【海外ニュース】
Iran hangs Reyhaneh Jabbari despite campaign
(BBCより)反対運動にもかかわらず、イランはレイハネ・ジャバッリを絞首に
【ニュース解説】
中東では人権 Human rights に対する常識が、欧米とは異なります。
土曜日に絞首刑に処せられたレイハネは 26歳。実は彼女は乱暴をしようとした男性を殺害したのではといわれています。しかも、自白自体脅迫によるものではなかったかといわれ、イスラム社会での女性の法的立場の弱さが露呈されたケースとなったのです。
話は飛びますが、以前サウジアラビアの首都リヤドに出張をしたとき、タクシードライバーが、「チョップ・チョップ・プレイス」を見に行きたいかと私に問いかけたことがありました。「チョップ・チョップ・プレイス」とは公開で斬首刑の行われる場所のこと。あまり趣味のよいことではなく、私はやんわりとその誘いを断りました。
後で、現地の友人が私に、処刑にあたっては斬首を行う執行人が大切な役割を担っていると説明してくれました。処刑にあたって、執行人は被害者の遺族に慈悲の心はあるかと問いかけます。例えば、喧嘩をし、殴った相手がたまたま昏倒して死亡したとします。この場合、喧嘩であったということから、被害者の遺族に、犯人が強い殺意をもっていたわけではないので、許してやってはどうかと問いかけます。遺族がそれに同意すれば、被告は無罪かあるいは減刑。それでも遺族が執行を主張すれば予定通り処刑されるというわけです。私はイスラム法には素人ですが、明らかに欧米や日本の法律とは異なる常識で社会が成り立っていることがわかります。
今回、イランでの刑の執行は、アムネスティなど、様々な人権団体などから執行の猶予 reprieve の嘆願がでていました。しかし、最終的に被害者の遺族が猶予に同意しなかったことによって、刑が執行されたのでした。サウジアラビアのケースと似たプロセスがそこにありました。
アムネスティのみならず、多くの国がこの執行に抗議、イランでの人権、特に女性への人権に対するイメージは地におちてしまいました。
彼女の死刑が宣告されたのは5年前。逮捕されて2ヶ月間、独居房 Solitary confinement に監禁され、弁護士との接見もできなかったといわれています。さらに、彼女は被害者を刺したかもしれないが、それが致命傷ではなく、致命傷を負わせた真犯人がいると疑いも指摘されています。捜査が極めてずさんだったというのです。
イランでは今年だけで 250名が刑死しているといわれています。その数の多さもさることながら、裁判のあり方、法の元での平等の概念に抵触した、若き女性への刑の執行は、世界の非難の対象となったのです。
中東や北アフリカなど、イスラム圏では男女が平等に扱われず、多くの女性が差別に悩んでいるといわれます。例えば、日常的なことでいえば、サウジアラビアでは、ホテルのロビーに男性のみが座ることのできる場所がある反面、女性に供与される場所は限られていました。そして、運転免許証も男性のみに与えられます。こうした現状に加え、近年中東でおきているイスラム国ISISなどでの様々な事件が、欧米の中にイスラム圏への批判、さらに偏見を助長します。
ただ、我々がこの悲しいニュースに接したとき、知っておかなければならないことが。もう一つあることをここに強調します。
それは、人権擁護団体のアムネスティなどは、日本の刑事犯への扱いにも強い懸念をもっているということです。先進国の中で、日本はアメリカと共に死刑制度いまも残す数少ない国。しかも、欧米の人権活動家は、日本で検察官によって起訴された人のほとんどが有罪になる実態にも懸念を表明しています。捜査や訴追の透明性が著しく欠如していると、彼らは指摘しているのです。
つまり、イランの悲劇を見る目と同じ視線で、日本の注視されていることに、我々は気付いていないのです。
I urge Iran to put a moratorium on all executions (私はイランが全ての処刑を中止することを強く求める) と、イギリスの外務大臣トビアス・エルウッド UK Foreign Minister Tobias Ellwood は、今回の処刑のニュースを受けて、声明を発表したそうです。
死刑廃止、捜査の透明性と被疑者への公正な取り扱いといった、日本も抱く課題。凶悪犯罪への抑止、そして遺族の心境への配慮というテーマとのバランスをいかにとってゆくべきか。イランでの悲劇は「中東ならでは」と言い切れない課題を我々日本人にも突きつけているのです。