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変化できない日本の社会の根深い現実とは

Those that do take the initiative have courage and nerves of steel. They are to be commended for planting seeds of change. Someone has to do it.

(イニシアチブをとる人には勇気と鋼の神経が必要だ。変化の種をまくときは、きっと物議をかもすだろうが、誰かがそれをなさなければどうしようもない。)
― あるアメリカ人の友人のコメント より

一通のメールに見る「硬直」した日本人の意識

 一昨日のことでした。
 私の母校の同窓会から、世話人の一人のメールが届きました。
 いわく、「新型コロナウイルスで自粛が続く中、明るい話題が届きました」。
 よく見ると、同窓生の一人が文部科学審議官(事務次官級)に就任されたとのことで、お祝いの言葉と共に、そのニュースを知らせるサイトのURLが貼り付けてありました。
 
 私の郷里は大分で、上野丘高校という、いわゆる進学校を卒業しました。
 あまり同窓会に興味はないものの、同じ時代に卒業した人々のその後をちらちらと垣間見るのも一興と、メールは受け取っていたのですが、このメールを見てやはりなあと思い、ため息をつきました。
 
 多くの人が、多くの仕事に就いています。
 会社で働いて昇進する人もいるでしょうし、独立してお店を開く人もいるでしょう。しかし、地方の同窓会のレベルでは、そんなことには誰も触れず、こうした官僚の世界、または国が認めた世界で出世することが、華々しいことだといまだに捉えているのだな、と実感させられたのです。
 外交官や有名な大学の医者など、世間でもてはやされる人をやはり誇りに思うようなやりとりが、以前にもありました。
 
 今、こうした常識が社会の中でどれだけ覆されようとしていても、あるいは今回のコロナの問題で、日本の硬直した官僚組織や、国民にも十分な情報を共有しない悪弊が指摘されていても、やはり社会の中で、例えばこの同窓会のメールなどを見ても、人の意識が本当に変わるのにはどれだけの時間とエネルギーが必要なのかを実感しました。
 

日本社会に厳然と残る「上下関係」と「公平性」の圧力

 日本の官僚組織、さらには民間も含めて様々な機構や団体の弱点は、個人がイニシアチブをとれない(主導権を握れない)ところにあるようです。
 組織の中に、あるいは社会全体の中に「上と下」という壁が厳然と残り、それを打ち破ろうと個人が努力すると、エキセントリックで突出した行動ととられかねません。
 さらに、官は民間を下の組織と見て、あるいは大企業はそうでない企業を同様に見て、必要ならばアウトソースを行いますが、そこで何か一つでもミスがあれば、それを社会が厳しく糾弾し、官や企業もそれに追随するため、アウトソース先でイノベーションを起こすこともできにくいのです。
 
 ニューヨークでコロナが大流行し、1日の死者が数百人であったとき、州知事は毎日記者会見を行い、その日その日の状況を1時間にわたって具体的に細かく発表しました。
 日本では東京で再びコロナが蔓延しても、3密を避けようとか、不要不急の外出は控えようといった、小学校の授業での注意喚起のようなことを繰り返すだけで、どのような事情で検査が遅れているか、どのようにそれを改善するか、そのために誰がどこで何をするかといった具体的な情報が何も出てきません。そして、組織の中でそれを指摘する声が外に聞こえてくることもありません。
 
 今、日本人全員がリスクをとることを嫌い、完璧な準備なしには何事も前に進みません。しかし完璧などということは、存在しないのです。失敗に寛容になりながら、試行錯誤を続けて物事を積み上げてゆく行為なしには、進歩は見られないはずです。コロナ対策での情報共有の不足とお粗末な対応は、そうしたリスクへの恐怖に起因しているのでしょうか。
 
 文部審議官になった方をお祝いすることは、身内であればあり得るでしょう。
 しかし、例えば文科省を例にとれば、日本人の英語でのコミュニケーション力の低下が云々され、教育改革の必要性が叫ばれながらも、結局のところ有名大学やいわゆる「有識者」の圧力で、それも遅々として進みません。
 韓国や台湾などと比較すれば、そのお粗末さには目を覆いたくなります。
 そして誰もが最終的に「公平性」という言葉を理由に、公平にならないものは全て退けます。完璧な公平を模索すれば、ものごとが進まないのは当たり前です。
 

受験制度によって育てられる「完璧」を目指す常識

 こうした社会の課題の元凶は、入学試験制度にあるような気もします。
 受験教育の中で正解は一つしかないという意識を埋め込んで、それをうまくこなした人が、社会の「上」へのパスポートをもらいます。
 そんな制度を意識してか無意識なのか、同窓会など社会の様々な集団が、パスポートをもらった人を後押しします。
 正解はたくさんあって、それを多くの人が議論し、より高いレベルに持ってゆく柔軟性が組織の中に欠如しているのです。
 
 受験制度は、受験のスキルを磨く日本の「ガラパゴス」です。
 ですから、日本の社会には海外からの指摘に対して、「日本は他の国と違って」と言い訳することが横行します。
 また、受験勉強において子供に常に「しっかり」という意識を植えつけます。それは、硬直した行動に盲目に従い、完璧を目指すことをよしとする常識を育てます。こうして育った人々は、何か想定外のことが発生したときの柔軟性に対して極度な不適応を起こしてしまいます。
 
 ニューヨークでは、コロナの災禍を経て、街のあちこちに歩いて行って検査を受けられるブースが設けられ、面倒な手続きなしに、人々がそれを利用して自分が陽性か陰性かわかる仕組みが作られました。
 その過程では試行錯誤や失敗もありながら、最終的にはコロナの蔓延を食い止め、アメリカの中でも奇跡的な復活を遂げています。
 
 こんな話をアメリカの友人としたとき、彼が社会を変えるには「勇気と鋼のような神経が必要だが、誰かがそれをやらないと」と、語ってくれたのです。
 
 日本の将来を本気で考えるには、こうした鋼のような神経が必要なのかもしれません。それはたとえ批判されても、それを語り続け、まさに旧弊を壊せない百の理由を無視してハンマーを入れる勇気が必要なのでしょう。
 

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『あたらしい高校生 海外のトップ大学に合格した、日本の普通の女子高生の話』山本 つぼみ (著)あたらしい高校生 海外のトップ大学に合格した、日本の普通の女子高生の話』山本 つぼみ (著)
著者は、英語がまったく話せない普通の高校生でした。そんな彼女が地方の公立高校に通いながら、米国最難関大学と呼ばれるミネルバ大学を含めた日米豪のトップ大学の合格を勝ち取りました。 本書は、日本人が海外名門校を受験する苦労や、入学してからの体験談も豊富に紹介され、海外留学を目指す高校生にとって【必要な心構え】や【やるべき準備】を知ることができる、貴重な情報が満載です。
帰国子女でも有名進学校の生徒でもない彼女の挫折と成功体験の記録が、これからの時代に生きる高校生に、あたらしい選択肢を示す一冊です。

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