先日、シカゴのホテルで開催されたとあるコンベンションの会場を歩いていると、ポタポタと天井を這うパイプから、水が漏れていました。
周囲の展示ブースの人が、それをみて、大丈夫かなと話し合っています。
しばらくして、数人の係の人が、大きなバケツをもって現れます。
笑いながらジョークをかわし、特に緊張した様子もなく。
そして、梯子を登り、ハイプに至ると、いきなり水がざあざあと漏れ始めました。約五分後、元栓をしめて、一件落着かと思うと、次第にホール全体の温度が下がり、みんな寒いねと文句を。外はマイナス5度。きっと暖房の設備に異常があったのでしょう。
こうした一連の事故を経験しながら、日本人の出展者がぽつりと、
「こんなこと、日本のホテルでは絶対にないよね」
するとそれに呼応して、
「そうだよね。外国にくると日本は素晴らしいってわかるよね」
「まったく、そもそも、あの修繕に来た連中も、笑いながら、私語をしながら。一体何なのだろうね。ホテルの責任者も顔をださずに」
私は心の中で思いました。
アメリカ人は、この手のサービスの質に余りこだわらない。ただそれだけのことで、文化が違うだけなのに。どうして日本の方が優秀だと思うのだろうと。
実際、この異文化体験は世界中でおきています。
完璧を求め、細かいことにも注意を払いたがる日本人。
それに対して、ものごとは前に進めばよく、そのためのプロセスや詳細は、さほど重要でないとする海外の人。この事件でも、水漏れが止まり、最終的に暖房が再開されればそれでよし。それ以上でも以下でもないというわけです。
「いえね。考えてごらんよ。この水漏れが日本でおきたら、まずホテルの責任者がきて平謝り。そして場合によっては館内放送も使ってお詫び。さらに、工事をする人も真面目な顔をして、まわりにお辞儀をしたり、お詫びをしたりしながら作業を進めるよね」
「でも、こちらの人は、そんな必要はないと思っていますよ。水が漏れた。じゃあ、修繕すればいいよね。それだけのこと」
「でも、それじゃあ、日本ではお客は満足しない。責任感のかけらもないと思ってしまう」
「だって、お詫びをしようが、何をしようが、おきてしまったことは仕方ないでしょ。しかも、大事件でもなく、ちょっと寒くなったら、コートを着ればいいだけじゃない」
「じゃあ、アメリカ人は黙って耐えているの?」
「そんなことはない。寒さが本当に深刻になれば、皆うるさく文句をいいだすさ。でも無理なものは無理。ホテル側が、今何をしているかは説明するけど、お詫びなんてしないじゃないかな。お客さんも実害がない限り、そんなこと、求めてないし」
「なるほどね。これって日本人にはわかりづらい感覚だね」
海外の人からみれば、なぜ日本人がそんなことまでうるさくいうのか理解できません。
実際、アメリカに進出している日本企業では、こうした細かい配慮ができないアメリカ人には仕事を任せられないと、日本からの管理をさらに徹底しようとします。しかし、全く異なる価値観で対応しているアメリカ人からみれば、そうした日本側の態度に不満が溜まり、退職したり、モチベーションが下がったり。すると、さらなる悪循環が繰り返されるのです。
「よくこんな国が、スペースシャトルをあげられるよね」
「だから、彼らにとっては、どうでもよいことはどうでもよし。ロウテクでも構わない所には、それほど気を使わない。でも、一旦エネルギーが集中すると、とてつもない自由な発想で、素晴らしい技術を産み出すわけ。そのモチベーションを与えられない日本の企業が結構多いのは、深刻な課題なんだけど」
そうなのです。アメリカ人にスペースシャトルを打ち上げるような、あるいはアップルコンピュータを造るようなモチベーションを与えるには、彼らの文化に従ったマネージメント・スキルが必要なのです。
細かいことを、うるさく指摘するのではなく、大切なゴールに向かって意識を高めるようなマネージメントの手法が。
日米のビジネスでの異文化ギャップ。この課題は、既に何十年も解決されないまま、誤解だけが積もる課題なのです。