「世界の心の交差点で」〜コミュニケーションと誤解の背景〜

「型」に代表される文化の長短


日本人には「型」を学ぶという価値観があります。
元々、武道、それに能や歌舞伎といった舞台芸術、さらには茶道などでも、型を習得することは、物事を学んでゆく大切なプロセスでした。
ある意味で、「型」は日本文化の表現形式であり、日本独特の美学であるともいえそうです。
そして、現代社会でも「型」は、名刺交換でのマナーなど、様々な常識の中に定着しています。

この「型」を巡って、欧米の人とした会話は印象的でした。

「日本人は、なんでも道 (どう) という単語をつけてものを習いますね」

その人はアメリカは西海岸に住む友人で、日本語も堪能です。

「例えば、茶道や花道、武道、あげくの果てには野球ですら野球道という人がいるほどですよね」

「道 (どう) の概念は、精神的なもの。一つのことを徹底的に極めてゆくための修行、鍛錬、さらにはそうした行動を積み重ねることで生まれる精神的な深みへの追求を総じて道 (どう) という言葉であらわすのです」

「師匠について特別な技能を学ぶとき、師匠はこの道 (どう) についての心構えを弟子に要求するのですね」

「そうなんです。弟子は師匠の指導のもと、徹底的にその技術を体験してゆくことを求められます。具体的なノウハウではなく、ただ師匠の世話をし、命令に従い、じっと師匠の所作を見詰めて年月をかけて学ぶことが求められます」

「そんなとき、まず型を覚えることからはじめますね」

「おっしゃる通り。何度も、何度も同じ動きや所作をくり返し、その型を覚えてゆきます。型はそのまま日本の伝統的な様式美を創造しています」

「でもね。我々外国人からみると、日本人ってなんでも型にこだわっていますよね。ビジネスの世界でみれば、あまりにも日本人の物事の進め方が形式的すぎて、ちょっと戸惑うこともあるんです」

そうコメントして、彼は続けます。

「例えば、仕事をするとき、日本人は手順をとても大切にし、プロセスをしっかりと決めないと前に進みません。でも、実際の仕事では変化はつきものですよね。だから、最初のプロセス造りに注力しすぎる日本人に、イライラすることがあるんですよ。そんなことより、まずやってみようよって思うんです」

「なるほど」

「それに、日本人は時には型にこだわり過ぎて杓子定規。例えば稟議書の書式や、その都度必要とされるレポートなど、うるさいぐらい定型にこだわります。官僚的というか、融通がきかないというか。時には無意味に思えることにまで、異状にこだわるんですよ」

どんな文化にも長所と短所があります。
日本人の「型」への探求は、その緻密さと美的なセンスにおいて、素晴らしいものがあります。しかし、一方「型」へ執着する日本人は、時には融通が利かず、杓子定規で硬直した組織を造ってしまいます。

「さらにもう一つ問題があります。日本人は具体的なフィードバックをしてくれません。黙って上司の背中を見て仕事を覚えろという風に。でも、我々からみると、ちゃんとノウハウや問題点を言葉で指摘してもらったほうが、遥かに効率的に思えます。日本の伝統芸能などで培われた古典的な指導法が、逆に現代のビジネスでは短所となっています。具体的で論理的なフィードバックの欠如は、日本人と仕事をする多くの欧米人を失望させるんです」

この問題は、世界に進出する日本企業が、現地の人をいかにマネージするかというときに必ず指摘される課題です。
「型」の学習は黙々と行います。そもそもその「型」にどんな意味があり、なぜその鍛錬が必要かは教えてもらえません。 「型」を習得し、それが体に馴染んだとき、なるほどと思える瞬間があるのですが、それまでは質問もせずただ練習することが求められます。
これが、ビジネスの世界では短所となることがあるのです。
欧米の人は、Why と質問し、何故その行動をしなければならないか、論理的な解説を求めます。また、自分の一つ一つの行動がちゃんと目標にかなっているか、常に口頭でのフィードバックを求めます。「型」の学習に馴染んでいる日本人は、こうした口頭での説明やフィードバックが極度に苦手なのです。

日本の伝統的な価値観が、現代のグローバルなビジネスに与えている影響。
それは、日本人にとってはごく日常で当たり前のことであるがゆえに、我々が気付かないまま、相手に誤解や不信感を与えてしまうリスクがあるのです。

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