイデンティティを守りながら懸命に生き抜く人々

 この地に至るまでの道路は、ところどころ雨による崩落の跡が残り、道の下は文字通り急斜面で、はるか下を川が流れています。ですから、危険を回避するためには車でのアプローチは昼にしかできません。
 ジェイクはそんなサガダで自宅を小さな博物館にして、祖父の遺品を展示し、時には販売するのです。特別な許可をもらって、そこに展示されていた祖父の写真をiPhoneに収めました。実際、これらの多くはナショナル・ジオグラフィックなどにも取り上げられていて、私もそれらの一つがナショジオのカバー写真に掲載されていたことをうっすらと覚えていました。しかし、フィリピンの辺境の地で祖父の死後、祖父の母国の親族とのつながりも途絶えたまま、現地人として成人したジェイクには、コピーライトの意識がありません。ですから、写真を無断で掲載することには難色を示しているものの、それらをどのように保護し資金化してゆくかというノウハウを持ち合わせていないのです。子供が病気になったとはいえ、医者にみせるにも、病院ははるか遠くの都市にあり、コストもかかります。ですから、彼は祖父の資産を切り売りし、我々のようなビジターに販売しようと必死なのです。
 
 サガダという人類にとっても貴重な文化遺産を守るために、大企業を排除しつつも、ここに暮らす一人ひとりの生活は決して簡単ではないということを思い知らされるエピソードです。固有の文化とそのアイデンティティを守ることと、世界の富裕層をターゲットにしたリゾート開発による偽物のカルチャー体験との確執と矛盾がみえてきます。
 
 フィリピンは島嶼国家です。そこには無数の言語があり、他の東南アジア諸国と異なり、独自の王朝などがなかったため、16世紀にスペイン人が入植し植民地化した後はアメリカに移譲され、20世紀中盤までアメリカの支配下にありました。ですから、フィリピンにはスペイン人のもたらしたカトリック文化が色濃く残り、それだけに独自のアイデンティティを持ちにくいのがこの国の特徴です。彼らの子孫はといえば、ほとんどがスペインやアメリカ、そして近年になって影響を残した日本や中国とつながっています。サガダはそんなフィリピン人にとって、特にルソン島北部の人々にとって、自分たちのルーツを知るための貴重な地域なのです。
 
 サガダからの帰路、ジェイクの祖父がたびたび訪れ、写真を撮り記録を残したバナウエイ地区を訪ねました。特に有名な天空の棚田はあいにく深い霧の中に埋もれていました。しかし、道中にも至る所に同様の農地があり、過酷な自然と共存しながら生活してきた人々の姿を垣間見ることができました。
 

異常気象が人々の生活と文化遺産を破壊してしまう前に

 異常気象が続けば、サガダへの道路は寸断されてしまいます。
 実際、近代化によって高地人がその生活を放棄するなかで、サガダやバナウエイの棚田は崩壊の危機にさらされたこともあったのです。いわゆる絶滅が危惧される文化としてユネスコなどが警鐘を鳴らしたのでした。しかし、今棚田はしっかりと整備され、人々は自らのアイデンティティを守りながら、近代化をも受け入れてそれを観光資源へと変えようとしています。
 
 2023年は自然災害の多かった年でした。
 我々が無意識のうちに傷つけている環境が、サガダの人々にとってはそこに至るたった一本の崖をうねる道が、失われてしまう現実を強く感じた旅でした。
 エドアルドの遺業を大切に保存したいものです。そして、ジェイクの子供が医療の恩恵を受けられるように祈っています。さらに、そのささやかな恵みの向こうに、フィリピンという国のルーツが解き明かされ、その先には日本も含む環太平洋文化の古代から現在に至るメカニズムの解明にもつながる道があるのだということを、ここに記したいと思います。
 
 今年こそは、すべての人々が地球を本当に大切にできる道筋を本気で考えなければならないのではないでしょうか。
 

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『フィリピン語 日本紹介事典 JAPAPEDIA』IBCパブリッシング (編)、クリスティニー・バウティスタ (訳)フィリピン語 日本紹介事典 JAPAPEDIA
IBCパブリッシング (編)、クリスティニー・バウティスタ (訳)
日本の四季と暮らし・伝統文化と芸術・マナーや日本食から、都道府県の紹介まで、いまの日本を正しくフィリピン語で紹介するためのフレーズ集。人口は1億人を突破、アジアで上位の経済成長率、平均年齢20代という未知の力を秘めた国、フィリピン。日本における外国人労働者数も国籍別で3位と日本との繋がりも深く、親日家の多い国としても知られています。本書は、ビジネスでもプライベートでも、日本について聞かれたとき、知識として知っていることをフィリピン語で正確に伝えることができるようになるフレーズ集です。

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