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性風俗への表現、それは日本人が誤解をまねく最も危険な領域

「高速道路を走っていて、ラブホが目にはいるとき、ちょっと恥ずかしくなります。だって、自由の女神がホテルの屋上に建ててあったりするので。一度、海外の友人を連れてドライブをしていたとき、なぜあそこに自由の女神があるのって聞かれて、どう答えてよいやら、迷いました」

この手のコメントはよく耳にします。ある国の人にとっては、国の象徴となるようなものも、他所の国の人にとっては単なるデコレーションというわけですね。アメリカ人も、よくサムライや芸者を誇張して表現するなど、日本人が顔をしかめたくなるようなステレオタイプな表現をすることがありますし。
するとその人はさらに言いました。

「そもそも、高速道路の脇に並ぶあの手のホテルをみても思うんですが、日本人って性に対してオープンですよね。電車などでスポーツ新聞を読んでいるオジさんなんか、そこに風俗の広告やポルノ小説のイラストがあっても平気です。あれ、他所の国ではまず見ない光景ですし」

「そうですね。そもそも風俗という言葉、不思議な言葉です。これは英語にはなりません。Sex Industry としか訳せないんですよ。最も確かに風俗は Sex Industry ですが。そういうと、いわゆる売春行為に直結するような極めてストレートなイメージを抱きますね。実際、多くの国では、こうした店舗などは、薄暗い特殊な場所で営業していて、一般の生活とは隔絶しています。そうした意味でも日本人の感覚は海外の人からみて不可思議かもしれませんね」

以前、シカゴにある日系書店が警察の摘発を受けたことがありました。
それは、子供も出入りする公の書店で、ポルノ雑誌を取り扱っているという容疑。日本のニュース雑誌にはよくヌード写真などが掲載されています。コミック雑誌などになればもっとあからさまです。加えて、日本の書店では性風俗に関する雑誌などを比較的無抵抗に販売します。この常識の違いが、警察沙汰の原因でした。

「実は、こうした問題の背景にも、日本とアメリカとの間でどうしても越えられない文化の違いあることに気付かされます」

「風俗の問題がですか? 単に日本のオッサンの下品さが情けないだけのように思えるのですが」

「そう言ってしまうと、オジさん達もかわいそうですよ。確かに時にはお下劣であきれてしまうこともありますが、アメリカ人に比べると、日本人は男女共に、性表現のタブーが薄いのは事実です。アメリカ人の多くはプロテスタント系の人が多く、子供の頃から建前の上でも性的なモラルを教え込まれます。もちろん、若い男の子がシャワールームなどで猥談をしたりすることは、日本もアメリカも同じかもしれません。しかし、アメリカの場合特に公の場での性のタブーは宗教的背景からも厳しいのです」

「私は女性なので、日本の男の人が無神経にセックスの話などをするのは、不愉快ですよ。セクハラという観念がまだまだ日本人には希薄なのかなと思いますが。そもそも男性優位の社会だったので、女性への配慮が欠如しているのでしょうね」

「それは認めます。それでも、日本人はこの手の話題への許容範囲が広いんです。しかも、不快感の度合いも。さらに、そうした話題に対して拒絶しない場合のリスクへの恐怖もアメリカ人の方が日本人より強いように思えます。正に、セクハラなどの訴訟や、女性や同性愛者への差別をするとんでもない人物というレッテルを貼られるリスクへの恐怖です」

「そうですか。当然、何に対して不快感を持つかということは、文化によってその度合いも異なりますよね。ということは、ちょっとしたジョークでも気をつけないと、とんでもない誤解につながる可能性があるわけですか?」

「そうなんです。小さい頃から教会に通い、そうしたモラル教育を受け、性的表現へのタブーを意識してきた人は、男女関係なく、日本で頻繁に交わされる Sex に関するジョークには露骨に不快感を抱くケースが多くあります」

「なるほど、ということはやはり橋下氏が沖縄でアメリカ軍の司令官に米軍は日本で風俗をと言ったことは、決定的な国際感覚の欠如だったのですね」

「そもそも、彼の発言は国際感覚以前に、公の人が女性の気持ちを踏みにじったわけですから問題です。しかも、おっしゃる通り、こうしたコメントが海外ではどうとられるかということについて、余りにも知識がなかったことは否めません」

「そうですね」

「きっと彼は、誰だって本音ではそう思っている筈なのに、建前に終始するからアメリカ軍だって不祥事が続くんだよと心の中では思っているのかもしれません。でも、建前はそれを使うとき、使わなければならない文化背景があり、しっかりと人の意識とリンクしているということを忘れてはいけません。TPO とは正にそうした建前をどういう場合に使うかという判断基準を指す言葉でもあるのです。TPO、つまり発言をするときのタイミングや場の感覚は文化によって著しく異なるのだということは、常に知っておかなければ、思わぬ誤解を受けることもあるのです」

「この問題の背景、単に宗教的背景の違いだけなのでしょうか」

「もう一つあります。アメリカでは、こうした宗教観に加えて、子供の人権に対して日本より遥かに厳格な基準があることも知っておかなければなりません。子供への性的虐待についての解釈の範囲が、日本よりは広いのです。性風俗についてどんな形であれ、それが子供の前で表現されることは、アメリカでは重大な刑事責任を問われる事案となる可能性が大きいのです」

「それは理解しておきたいですね」

「もちろん、アメリカでも社会のひずみなどによる子供への性的な虐待のケースはよく報道されています。そうした明白な刑事事件とは別に、正にシカゴの日系書店でおきた問題のように、児童虐待の解釈の広さの違いから、思わぬトラブルを招くこともあるわけで、そうした感覚が希薄な社会で育った日本人は、海外で仕事をしたり生活したりするときに、特に注意しておく必要があるわけです」

確かに、日本は今変化の最中にあるとはいえ、伝統的に男性優位の社会。加えて子供を人権のある人間として、公で守ってゆくという意識は欧米よりはかなり希薄です。この違いがもたらすトラブルは思ったより深刻な結果を招きます。文化の違いではすまされない、是非知っておきたい事柄なのです。

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