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政府よりも市民の方が組織化された韓国の戒厳令事件

South Korea president survives impeachment but party seek his resignation.

(韓国の大統領は弾劾を回避するも、与党は彼の辞任を模索)
― CNN より

突然の戒厳令の下、抗議に集まった市民たち

 通常のニュースで、すでに韓国でおきた戒厳令についてはいろいろと専門家が解説しています。そこで、ここでは少し違った視点で今回の事件を分析してみたいと思います。
 韓国で戒厳令が発布されたとき、最も驚いたのは、あまりにも早くソウルの市民が国会議事堂に集まり、その実施を阻んだことでした。この迅速さについて、日本ではあまり多くは解説されていません。
 こうした韓国市民の行動の向こう側に、現在の官と市民との関係が見事にあぶり出され、未来の国家像のあり方をみたのは私だけではないかもしれません。
 
 韓国の中北部にある世明大学に勤務するイ教授が、最初に戒厳令の発布を知ったとき、彼女はフェイクニュースを疑ったと語ってくれました。そこでテレビをつけて初めてその事実を確認したのです。
 それから1時間もしないうちに国会議事堂に市民が集まります。戒厳令のために軍隊が到着したときは、すでに市民も抗議運動をはじめ、国会議員も議事堂に急行していました。SNSのトークルームなどでネットワークした人々が最初に議事堂に到着します。そして、彼らからの発信で街のあちこちから人々がソウルの政治の中枢に押し寄せたのです。
 
 イ教授は、K-POPなどの社会現象について研究する一方で、若者の政治意識についてもいろいろな調査をしています。彼女によれば、現在の若者は1980年代以降に韓国に吹き荒れた民主化運動の頃とは異なり、そもそも戒厳令などとは全く無縁の世代です。政治への関心の低さにも日本の若者と共通したものがあるといいます。しかし、戒厳令が発布されて以来、彼女の講義を受けている学生たちも、学生会の呼びかけに応じて政府への抗議集会にどんどん参加していることに驚いているといいます。土曜日には100万人を超える人々がソウルに集まりましたが、その中にはイ教授が教えている学生も多くいるとのことでした。彼らはK-POPのファンが持つペンライトを持って抗議していると教授は楽しそうに語っています。
 

韓国ソウルの国会議事堂(shutterstock)

派兵での混乱とユン大統領が犯した誤算

 一方、軍隊はというと、兵士は議事堂と選挙管理委員会の2か所に急行しました。選挙管理委員会に派兵の命令がでた理由は、前回の選挙で勝利した「共に民主党」の選挙での不正を暴き、押収したデータによって議員を拘束する目的があったのではと噂されています。
 派兵された兵士はいわゆるプロの軍人だったようです。つまり、徴兵されている若者とは違い、正規の訓練を受け、熟練した兵士が派遣されたのです。ところが、彼らは命令を受け移動をはじめたとき、これは北朝鮮との有事かと不安に思っていたそうです。その後、自分たちが国会議事堂にやってきたことで、戸惑いを抱いていたといいます。その同じ時間に市民はすでに集会を開いていたのです。
 
 国の組織内の通信網は、どこの国でもその機密性と安全性という観点からも、通常のSNSでネットワークしているわけではありません。従って、戒厳令の発布による軍の出動と兵士への任務の伝達には、ある程度の時間が必要なのです。緊急事態でない場合は、命令の伝達方法等への準備と演習も実施されます。従って、今回戒厳令がいきなり発布されたことで、限定された時間の中での出動となり、兵士への情報共有の面で混乱がおきてしまったのです。
 わかりやすく解説すれば、市民のSNSのネットワークの方が、戒厳令による政府や軍隊の動きよりも迅速だったことになります。
 
 ユン大統領が戒厳令を発布したタイミングにも疑問が残ります。
 韓国では週末には国会議員の多くが地元に戻る習慣があります。つまり戒厳令の発令された火曜日は、逆に国会議員のほとんどがソウルにいたわけで、大統領が議会の動きに対して先制攻撃をしかけ議員を拘束するよりも迅速に、議員もSNSで連絡を取り合いながら議事堂に集まれたのです。結果として、そんなSNSでのコミュニケーションに市民も合流したことになります。
 大統領がもし綿密に画策し、週末であった11月30日か12月1日に今回の行動にでていれば、ソウルは今でも混乱の渦中にあったかもしれません。しかも、今の韓国の軍隊は、過去の軍事政権下の兵士と異なり、民衆を制圧することには慣れていません。実は、軍隊が体制を整える前にデモの扱いに慣れている警察を出動させれば、戒厳令はより長く維持できていたかもしれないのです。つまり、戒厳令を成功させるには、警察と軍隊との緻密な連携が不可欠だったのです。
 
 ユン大統領は検察官として、長年韓国の権力の中枢に君臨してきたエリートです。しかし、彼はエリート特有の無知による深い落とし穴を知りませんでした。
 それは、現在の社会ではどんなに強い指示をだしても、民衆のSNSなどによるネットワークの方が、政府の組織的なネットワークよりも迅速に稼働するのだということへの無知です。政府が市民の上にあり、その頂点に自分が立っているという時代錯誤に陥り、強権が発動できると誤解したことが、彼の足をすくったのです。これは日本の役所や政治家にもいえる未来への深刻な課題です。
 
 イ教授は、大学では来週学期末のテストがあるといいます。しかし、学生の抗議行動は終わっていません。しかも、彼女の勤務する世明大学の教授も連名で政府への抗議を行なっています。そこで、彼女は学生が政治活動のために期末試験を欠席しても、今回は単位を認めるでしょうと語ります。そこには、学生が韓国社会を守るために立ち上がったことへの賞賛の気持ちが込められていました。
 

戒厳令が証明した韓国の民主主義の成長

 以上のことから、韓国での戒厳令の発令事件は、皮肉なことに韓国の民主主義が力強く成長していることを証明したことになったのです。
 それは、数年前の香港での民主化運動が、中国政府によって制圧された過程とは対照的な結果となりました。表題のように大統領の弾劾による失職は与党が阻んだものの、今後の政治状況は二転三転しそうです。民主化が進む過程で共に民主党の運動が反日へと傾斜する可能性も否めません。ただその結果、今後さらに韓国社会が混乱したとしても、その過程は、むしろより高次元な民主主義国家へ向けた産みの苦しみであると評価されるかもしれません。何かがおきたときの日本側の対応にも検討が必要なのです。
 さらに、今回の事件は、SNSという新たなメディアの存在と政治権力がいかに共存してゆくかという課題をまたも突きつけるような事件でした。そうした意味では、先の兵庫県知事選挙で、弾劾により失職した知事が再選された過程とも照らし合わせて考えたい事件であったといえましょう。
 
 最後に、日本への教訓について触れてみましょう。
 日本でもこうした事態のとき、韓国と同じように大きな抗議運動がおこせるのかという疑問を抱いてしまいます。
 多くの人は、日本は韓国とは違い、こうした事件そのものが発生しないというかもしれません。しかし、例えば憲法を改正し自衛隊が軍隊となった場合、軍隊が緊急時代の折に社会を統率できるというのが戒厳令の概念であるという事実を突き詰めれば、今回のことは未来の日本への教訓であるといっても過言ではないはずです。
 
 政治意識を持たないほうが友人関係もうまくいくし、社会にも同化できるという日本の風土がどのような未来につながるのか。今回の韓国の動向を見ながら考えてみたいと思うのです。
 

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『日韓対訳 韓国Q&A』キム・ヒョンデ (著)日韓対訳 韓国Q&A』キム・ヒョンデ (著)
韓国に対する関心が高まる中、韓国語を学ぶ学習者も年々増加しています。本書は、韓国をもっと知りたい学習者が、韓国語を学びながら、できるだけ多様な情報と観点を得ることを目的に作成しました。韓国人の著者自身が直接日本人から受けた質問や、日本人が韓国を理解するために必要だと思われる質問を厳選。韓国に関する基本情報をはじめ、文化・歴史・政治・経済・社会など、さまざまな角度から「韓国」について知ることができます。地理的に最も近い国である日本と韓国には、お互いに理解し難い特有の文化があります。ある一面だけではなく、多様な側面を知ることで、より深い交流の手助けとなる一冊です。

 

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