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カマラ・ハリスにとってのインド、そしてインドにとってのカマラ・ハリスとは

I know times have been challenging, especially the last several months.
The grief, sorrow, and pain. The worries and the struggles.
But we’ve also witnessed your courage, your resilience, and the generosity of your spirit.
For 4 years, you marched and organized for equality and justice, for our lives, and for our planet.

(今は確かに課題多き時です。特にここ数ヵ月はそうでした。悲嘆、悲しみ、そして痛み。懸念と混乱。しかし、我々は皆さんのなかに勇気と復活、そして寛大な心をも見つけることができました。この4年間、平等と正義、我々の命とこの地球のために、皆さんはまとまり、行動を続けてきたのです)
― カマラ・ハリスの副大統領受諾演説 より

インドからの移民ネットワークの中で育ったカマラ・ハリス

 池袋の高速道路のガード下に、小さなインド料理屋があります。
 そこの主人はインドのチェンナイ近郊の出身で、昔タージマハル・ホテルに勤めていました。
 昨年の11月、久しぶりにその店を訪ねると、彼は嬉しそうに、私の故郷の近くからアメリカに渡った人の娘がアメリカの副大統領になったんだよ、と語ってくれました。
 
 南インドのタミル・ナードゥ州出身で、19歳のときにアメリカに渡ってきた母親に育てられた、1964年生まれの女性。それがカマラ・ハリスだったのです。
 カマラの父親もアメリカに渡ってきた移民でした。カリブ海の国ジャマイカの出身で、その後ロンドンやカリフォルニアで学び、経済学者となった人物です。両親はカリフォルニアのバークリーで出会いました。
 
 ここで、話を戻して、あのインド料理屋の主人の勤めていた、タージマハル・ホテルについて少し語ってみます。
 タージマハル・ホテルは、今インド最大の財閥であるタタ・グループの創業者、ジャムシェットジ・タタが始めたホテルでした。
 彼はイギリス統治下のインドにあって、インド人にも一流ホテルを経営できることを証明しようと、1903年にこのホテルを開業しました。
 今、タージマハル・ホテルは、インドを代表する高級ホテルとして世界に知られています。
 
 インドは、1858年から1947年までイギリスの統治下にあったことから、多くのインド人が宗主国のイギリスをはじめ、イギリスと関係の深い国々へと移住しました。例えば、シンガポールには、カマラ・ハリスの先祖と同様に、南インドのタミル・ナードゥ州から今でも多くの労働者が流れ込んでいます。カナダにもインド系の人々のネットワークがあります。
 もちろん、アメリカも例外ではありません。アメリカでインド料理のレストランを経営する人物の親戚はイギリスで働いている、というような事例は、数えきれないほど存在するのです。
 
 カマラ・ハリスは、そんなインドからの移民ネットワークの中で育った女性です。彼女がアメリカの副大統領になったとき、彼女の母親の出身地に近いチェンナイでは、多くの人がその快挙に沸き立ったといいます。
 
 カマラ・ハリスは子供の頃から、彼女のルーツであるインドやジャマイカをよく訪れていました。そして、彼女の祖父はインドの独立運動にも貢献した人権活動家で、祖母もインドでの女性の地位向上のために奔走した人物だったようです。
 母親のシャーマラ・ゴバーランは、若い頃インドからアメリカに移住し、そこで医学を学び、カリフォルニアで乳がんの著名な研究者となりました。
 

東洋×西洋が生みだしたホテル、そして米国史上初の女性副大統領

 さて一方、タージマハル・ホテルは、創業以来インドを代表するホテルとしてその名が知られるようになります。やがてホテルは海外にも進出し、日本にも営業所を持ちました。
 タージマハル・ホテルが創業した頃のイギリス領インドは、隣国のパキスタン、バングラデシュ、さらにミャンマーまで傘下に入れたインド帝国として君臨していました。
 タージマハル・ホテルは、そんなイギリスの権威に挑み、インドを代表する世界遺産タージ・マハルをモデルにしながら、イギリス流の建築様式を取り入れて完成しました。その東洋と西洋とのシナジーが、その後のホテルのビジョンとなったのです。
 
 しかし、皮肉なことに、同ホテルは2008年にムンバイで起こった同時多発テロの標的となり、創建当時の建物も大きな損傷を受け、宿泊客を含む多数の人々が犠牲になりました。イスラム原理主義者とされるテロリストグループから見るならば、同ホテルは欧米の富裕層に依存した罪深いホテルだということだったのです。
 その凄惨な様子は、その後『ホテル・ムンバイ』という映画にもなりました。
 幸い、ホテルは再建され、今も多くの人を魅了する高級ホテルとして、世界中の賓客を集めています。
 
 そんなタージマハル・ホテルに勤務していた私の友人のルーツが、カマラ・ハリスの先祖の地のすぐそばだったのです。
 カマラ・ハリスは、インドからの移民であった母親を常に尊敬していました。そして、若い頃にはインドで独立運動にも携わった祖父に会い、強い影響を受けたと語っています。
 彼女は、インドのルーツを持ちながら、アメリカ人として法曹界から政界へと進み、ついに次期副大統領に選ばれたのです。ちょうどタージマハル・ホテルのように、インド人としての伝統が彼女の血として流れています。そして、アメリカ人として、これからのアメリカ社会のリーダーとして活動するわけです。
 
 これは、移民を流出させるインドと、それを受け入れてきたアメリカとが生み出したシナジーであるといえましょう。
 今、あのタージマハル・ホテルの惨劇のように、そうした多様なシナジーを嫌い、白人至上主義やイスラム原理主義といった、自らの殻のみに固執する人々による社会の分断が続いています。
 
 カマラ・ハリスは、自らのルーツを意識するが故に、常にアメリカ社会の原点ともいえる移民による多様性を支持してきました。分断された社会のもう一つの核ともいえる立ち位置に、自らを置いて大統領選挙に挑んだことになります。
 だからこそ、彼女は映画『ホテル・ムンバイ』に描かれた脅威にも対峙しなければならないはずです。
 

2021年は分断のない多様性が輝く世界へ

 東京の池袋のガード下にある小さなインド料理屋と、アメリカの次期副大統領とをつなぐ見えない糸。そんな糸は今、世界中に多彩に張り巡らされています。
 
 2021年こそ、コロナウイルスから世界が解放され、この多彩な糸による輝きを取り戻すことを祈りたいものです。
 

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『日英対訳 世界の歴史
 A History of the World: From the Ancient Past to the Present』山久瀬 洋二 (著)  ジェームス・M・バーダマン (翻訳) 日英対訳 世界の歴史
A History of the World: From the Ancient Past to the Present
』山久瀬 洋二 (著)  ジェームス・M・バーダマン (翻訳)
受験のためではない、現在を生きる私たちが読むべき人類の物語
これまでの人類の歴史は、そこに起きる様々な事象がお互いに影響し合いながら、現代に至っています。そのことを深く認識できるように、本書は、先史から現代までの時代・地域を横断しながら、歴史の出来事を立体的に捉えることが出来るように工夫されています。 世界が混迷する今こそ、しっかり理解しておきたい人類の歴史を、日英対訳の大ボリュームで綴ります。

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