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女子バスケットボールのコーチから学ぶ日本の課題

Despite the government’s policy initiatives, the internationalization of Japanese higher education has not been understood as a high-priority issue at the institutional level.

(国のイニシアチブとは裏腹に、日本の高等教育の国際化は重要な優先事項だとは教育業界ではみなされていない)
― J-Stage より

 2012年からこのブログを書き続け、まぐまぐのメルマガにも連載していただいています。双方の読者を合わせると毎週数千人の方々に読んでいただいているようです。すでに500回に至ろうとしている連載をサポートしてくださっている読者の方々に、ここで改めてお礼を申し上げたいと思います。
 

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トム・ホーバス氏と対照する日本人の英語に対する姿勢

 さて、日本では東京オリンピックが無事に終わり、いよいよ慢性的な財政赤字の中で、パンデミックとオリンピックでのさらなる出費による財政問題に対応しなければならないはずです。オリンピックを巡っては、なし崩し的に開催が強行され、スポーツイベントとしての盛り上がりの中で、その是非を巡る問題提起、IOCのあり方などについての議論が棚上げされたようにも思えます。
 
 また、オリンピック期間中は、世界で起きている気候変動による惨事やアフガニスタンでのタリバンの攻勢の脅威、それにパンデミックの執拗な拡大など、我々の日常生活にも関わるニュースが、日本のメジャーなマスコミではほとんど取り上げられず、ただお祭り気分に終始していたことは残念です。
 
 さて、そんなオリンピックではありますが、数ある試合の中で興味を引いた人がいました。それは女子バスケットボール日本代表のヘッドコーチ、トム・ホーバス氏です。2017年にチームのヘッドコーチに就任し、今回の銀メダル獲得に貢献したことは今さら解説するまでもないことです。
 ここで語りたいのは、選手さらには日本人とのコミュニケーションに対する彼の姿勢です。
 
 ホーバス氏は選手を指導したりインタビューに応じたりするとき、いつも日本語を使います。その日本語は正直なところ、決して完璧なものではありません。ときには片言にすら聞こえます。
 しかし、彼が強い視線で、熱心に日本語で選手を指導している姿を見て、それに疑問や不快感を覚える人はいないはずです。むしろその逆で、多くの日本人はその真摯な姿勢に好感を抱いたはずです。まして、日本語の間違いを指摘して批判する狭量な人はいないでしょう。
 
 このことをベースに考えてみたいことがあるのです。
 それは、日本人の英語に対する姿勢です。日本人は常に間違いを恐れて英語を使うことをためらいます。しかも卑屈に笑って、英語でのコミュニケーションの場を避けようとすらします。高学歴な人にもその事例は多く、どうしてそうまで自分の英語にコンプレックスを持つのかが気になります。まともな海外の人であれば、ホーバス氏のように頑張って母国語ではない言葉で話してくる人を疎外することはありえません。
 では、なぜ日本人はこうなったのでしょう。
 

日本人の英語コンプレックスを育てた教育業界の課題

 日本の英語教育は完全に失敗だと、海外の英語教育の専門家はよく指摘します。それは、細かい文法指導や文型にこだわる受験英語の弊害であることもよく知られています。
 しかし、これは英語だけに限ったことではありません。英語のみならず、日本の教育業界全体が猛省しなければならない事実が、こうした現象の裏には隠れています。
 
 それは、「正解は一つしかない」という常に「正しさ」を絶対化する教育方針です。また、その意識の上に、できれば現役で大学に行って就職は新卒で、と彼らのいう「正しい選択」を人生設計にまで要求する教育のあり方が問われるのです。したがって、日本人は「正しくない」ことを恥じてしまいます。
 相対的であるべき「正しさ」を絶対化し、それを必須条件とした教育が常に行われているのです。この罪深さは、日本の国力や日本人の人間性、さらには国の将来にまで大きな影を落としています。
 
 そもそも、日本の教育業界には3つの欠点があります。
 まずは、その閉鎖性です。他業種との交流やネットワークはもとより、さらには教師も教育産業界も自分たちの狭いサイロの中に生息するだけで、外との交流体験が少なく、サイロの中での常識がほとんどの判断の基準となっています。
 次に、その依存性です。学習塾業界は、文部科学省の方針や大学の受験政策によって企業戦略を右往左往させるだけで、企業として、かつ教育者としてのビジョンがない依存症に陥っています。しかも、中学や高校をはじめとした教育者もそうした企業のサービスに依存しています。
 そして最後に、業界の硬直性を指摘しなければなりません。閉鎖的で前例のみに頼り、依存性の高い業界は、自ずと硬直して自らがなしていることの問題や責任の重さにすら気付かず、同じ線路を、組織を挙げてただ繰り返し走り続けます。
 そこに一般の保護者も巻き込み、日本人全体を画一的な受験戦争や就職戦争へと導いて、子どもの人格を棄損してゆきます。
 
 この結果が最も象徴的に現れているのが、日本人の英語でのコミュニケーション力の劣化です。アジアの国々の中でも最低レベルだとレッテルを貼られながらも、閉鎖性、依存性、硬直性によって変化できない日本の現実が、海外とコミュニケーションのできない日本人を育てているのです。唯一無二ではなく、多様な「正解」を海外の多様な意識や考え方とすり合わせて、お互いに進化を共有しようとする創造的な行為にブレーキをかけているのです。
 
 硬直している組織では、リスクをとることはタブーです。組織の中では責任を免れるために批判し、評論し、矛盾を指摘することだけに注力する風土ができ上がってしまいます。その方が、何かにチャレンジするより安全だからです。
 そして、そうした人材を日本の組織は「責任感のある人」として重宝します。これが教育業界の実態であり、さらに、その教育によって育成された日本人全員の課題となってしまっているのです。日本が国を挙げて世界に追いつく必要のあった高度経済成長時代の制度がそのまま形骸化し、身動きのとれない社会を作っているのです。
 

日本国内と海外とを分けているうちは日本に未来はない

 トム・ホーバス氏が日本語で選手に語りかけている姿から我々が学ばなければならないのは、こうした日本の根本的な課題なのです。
 「大切なのは楽しむことではなく、アメリカに勝って優勝することだ」と彼はオリンピックの前に言いました。それを聞いた誰もが、まさかアメリカどころか決勝にすら進めないだろうと言い、先に指摘したようなリスクをとることへの批判や評論が飛び交ったといいます。彼のステートメントは、日本人選手の多くが敗れたとき「悔しいけど楽しかったです」と判で押したように、まさに受験問題の正解とも言えるコメントをしているのとは対照的でした。
 
 こう書くと、中には「彼は外国人だから例外なんだよ」とシニカルに言う人もいるかもしれません。
 外と内とを分けて自らを合理化している限り、日本の未来はないはずです。
 ちなみに、そんな意識で日本人が海外の人を呼ぶときに使う「ガイジン」という言葉は、海外からの在住者が最も嫌う言葉の一つだと言われています。
 

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『ファイブアイズEnglish:「文化」と「習慣」を学べば英語は身につく!』塩貝 香織 (著)ファイブアイズEnglish:「文化」と「習慣」を学べば英語は身につく!』塩貝 香織 (著)
学校教育では習得できない!コミュニケーション・ツールとしての英語を日本人が習得する方法とは?
英語圏主要5か国(アメリカ・カナダ・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド)で合計10年間暮らし、アップルやトヨタ、A I Gなどのグローバル企業で働いてきた著者が、自らの経験から「なぜ日本人は、英語が話せないのか?」を分析して導き出した、上達を妨げる要因、それらを踏まえた日本人が“ 話すための英語”を身につけるために必要な取り組み方などを紹介!学校教育の「試験でよい成績を取るための学習ではなく、「英語が話せるようになるための学習法」や各国の英語事情までを分かりやすく解説します。

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