Russian attacks kill 14 as Ukraine hits Black Sea oil tankers.
冒頭の見出しのように、今、ウクライナとロシアの間で、攻撃の応酬がエスカレートしています。
ボルガとオカが出会う街
そんな悲しいニュースを見るたびに思い出すのが、7年前、ロシアへ出張したときのことです。コロナのパンデミックの前、そしてロシアがウクライナへ侵攻する前のことでした。モスクワから東へ420キロほど行った、ニジニ・のヴゴルドという都市を訪ねたのです。街は、雄大なロシアの大地に、ゆったりと横たわっていました。
ニジニ・ノヴゴロドは、ロシアを代表する大河ボルガ川と、オカ川との合流点に位置する産業都市です。当時は、共産主義時代に立ち遅れた科学技術の再建を目指して、西側のさまざまな企業との連携も進んでいました。
西からの脅威と「ハートランド」
この街の歴史は、13世紀の初めにまで遡ります。もともとは、東からの脅威に備える城塞として築かれたといわれています。13世紀、モンゴルの襲来がロシアを覆った時代には、この一帯もタタールの支配の元に置かれました。それか600年ほどのち、今度はナポレオンがロシアに侵攻し、モスクワが陥落すると、この街はモスクワを追われた人々の避難先となり、抵抗を支える後方の拠点となったのです。
さらに第二次世界大戦のとき、当時ゴーリキーと呼ばれたこの街は、モスクワに迫るドイツ軍からロシアを守るための、軍需物資の一大生産拠点となりました。その伝統から、現在でも自動車産業をはじめとする重工業地帯の中心となっています。ドイツ軍の空爆が、この街の軍需工場に及んだこともありました。
ニジニ・ノヴゴロドからボルガ川を越えて東に行けば、その先はシベリアです。ナポレオンにしろ、ヒトラーにしろ、この広大なロシアの大地をおさえ切ることは不可能でした。そしてニジニ・ノヴゴロドは、そんな西からの脅威からロシアを守る、最大の拠点だったのです。
モスクワでも、サンクトペテルスブルグでもなく、ここさえ機能していれば、ロシアは深く侵攻してくる敵と戦うことができました。冬将軍と呼ばれる過酷な風雪と、その奥で密かに稼働する軍事拠点ーこの二つによって、ロシアはナポレオンもヒトラーも食い止めることができたのです。
どのような大陸国家も、このように、国境から離れた大地の奥深くに、その心臓を抱えています。アメリカ合衆国でいえば、外へ開かれたニューヨークやワシントンDC、ロサンゼルスを内側から支えるデトロイトこそが、ニジニ・ノヴゴロドにあたるでしょう。こうした内陸の拠点となる地域を、地政学では「ハートランド」といいます。ニジニ・ノヴゴロドは、西欧世界に向けたロシアのハートランドの入り口だったのです。
この街の駅には20世紀の風情がそのまま残っていました。ソ連時代から変わらない古い駅舎があり、車両ごとに立って切符を確認する制服姿の駅員の姿が、今でも目に浮かんできます。
街の人々は、ほとんど英語ができません。タクシーに乗れば、運転手が文字通り片言の英語を必死に使い、それでもなんとか言いたいことは通じました。彼いわく、
「ロシアに来たんだから、ロシア語を話さないのはどうしてだい」
一見、滑稽に見えるこの発言。しかしよく考えれば、アメリカでも内陸に行けば、英語、というより米語が話せて当然、という環境があることを思い出します。たとえ英語ができても、少しアクセントがあるだけで、相手に通じないことが時々あったのです。
ハートランドとは、そういう場所です。そして、このハートランドこそが、そこに住む人々の、文字どおり心のコアとなるのです。日本でいえば、それは東京ではありません。どこにでもある地方都市の、市役所の中の風景こそが、それにあたるのかもしれません。ロシアやアメリカ、そして中国のような巨大な大陸国家では、そのハートランドが、広大なのです。

中世のギリシャ正教会が並ぶニジニ・ノヴゴロド
国夕霧の修道院で
ニジニ・ノヴゴロドの街そのものも、昔の面影が色濃く、共産主義時代の建物の中で、フランスやドイツの技術者がロシア人とチームを組んで働いていました。ウクライナとの戦争が続く今では、そんな光景も過去のものかもしれません。
あの日、仕事を終え、夕方にボルガ川の河辺までタクシーで下って行ったことを思い出します。すると、夕霧の中から、壮大な修道院が忽然と現れました。14世紀に創建され、ペチェルスキー昇天修道院です。門の前に立ったとき、この街がソ連時代には外国人の立ち入りが禁じられ、時には反体制の著名人が軟禁されていた場所であったことを、ふと思い出しました。まるでこの夕霧のベールのように、ロシアという深いベールが、そこに住む人々のロシア人としてのアイデンティティを形づくっているーそのことが、ひしひしと伝わってくるように思えたのです。
まるで映画の中の出来事のように、修道院の敷地に入ると、そんな薄霧の中から、黒衣の僧がこちらに向かって歩いてきました。20代の大柄な若者で、私に近づくと、ニコニコしながら、どこから来たのかと問いかけます。まったく理解できないロシア語の世界の中で、久しぶりに英語で話しかけられたので、一瞬、それが日本語ではないかと錯覚したことを覚えています。
日本からだと答えると、「私は日本のアニメのファンで、いつもネットで見ているよ」と言うのです。ハートランドの奥での、意外な体験でした。
そして、この修道士が、夕方のミサに案内してくれました。大きな聖堂の中に聖歌が響き、それをフレスコ画の聖人たちが見下ろしています。
「この大聖堂は、ウクライナのキーウにあるペチュールシク大修道院の修道士が、14世紀にここへやってきて創建したのです」
その修道僧が、そう説明してくれました。そう、それは以前紹介した、先ごろロシア軍の攻撃で炎上した、キーウの世界遺産の修道院のことなのです。
ロシアのハートランドで、日本のアニメを愛する若い修道士がそう語ってくれてから、すでに7年。今、ロシアとウクライナは、出口の見えない殺戮と破壊を繰り返しています。ハートランドに住むあの修道士は、今、何を思っているのか。できることなら、もう一度あのボルガ川の古都を訪ねてみたいーそう思うと、なんともいえない複雑な心境になるのです。
ハートランドを訪ねることは、その国を、そしてそこに住む人々を理解するために、欠かせません。ロシアとウクライナの戦争が泥沼化する今になって振り返れば、夕霧のベールの中から現れたあの修道士に、ハートランドの複雑な素顔が垣間見えたこと自体、不思議でもあり、忘れられない体験だったと言えるでしょう。
* * *
『Japanese Literature Reviewed 日本文学入門』
ドナルド・リチー(著者)、ジェームス・M・バーダマン (序文)
日本文学の系譜と代表作の作品評を英語で紹介! 日本文学は現在、海外、特に欧米を中心に空前のブームとなっており、翻訳作品の売上が急増中です。その評価も高く、世界的な文学賞の受賞も相次いでいます。本書では、そのような昨今の世界中の日本文学愛好家のために、著名な芸術評論家ドナルド・リチー氏が2003年に英語で執筆した、万葉集・源氏物語・井原西鶴・松尾芭蕉・川端康成・谷崎潤一郎・三島由紀夫など、50以上の日本を代表する文学のレビューを再編集。まさに英文による日本文学入門書の決定版となる一冊です!
山久瀬洋二からのお願い
いつも「山久瀬洋二ブログ」「心をつなぐ英会話メルマガ」をご購読いただき、誠にありがとうございます。
これまで多くの事件や事故などに潜む文化的背景や問題点から、今後の課題を解説してまいりました。内容につきまして、多くのご意見ご質問等を頂戴しておりますが、こうした活動が、より皆様のお役に立つためには、どんなことをしたら良いのかを常に模索しております。
21世紀に入って、25年が経過しました。社会の価値観は、SNSなどの進展によって、よりミニマムに、より複雑化し、ややもすると自分自身さえ見失いがちになってしまいます。
そこで、これまでの25年、そしてこれから22世紀までの75年を読者の皆様と考えていきたいと思い、インタラクティブな発信等ができないかと考えております。
「山久瀬洋二ブログ」「心をつなぐ英会話メルマガ」にて解説してほしい時事問題の「テーマ」や「知りたいこと」などがございましたら、ぜひご要望いただきたく、それに応える形で執筆してまいりたいと存じます。
皆様からのご意見、ご要望をお待ちしております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
※ご要望はアンケートフォームまたはメール(yamakuseyoji@gmail.com)にてお寄せください。







