Japan had only one gun related death reported in 2021
(日本では2021年に銃に関連した死亡事案はたった1件しか起きていなかった)
― CNN より
事件が与えた衝撃と海外メディアの取り上げ方
安倍元首相が襲撃された事件について、すでにいろいろなマスコミが解説をしています。しかし、どの解説をとっても1点だけ、大切な日本の課題についてのコメントが抜けているような気がしてならないのです。
事件が起きたとき、海外のメディアはリアルタイムで速報を伝え、その経過を報道していました。これほど海外のメディアが日本のことを取り上げたのは、東日本大震災以来のことでした。
午後5時過ぎに元首相が亡くなったときも、その瞬間にBBCなどのテロップが「銃撃(shot)」から「暗殺(assassinate)」へと表現が変わり、NHKなどと全く同じ早さで刻々と変化する状況が伝えられていました。
その中で、アメリカのある主要メディアのキャスターが、日本の特派員に対して、事件そのものについてより「警備がほとんどないように見えるのですが」と怪訝な顔をして質問したのが印象的でした。それに対して特派員は、日本の選挙が有権者と候補者とが触れ合うことを重視していて、かつ銃規制が厳しいこともあり、銃によるテロ行為をほとんど予測していないと解説していました。
これは、ほぼすべての海外メディアに共通したもので、特にアメリカのメディアは日本の銃犯罪がいかに少ないかを、アメリカのそれと比較して解説を行っているケースが目立ちました。
午後5時過ぎに元首相が亡くなったときも、その瞬間にBBCなどのテロップが「銃撃(shot)」から「暗殺(assassinate)」へと表現が変わり、NHKなどと全く同じ早さで刻々と変化する状況が伝えられていました。
その中で、アメリカのある主要メディアのキャスターが、日本の特派員に対して、事件そのものについてより「警備がほとんどないように見えるのですが」と怪訝な顔をして質問したのが印象的でした。それに対して特派員は、日本の選挙が有権者と候補者とが触れ合うことを重視していて、かつ銃規制が厳しいこともあり、銃によるテロ行為をほとんど予測していないと解説していました。
これは、ほぼすべての海外メディアに共通したもので、特にアメリカのメディアは日本の銃犯罪がいかに少ないかを、アメリカのそれと比較して解説を行っているケースが目立ちました。
こうした解説を聞きながら、ふと先週まで訪れていたアメリカのことを考えました。ご存知のように、アメリカではこのところ銃乱射事件が頻発し、銃規制の問題が深刻な政治課題になっています。従って、皮肉なことに、アメリカのメディアは日本での今回の惨劇を利用して、いかに日本での銃の犯罪が少なく、この事件が異常な事態なのかという解説を使い、逆にアメリカの銃の課題の深刻さを伝えようとする意図が見えていました。
また、各国の政府や首相などからの哀悼のメッセージについても、最初に「shocked」、つまりこの事件の報道を受けてショックを受けているという表現が目立ちました。そのことについても、日本ですらこんなことが起きるのかということへの「ショック」を表明したのだという解説が目立ちました。
また、各国の政府や首相などからの哀悼のメッセージについても、最初に「shocked」、つまりこの事件の報道を受けてショックを受けているという表現が目立ちました。そのことについても、日本ですらこんなことが起きるのかということへの「ショック」を表明したのだという解説が目立ちました。
「日本だけが特殊だ」という自惚れがもたらした現実
やがて、海外メディアの反応を受けて、日本でも警備が充分だったのかと疑問視する指摘が出始め、奈良県警などの対応への批判の声も上がりました。
しかし、こうした流れの中で、日本人に共通している1つの意識を感じます。それは「こんなことが日本で起きるなんて」という意識です。つまり、世界で起きていることは他所の国のことで、日本ではそんなことは起きないだろうという気持ちが、日本人の中には常に存在しているのではないかと思えるのです。
世界で起きていることは日本でも起こり得るという意識が、日本人には根本的に欠如していることが、今回の事件の本質なのではないでしょうか。
確かに、アメリカのように銃の乱射が社会を混乱させるような状況は、日本にはありません。また、日本の銃規制は世界の中でも極めて厳しく実施されているのも事実です。しかし、日本でも政治家への銃によるテロは起きていますし、安倍元首相暗殺の前には、2007年に当時の長崎市長が射殺される事件も起きています。
しかし、こうした流れの中で、日本人に共通している1つの意識を感じます。それは「こんなことが日本で起きるなんて」という意識です。つまり、世界で起きていることは他所の国のことで、日本ではそんなことは起きないだろうという気持ちが、日本人の中には常に存在しているのではないかと思えるのです。
世界で起きていることは日本でも起こり得るという意識が、日本人には根本的に欠如していることが、今回の事件の本質なのではないでしょうか。
確かに、アメリカのように銃の乱射が社会を混乱させるような状況は、日本にはありません。また、日本の銃規制は世界の中でも極めて厳しく実施されているのも事実です。しかし、日本でも政治家への銃によるテロは起きていますし、安倍元首相暗殺の前には、2007年に当時の長崎市長が射殺される事件も起きています。
幸い、中東で起きているような爆弾テロ事件は今のところありませんが、オウム真理教によるサリンガス事件で地下鉄利用者の多くが犠牲者・負傷者となった事実すら忘れてしまっている人も多いのではないでしょうか。手製の銃で首相経験者が暗殺されるのであれば、手製の爆弾でテロが起きないことを保証するものは何もないはずです。つまり、日本は他と違って「安全で便利な国だ」という神話が、単なる根拠のない自惚れだということを我々に突きつけたのが、今回の安倍元首相暗殺事件だったのです。
また、首相経験者のような人物の場合、国や外交の機密に触れているわけで、こうした人々への警備はどのような事情であれ、徹底されるのが国際的な常識であることもここに付記しておきます。
また、首相経験者のような人物の場合、国や外交の機密に触れているわけで、こうした人々への警備はどのような事情であれ、徹底されるのが国際的な常識であることもここに付記しておきます。
実はこの「日本は違う」という意識は、我々の深刻な病巣の1つです。
企業が海外のサプライヤーなどに日本の市場について説明するとき、得てして「日本の市場はユニークなんです」、「日本の消費者は特別で、細かいことにうるさいんです」といったコメントをよく耳にします。確かに日本の消費者の感覚と、諸外国の消費者の意識には違うものがあるでしょう。しかし、大切なことは、どこの市場もそれぞれにユニークであり、どこの消費者であっても、それぞれに独自のニーズを持っているという意識です。日本だけが他と違っているのではなく、どこも同様にそれぞれの特色があるのです。
この「日本は特殊」という意識と、「日本は安全」という意識には、確かにリンクするところがあります。つまり、日本だけが例外ではないのだということを、我々はしっかりと意識しておく必要があるのです。
企業が海外のサプライヤーなどに日本の市場について説明するとき、得てして「日本の市場はユニークなんです」、「日本の消費者は特別で、細かいことにうるさいんです」といったコメントをよく耳にします。確かに日本の消費者の感覚と、諸外国の消費者の意識には違うものがあるでしょう。しかし、大切なことは、どこの市場もそれぞれにユニークであり、どこの消費者であっても、それぞれに独自のニーズを持っているという意識です。日本だけが他と違っているのではなく、どこも同様にそれぞれの特色があるのです。
この「日本は特殊」という意識と、「日本は安全」という意識には、確かにリンクするところがあります。つまり、日本だけが例外ではないのだということを、我々はしっかりと意識しておく必要があるのです。
世界と協調する前に、日本も世界の一部であることを意識して
今回、安倍元首相の暗殺場面をテレビで見て驚きました。狙撃犯が発砲し、犯人が取り押さえられた後にも、そのすぐそばを人々が行き来し、自転車に乗った中年の男性が通り過ぎている様子が映像に映し出され、世界に流れていました。ドクターヘリも1機だけで、救急車への護衛も充分についていたようには思えませんでした。
もし、この犯人の背景に大きなテロ組織が介在していた場合、いったいどのように対応していたのでしょうか。「いや、日本にはそんなアルカイダみたいな組織はありませんよ。日本は安全で平和ですから」と、今でも多くの日本人は自惚れているのかもしれません。
もし、この犯人の背景に大きなテロ組織が介在していた場合、いったいどのように対応していたのでしょうか。「いや、日本にはそんなアルカイダみたいな組織はありませんよ。日本は安全で平和ですから」と、今でも多くの日本人は自惚れているのかもしれません。
世界と協調して、テロリズムやロシアによるウクライナ侵攻のような蛮行に対応するのが日本の外交方針であるならば、こうした欠落した意識そのものを、まずは変えてゆかなければならないのではと思うのです。
* * *
『100 Keys for Hope 自分を幸せにする英語100』ヴィッキー・ベネット (著)
この世界では戦争やパンデミック、社会的混乱が起こり、私たちは自分を取り巻く状況について不安や悲しみを感じることがあります。仕事や勉強、家族、お金のことなど、日々の生活に悩みを抱えることもあるでしょう。しかし、私たちの周りは変えられなくても、心の持ちようは自分自身で変えることができる。本書に綴られている100のメッセージは、私たち一人ひとりの中にある希望を感じ、前向きに生きるヒントを与えてくれます。