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386世代への視点が変わる韓国の現状とは

Former Prosecutor General Yoon Seok-youl announced Tuesday that he will compete in the next presidential election in a bid to stop the “corrupt and incompetent” Moon Jae-in administration from extending its rule.

(前検察総長のユン・ソクヨル氏が、火曜日に次期大統領選挙への立候補を表明し、「汚職にまみれ、無能な」ムン・ジェイン政権の継承を阻止すると発表)
― Korea Times より

日本人が知っておきたい韓国の根強い反日感情の背景

 日本と韓国との関係が冷えこんでから、すでに何年も経過しています。戦略的にも、経済的にも、この状況は早く改善したいものです。
 そもそも、日本人はどれだけ韓国のことを知っているのでしょうか。
 隣国でありながら、韓流などの文化面はともかく、現在の韓国についての知識が一般に浸透していない状況は、決して健全なものではありません。もちろんそれは韓国も同様で、韓国での根強い反日感情に課題がないわけでもないはずです。
 
 では、韓国の反日感情はどこに起因し、どう変化しているのでしょう。
 言うまでもなく、1910年から第二次世界大戦が終わるまで、韓国は日本の植民地でした。このことが反日感情の直接の背景であることは自明です。
 しかし、韓国が独立した後の推移に注目すると、反日感情の背景には思わぬ事情があることもわかってきます。その事情を我々は理解するべきなのです。
 
 まず、1945年8月15日。日本の敗戦が決まった日に全てが始まります。
 韓国では、それ以前から続いていた独立運動の指導者の一人、ヨ・ウニョン(呂運亭)と当時韓国を支配していた日本の朝鮮総督府との間で、韓国独立後の混乱を避けるための話し合いが行われました。その後、韓国には朝鮮人民共和国が独立政権として成立したのです。
 しかし、日本の敗戦時、すでにソ連はピョンヤンに進軍していました。さらに日本の降伏を受けてアメリカもソウルに進駐し、それぞれが独自に半島の統治を始めたのです。実は日本の敗戦以前に、アメリカ、イギリス、ソ連の三国によって、韓国は独立ではなく信託統治下に置かれることが合意されていたのです。
 
 そのため日本が去った後、韓国の独立は冷戦でのパワーバランスと、列強の韓国への無知もあって、韓国人の民意とは別のところで権力体制が再構築され、最終的には北朝鮮と韓国とに分断されたのでした。ちょうどドイツが東西に分断されたように、朝鮮半島(韓国では「韓半島」と言います)は北緯38度線で二つに分かれ、激しく対立します。その結果、1950年に勃発した朝鮮戦争では、500万を超える人命が奪われます。これは、当時の朝鮮半島全体の人口の6人に1人が犠牲になったことになり、第二次世界大戦での日本人の犠牲者をも遥かにしのぐものでした。
 

民主主義を再生させた「386世代」から新たな批判の的「586世代」へ

 さて、この背景を知った上で、韓国の政治に目を向けます。
 韓国には戦後、日本の植民地時代に韓国の近代化が始まったとする「植民地近代化論」を唱える人がいました。彼らの中には、日本の植民地統治の頃に日本での軍歴を持ったり、統治にも関わったりした人たちもいて、その後の韓国の保守勢力の源流となったのです。
 それに対し、「植民地収奪論」を唱える人々は、韓国の中で進歩派として反体制運動の源流となりました。彼らは戦後の冷戦に韓国が翻弄されたことにも批判的でした。そして、韓国というアイデンティティをもって民主化運動を進めようとし、最終的には、朝鮮戦争前後に韓国を統治していたアメリカ寄りで保守系のイ・スンマン(李承晩)政権を倒す原動力となったのです。
 
 ところが、この動きに保守派がクーデターを起こし、軍事政権を打ち立てます。その中心人物が、パク・クネ(朴槿恵)前大統領の父親であり、植民地時代に日本の士官学校を卒業した経歴を持つ軍人パク・チョンヒ(朴正煕)でした。
 彼の政権下で、民主化運動は厳しく弾圧され、アメリカや日本との関係は強化されました。ベトナム戦争(1965-1975)にも兵員を派遣し、国の主導で経済復興にも力を入れたのです。しかし、こうした強権政治に対して、封じ込められていた民主化運動が再燃します。結局、パク・チョンヒ大統領は政権内部の分裂により暗殺され、その後を継いだチョン・ドハン(全斗煥)政権時に、民主化運動は全国的な騒乱へと発展したのです。その過程では光州事件(1980年5月)に代表されるように、たくさんの血も流れました。この模様は、様々な形で映画化もされています。
 
 注目すべきは、当時の民主化運動の中心世代が60年代に生まれ、80年代に大学生であったことです。彼らは民主化された90年代には30代であったため、韓国では彼らのことを「386世代」(30代で80年代の民主化運動に加わった60年代生まれの人々)と呼んでいました。
 彼らによって、韓国は民主主義国家として再生されたのです。
 
 この世代が、元々独立後の植民地収奪論を唱えた人々のルーツにつながります。
 民主化運動以前の韓国の政権は、日本の植民地時代への批判や怒りはありながらも、経済復興を優先するために独裁政権下の強権を背景に日本とも国交を結び、経済交流にも積極的でした。
 しかし、民主化運動の世代は以前の妥協を否定し、民主化運動の課題の一つとして、日本の植民地時代への評価も見直そうとしたのです。これが日韓での過去の合意を否定し、慰安婦問題徴用工問題などへの糾弾につながっているのです。
 
 そして重要なことは、そんな386世代がその後「586世代」と呼ばれるようになったことです。彼らが50代になり、皮肉なことに、自らが作り上げた政治体制の中でその恩恵にあずかっていることへの批判が、今韓国の政界を揺るがしているのです。
 彼らが作った民主化のはしごを若い世代に継承していない、という批判が新たな民主化運動につながり、より公平で公正な政治、女性の権利向上などを求める運動に変化し始めているのです。彼ら新世代には、386世代によって硬直した日韓関係に批判的な人々も多く含まれます。むしろ、韓国にも強硬な外交を展開する中国への警戒感の方が強いのではないかとも言われています。
 

迫る2022年の韓国次期大統領選挙、日本はどう向き合う

 来る2022年は、韓国の大統領選挙の年です。
 失脚したパク・クネ(朴槿恵)前大統領の母体となった保守派政党「国民の力」でも、36歳のイ・ジュンソク(李俊錫)氏が代表になるなど、刷新運動が起こっています。一方、前回の選挙で大勝した「共に民主党」のムン・ジェイン(文在寅)大統領は、住宅価格の高騰やそれに伴う利権問題で支持率が急落しています。
 そして、ムン・ジェイン大統領が386世代での民主化運動を象徴する民衆と検察権力との対立を背景に、検察機構にメスを入れたことに反発した前検察総長ユン・ソクヨル(尹錫悦)氏が、「国民の力」などの保守系の支持層に押され、有利に選挙運動を展開しようとしています。
 
 ここまで語れば、もうおわかりでしょう。韓国の政治は日本の植民地化からの脱皮とその後の混乱にもがきながら、民主化運動を進めようとする過程で振り子のように揺れながら、人々が激しく対立しつつ現在に至っているのです。
 
 日本は、そんな韓国とどう向き合えばよいのか。頑な対応より賢い対応によって、激しく変化する韓国の世論へのアンテナをしっかりと立ててゆくことが肝要です。
 韓国での新しい世代との人的パイプを強化し、連携することによって新たな日韓関係を築くことは、極東での国際政治のバランスを考える上でも、大切なことなのではないでしょうか。
 

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