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一人の移民の死から見える、解けない世界情勢の綾

The global Iranian community has been left shocked and saddened by the death of Dr Firouz Naderi, the man who led the Mars Exploration Program at NASA and the successful landing of the Mars Exploration Rovers.

(世界中のイラン人コミュニティがNASAで火星探査計画をリードし、探査船の着陸を成功に導いたフィルーズ・ナデリの死に衝撃を受け、悲しみにひたっている)
― Kayhan Life誌 より

主要先進国を支えるのは移民による人的な資産

 今、コロナの余波とロシアのウクライナ侵攻によって、世界中の経済が混乱していることが報道されています。イギリスをはじめ、主要先進国の多くが債務超過に陥って、財務運営の課題に悩まされ、それが政府への支持率にも影響を与えています。誰が指導者になろうと、出口が見えない以上、各国の首相や大統領などにとっては、経済運営と支持率の維持という矛盾した方程式をどうバランスさせようかという悩みは深刻です。
 
 では、これが欧米の大国が衰退する引き金になるのでしょうか。21世紀の今後という未来を見据えるとき、誰もがこのことを知りたいと思うはずです。しかし、それは単純なことではありません。それは、彼らの底力をしっかりと認識した上で、考えなければならない未来学なのです。
 
 ここで一つの訃報をお伝えします。その人の名前はフィルーズ・ナデリ(Firouz Naderi)。彼は富裕層が多いロサンゼルス郊外に住んでいました。生まれはイランの古都シーラーズ。若い頃にアメリカに留学して機械工学を学んだのち、イランに帰国しましたが、イラン革命に遭遇してアメリカに避難します。それ以来、祖国には戻らないまま、アメリカで生涯を終えました。
 
 彼は、アメリカでNASA(アメリカ航空宇宙局)に勤務し、そこでジェット推進力研究所の技術者としても、様々なプロジェクトの指導者としても多大の貢献をします。人工衛星とのコミュニケーションシステムの構築のほか、火星探査や、その先の太陽系探査の分野でも指導的な役割を果たした、NASAではなくてはならない人材だったのです。
 彼はNASAを退職したあとも、いわゆるインキュベーションの分野で起業家を助け、アメリカでの技術分野の革新に多大な役割を担ったのです。
 もちろん、彼はイラン系の移民にとっても英雄でした。今月になってナデリ氏が77歳で亡くなると、そのニュースは移民のネットワークも経由して世界中に拡散したのです。
 
 アメリカのみならず、イギリスやフランス、ドイツをはじめとした欧米主要先進国の本当の資産は、この移民による人的な資産であるといっても差し支えありません。ナデリ氏は科学者としてアメリカに貢献をしただけでなく、自らが蓄えた資産を使い、後進がイノベーションに向けて活動する機会も提供しました。しかも、彼が活動していたのは国家戦略の中核ともいえるNASAでした。
 
 イギリスが債務超過に苦しみ、フランスでは年金制度が揺らぎ、それによる大規模なデモまで起こりました。しかし、これらの混乱だけを見てそれぞれの国の国力を判断すると大きな誤謬を生みかねません。例えば、現在のイギリス首相のリシ・スナク氏は、東アフリカ出身のインド系家族の子としてイギリスで生まれた人です。また、アメリカの現職の副大統領カマラ・ハリス氏も同じくインド系の血を引いていることは周知の事実です。移民の資産は大きいのです。
 

先進国が同時に抱く発展のカギと衰退のリスク

 しかも、イギリスに代表される欧米主要国は、過去の植民地経営を通して海外に様々な資産の蓄積があり、その金額は莫大なものです。それを運用しているのがモーリシャスバハマといった旧イギリス領です。旧イギリス領といえばインドがその代表ですが、現在急成長しているインドでの資産を運用する金融会社でモーリシャスが潤っていることは、専門家の間では常識となっています。
 
 こうした経済のリンクを考えれば、欧米先進国がいまだに世界経済の中核を担っていることがよくわかると思います。これが、冒頭に解説した混乱する欧米先進国であるとはいえ、彼らがいまだに強国でありうる理由なのです。
 しかも、そのアドバンテージを守るために彼らが国際政治の中で様々な連携と競争を繰り返していることも忘れてはなりません。
 
 イランの場合、革命の後、アメリカとイランとの緊張関係が懸念されました。以来アメリカは国内にあるイランの資産を凍結しています。世界で緊張が起きると、主要国は問題のある国家の資産を凍結し、経済的な打撃を与える一方、万が一の時の国家賠償の原資にもできるようにしています。今年3月、オランダのハーグにある国際司法裁判所は、イラン政府が訴えたアメリカによる資産凍結の違法性を認定し、にわかにこの問題が世界に知られることになりました。
 
 もし、イランに民主的な政府が誕生した場合、アメリカはこの資産に利息をつけて返還しなければなりません。同じく欧米諸国は革命前にイランと共同で開発した石油資源によって得た利益の分配をも求められるリスクを負っています。さらに、動揺している国家が正常になれば、欧米主要国で活躍する人々が自国に戻り、国家の再建に努めるはずです。それは欧米先進国にとって、安定した国家と移民を通して利益を共有することでプラスに働くのでしょうか。それとも、その移民が自らの資産を引き上げるリスクに見舞われることで、新たな混乱の引き金になるのでしょうか。中東やアフリカの正常化がプラスに作用するのか否かは測定不可能なのです。
 

過去の利害関係が現在に絡む複雑な世界情勢

 このように、世界が動揺すると移民が欧米先進国に流れてきます。さらに、この資産凍結や石油の利権問題などの事案からも見えてくるように、移民の母国の多くは過去に移民先の国々の宗主国であったり、様々な経済的な利害関係が絡まった国であったりしているのです。そして、こうした土台の上に欧米先進国の資産が君臨しているわけです。これがアフリカや中東などの政治不安の向こう側に見える、もう一つの現実です。
 
 ですから、こうした政情不安定な国家の動向は、今でも旧宗主国など欧米の大国の事情に左右されているわけです。それは、現在欧米諸国の経済的な実情が不安定であれば、尚更でしょう。
 そこに今回のウクライナへのロシアによる侵攻があり、日々覇権を強めようとする中国の動きが加味されているのです。
 
 そして、中国がどうしてそこまで覇権にこだわるのかと思ったとき、そこにはやはり、ここに解説してきたような欧米への不信感があるのではないでしょうか。欧米諸国からの影響を逃れた、強靭な国家経営への執着があるのではないかと思うのです。遠い過去に、欧米やそれに追随した日本の軍事力による経済進出にさらされていた経験を踏まえた、習近平主席の政治哲学上のこだわりが、炙り出されてくるようにも思えるのです。
 

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『日英対訳 英語で話す世界情勢』山久瀬 洋二 (著)日英対訳 英語で話す世界情勢』山久瀬 洋二 (著)
ますます混沌とする世界情勢を理解するために知っておきたい世界の課題を、日英対訳で解説!
今、世界でさまざまな影響を与えている事象について、単にニュース的な見解と報道を紹介するのではなく、日本人には理解し難い歴史的・文化的背景を踏まえ、問題の向こう側にある課題を解説。そして未来へのテーマについても考察します。また本書では、学校では習わないものの、世界の重要な課題に対して頻繁に使われる単語や表現もたくさん学べるので、国際舞台でより深みのある交流を目指す学習者にも有用な一冊です。

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