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サンタフェスタイルと共に

Write me email when you are ready. Don’t call. I don’t take a phone. Just write email on this name card.

(その気になったらメールをちょうだい。電話はだめよ。出ないから。この名刺のメールにメッセージをちょうだい)
― La Fondaホテルのマネージャーの言葉 より

高原の古都サンタフェへ

 先週のこと。私は、アメリカのど真ん中、オクラホマシティに留学中の甥を連れて、西へ車で8時間、ニューメキシコ州の古都サンタフェを訪れた。道中に広がる、見渡すかぎりフラットな大平原は、ご多分に漏れず温暖化の影響で、40度の熱波の中に静まり返っていた。しかし、西へ6時間ほど車を進め、山岳地帯に入っていくと、次第に気温も下がり、過ごしやすくなる。やがて、南西部特有の赤茶けた岩肌の山々が、高原の中に見え隠れしはじめた。
サンタフェは、その昔、スペイン人の入植者が交易の拠点とした古都で、17世紀に建てられた教会も残る。街には、この地域特有の茶色い土壁に、乾いた木材の梁を渡して造られた伝統的な建物が並ぶ。そして20世紀になると、ニューヨークなどから多くの芸術家がここへ集まるようになった。ジャズエイジと呼ばれた20年代後半からこの地を訪ね、後年、ここで生涯を終えたジョージア・オキーフも、その一人である。彼女のコレクションを収めた美術館は、この街の観光の目玉でもある。
私は甥に、「サンタフェ・スタイル」とも呼ばれる、そんなアートと自然が融合した高原の街を見せたかった。今でも画廊が軒を連ね、海外からも多くの人が訪れる。そして何より、この街を際立たせているのは、ジョージア・オキーフらの心を掴んだ、砂漠とメサ(南西アメリカ特有の、頂が平らに風化した奇岩の山)、そしてそこに暮らすアメリカン・インディアンの生活と文化だった。
甥は、こちらでまず英語力を磨いている。オクラホマにあるTLCという学校は、英語教育に定評がある。しかし何より、それを武器に、世界で通用する人物へ成長してほしい。それには、ただ英語ができるだけでなく、こうした文化も体験してほしい——そんな、親心ならぬ叔父心があっての旅路であった。

ラフォンダと、ルーシー・ルイスの記憶

 サンタフェには、一軒の有名なホテルがある。ラフォンダという、創業100年を超えるホテルで、古い時代の建物をそのままホテルに改装し、かつてはアーティストたちの社交場としても名を馳せた場所である。その前身は17世紀まで遡れるというが、アメリカ領となったサンタフェが、東部と西部を結ぶ交通の要衝として注目された頃に建てられたのが、現在の建物にあたる。

このホテルには、思い出がある。ニューメキシコ州にあるアメリカン・インディアンの天空の村アコマで、かつて陶芸家として知られたルーシー・ルイスを取材するため、知人であったニューヨークのハンター大学のスーザン・ピーターソン博士に、紹介を頼んだときのことだ。スーザンは、若い頃の私をなぜか気に入ってくれ、「ヤングボーイ」というニックネームで、いつもいろいろと教えてくれた。大学の近くにあった彼女のスタジオには、電熱式の窯まで置いてあって、そこでインディアン・ポタリーを試作することもあった。

そんな彼女が、こう言った。

「まずサンタフェを訪ねて、ラフォンダホテルに泊まりなさい。そして、そこで売っているレモンドロップを買って、ルーシーを訪ねるといい。彼女はそれが好物でね、たちまち、いろいろと話をしてくれるから」

そうして訪れたこのホテルは、若い私には気後れするほど伝統的なたたずまいで、アリゾナやニューメキシコといえば荒くれ者の西部劇、というイメージが払拭されたのを覚えている。

ルーシーと、まさに彼女の最晩年に会えたことは、とても素晴らしい経験になった。以来、この地を訪ねるたびに、近くの村々で今も陶芸に勤しむ老人を探しては、声をかけるようになった。今回も、そんな一人を、サンタフェから2時間ほど北上したタオスという村に訪ねてみた。70代半ばのジェリ・サモラとは、2年ぶりの再会である。今でもこつこつと陶器を作り続け、自ら「フラワーバスケット」というニックネームをつけるあたり、商魂もなかなかたくましい。だが、そこがなんともチャーミングなのだ。今回も、彼女からいろいろとアメリカン・インディアンの話を聞くことができた。

一枚の名刺から

 その後、大自然に抱かれたタオスからラフォンダに戻り、夕食は、ホテルに昔からある有名なレストランで、ワカモレの前菜と地元の肉料理を楽しんだ。レストランで、甥に、ここの料理に合うカクテルを作れるかい、と尋ねてみる。大学時代、東京のヒルトンホテルのバーで4年間アルバイトをしていた甥は、カクテルに魅せられ、バーテンダー顔負けの腕前なのだ。それも、ほんの数か月前までのことだが。

「マルガリータだね。それも、このメニューの3番目のやつは、ここにしかないものみたいだよ」

彼がそう言うので試してみると、確かに美味しい。テキーラベースではあるが、地元のオレンジなどが絶妙に配合されている。

ウエイトレスに、「これ、美味しいね。作った人に会いたいのだけれど」とお願いすると、数分で、そのバーテンダーがやってきた。彼女は、甥にこのカクテルの作り方を語ってくれる。貴重な体験だった。
そして、そこからが面白い。さらに10分ほどすると、レストランを仕切るマネージャーが、バーテンダーとともにやってきて、我々に話しかけてきた。私が、「こいつは東京のヒルトンでバーテンダーをやっていたんだよ」と話すと、そのマネージャーは名刺をさっと差し出し、

「英語力がついたら、ここに連絡をちょうだい」と甥に言う。
「電話には出ないので、必ず、ここにメールしてね」

まだ進路も決まっていない日本人に、その才能を見込んで、こうもカジュアルに声をかけてくれたのだ。こうして仕事が決まり、人生が豊かになっていく——これは、アメリカならではの素晴らしさと言えよう。やれトランプだの、分断だのと、暗い話が多い中で、このホテルでは、メキシコやエルサルバドルからの移民が、プロのウエイターとして活躍し、質の高いサービスを提供している。
数年後、この有名なホテルのレストランを差配する甥の姿を思い浮かべ、さすがに期待しすぎか、とも思ってしまう。だが、何が起こるかわからない。こうしたキャリアから始まって、世界のあちこちでホテルの支配人を歴任する人は、意外と多いのだ。
アートと、アメリカン・インディアン。雄大な自然と、古都の中心にある伝統的なホテル。サンタフェでのこの体験が、甥の今後の人生にどのような影響を与えるのか。それは、本人次第、というところだろうか。

カクテルのレシピを教えてくれるラ・フォンダのバーテンダー

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