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牛の売買はユダヤ人の大切な生業だった

Jewish Cattle Traders in the German Countryside, 1919-1939, examines the complexities of relations between Jews and non-Jews who were engaged in economic and social exchange.

(1919年から1939年にかけてドイツの農村にいたユダヤ人家畜商人たちは、経済的・社会的交流に従事していたユダヤ人と非ユダヤ人との複雑な関係を思い起こさせる)
― ステファニー・フィッシャーの著作 より

ある友人が著すスイスのキャトル・トレーダーについて

 スイスにはドイツ系の人々が多く住む地域があります。チューリッヒに代表される北部一帯のことで、そこにはドイツの文化が色濃く根付いています。
 
 スコット・ハースは、ボストンに住む友人です。 彼は精神科医であり、ライターでもあります。
 そして彼は、一年の半分はそんなドイツ系の人々の多く住むスイスに行きます。というより、スイスにも山荘があってそこで執筆の仕事に携わります。
 
「今、スイスの農業についての本を書いている」
 
 ある日、彼はいきなりそんな話をはじめました。
 日本文化など、海外のさまざまな文化を題材に執筆をする彼がなぜ農業についての本を書くのだろうと質問してみました。
 
「実は酪農についての本なんだよ。最近わかったことなんだが、私の先祖はスイスとドイツの国境あたりでキャトル・トレーダー(家畜商人)をやっていたらしい」
 
 彼はさらに説明してくれます。彼の両親のルーツをたどれば、どちらもスイスで農業に関連していた仕事をしていたのです。それは17世紀にまで遡れます。
 
「スイス人は、現在どのような仕事をしていようと、ほとんど全ての人が酪農や農業をしていたルーツをもっていてね。農業が彼らのナショナルアイデンティティといっても差し支えないんだ」
 
 ヘッドラインで紹介したドイツと同様に、スイスでも酪農に従事していた人々に牛を売買する仕事があったのです。
 牛を求める人と牛を売る人との間に立って、売買の仲介をすることで生活をしていた人々です。彼らの収入は、その売買を通して手数料を得ることです。しかも、彼らは仲介業を営みながら、ときには牧場経営に必要な資金などを人に貸して利息を得ることもやっていたのです。スイスの金融業のさきがけだったわけです。
 

家畜商を担うユダヤ系と保守的なスイスのビジネス文化

 キャトル・トレーダーの仕事に従事していたのは、ユダヤ系の人々でした。スコットのルーツをたどれば、20世紀初頭まで200年以上にわたってそうした仕事をしていたことが最近わかったのです。
 その仕事は家業として代々引き継がれ、年月を重ねて拡大した農家とのネットワークを活かして、彼らはトレーダーとしての地盤をつくっていったのです。
 
 キャトル・トレーダーは旅が日常でした。牛を売りたい農家があれば、そこに飛んでいってその牛を売る権利を買いとって、仲介のためにあちこちの農家のドアをノックします。
 
「最近までユダヤ人には人権はなかったからね。いざとなればどこにでも移動できるキャッシュ商売が最も適していたんだよ」
 
 スコットはそう説明します。
 
 農家からしてみれば、金融業を生業にするユダヤ系の人々は村の中でも異色の存在だったはずです。そこで思い出したのが、チャールズ・ディケンズの名作『クリスマス・キャロル』に登場する金貸しの老人スクルージです。
 小説の中では彼がユダヤ系であるということは明記されてはいませんが、これを読んだ人の多くが、彼がユダヤ人のステレオタイプとして描かれていることを想像してしまいます。あのシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に登場するユダヤ人のシャイロックに直結したイメージだからかもしれません。
 
 しかも、二人とも決して人々に好かれる人格ではありませんでした。
 キリスト教徒でないことから周囲から常に偏見に晒されてきた彼らがキャトル・トレーダーのイメージと見事に合致するわけです。そんな偏見が19世紀から20世紀にかけてロシアなどでの組織的な迫害に発展し、最終的にはナチスによる殺戮に繋がったことは周知の事実です。
 スコットの祖先も、そうした彼らにとって暗黒の時代にアメリカに移住してきました。
 
 一方で、スイスのビジネス文化は保守的だとヨーロッパの人は評します。
 
「スイス人は、なかなか新しいことに飛びつこうとしない傾向があってね。物事の決裁に対しても常に慎重です。だからこそ、この国には金融業だけではなく、製薬会社、あるいは精密機器の会社といった元々特定のプロフェッショナルや職人がじっくりと取り組む産業が育ったんでしょう」
 
 スイスに詳しいある人がそのように語っていたことを思い出します。
 
「だから、アメリカ人やイギリス人のように、どんどんビジネスライクにイノベーションを重ねてゆこうとする人々とはなかなかうまくいかないんです。メガネをかけてコツコツと時計の修理をしている人々が、変化しろと言われてもなかなか困難ですよね。実際、スイスの農家の人々は極めて保守的で、変化を嫌う人が多いんです」
 
 キャトル・トレーダーがスイスの金融業を象徴しているとすれば、彼らを通して牛を交換しながら酪農業に精を出してきたスイス人がこうしたビジネス文化を育んできたことは興味深い事実です。しかも、金融業といっても、キャトル・トレーダーの仕事は、現在のようなフィンテックの時代とは異なる、実に地道な仕事であったはずです。
 

アメリカで分断が進むユダヤ系コミュニティ

 そんなユダヤ系のコミュニティが今、二つに分断されています。
 ガザへの侵攻に反対している人々と、イスラエルの権利を主張する人々との分断です。そして、アメリカのバイデン前大統領は、この分断によって多くの票を失いました。
 スコットは、トランプ政権が誕生したことに強いショックを受け、しばらくアメリカを離れたいと語っていました。今、どこで何をしているのか。ただ連絡を待つのみです。
 
 実は、アメリカには今回のトランプ政権の誕生に恐怖を抱くユダヤ系の人々が多くいます。人種差別が助長されるのではないかという危惧があるのです。
 今までは気軽にインターネットに政治的な意見をアップしてきた彼らの中で、差別や迫害を恐れ、それを控えている人がいることには驚かされます。
 キャトル・トレーダーの遺伝子は、彼らの中にしっかりと残っているのかもしれません。
 

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