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「外国人嫌い」と「隣人」という概念が生み出す社会の確執

Biden calls Japan and India xenophobic nations that do not welcome immigrants

(バイデン大統領が日本とインドを移民を受け入れない外国人嫌いな国家と指摘)
― AP通信 より

バイデンの「外国人嫌い」発言と富士山ローソンからみた日本

 先週、アメリカのバイデン大統領が日本とインドを名指しでxenophobic、つまり外国人嫌いの国家と発言したことが、内外で波紋を呼んでいます。
 アメリカはその始まりから移民の国で、日本やインドとは成り立ちが違います。それを横において、アメリカのように移民に寛容でないことを指摘されても、「余計なお世話だ」という気持ちになる人は多いと思います。
 確かにこれは不愉快な、アメリカの価値観をただ押しつけるコメントです。ただ、この発言の直前に一つの事件があったことを思い出してみたいと思います。
 
 それは、富士河口湖町にあるローソン越しに富士山が見える風景がインスタ映えすると、多くの外国人が押し寄せた事件です。公道を横切り、交通の邪魔になるほどの人だかりで、地元の警察などが注意しても、外国人観光客は写真撮影に夢中です。そこで、町側は安全のために、道路に風景を遮断する幕を張って富士山を見せないようにしたのです。なんと滑稽で稚拙な決断でしょう。
 こうした問題が起きたとき、日本人は日本人だけで物事を解決しようとします。地元に住む外国人などと対応について相談することもなく、外国人観光客と充分なコミュニケーションもとれないまま、ただマナーを守らない人を排除するために幕を張る行為が、せっかく日本を訪れる外国人にどのように映るかと思ったとき、この xenophobic という言葉を思い出したのです。
 

忘れられた「隣人」の概念と部族・民族間の対立

 バイデン大統領の指摘した日本とインド両国の課題をみたときに、思い出す言葉があります。それは「隣人」という言葉です。この言葉には、単にお隣さんという言葉を超えて、側に暮らす者同士がお互いに助け合って、相手を尊重しながら共同して社会を作ってゆくという意味が込められています。ですから、キリスト教などでは「隣人愛」という言葉も交わされているわけです。
 
 ある意味で、日本社会は海外から来ている人を「他の部族」という目でみて隣人扱いしていないように思えるのです。歴史的にみるならば、こうしたことが、思わぬ国際紛争へとつながった事例までもが多く出てきます。よく国際紛争を「部族間の対立が原因で」と報道することがありますが、この報道が多くの紛争や戦争への誤解を与える原因になっていることを知る人は多くありません。
 
 ウクライナにロシアが侵攻したときに、元々ウクライナとロシアとは隣人で、お互いに何の問題もなく行き来していた間柄なのにと、人々が悲しんでいたことを思い出します。
 また、パレスチナ問題が今のようにこじれてしまう前に、イスラエルのラビン元首相と、当時パレスチナ解放機構を指導していたアラファト議長とがお互いの共存のためにオスロ合意を締結したことがありました。そのとき、当時のアメリカのクリントン大統領が、「エイブラハムの子孫同士がここに握手をした」と演説し、対立していたユダヤ人とパレスチナの人々が、旧約聖書の世界でつながる昔の隣人であったことを強調したことがありました。
 しかし現在、人間は得てして隣人であるが故に骨肉の争いを起こしてしまうことが多々あります。
 
 この時に取り上げられるのが、部族や民族間の対立の問題です。
 国家がおおらかであれば、その中で部族や民族の対立は浮上しません。というのも、元々さまざまな部族が一つの中で共存して隣人だったからです。
 しかし、一つの宗教や政治的スローガンに偏った国家が成立したとき、為政者は国民の統合のためにあえて国内に異分子とされる集団を作り、そこに敵意を向けることで、逆に国家内の求心力を高めようとすることがあります。
 
 その代表的な事例が、中東でのクルド人の扱いでした。多様な宗教的背景をもって、元々イランとの関係が深かったクルド人は、イラクやトルコから迫害を受け、時にはジェノサイドの対象にもなりました。
 19世紀に中東に広く進出してきた欧米の国々も問題の原因を作っていました。彼らが二つの戦争の後の処理のための妥協として、意図的に引いた国境が、現在のイラクやその周辺の国々を隔てています。そうした国境に分断されたクルド人は、帰属して忠誠を誓う国家を失ったまま、不安定な状況に置かれてしまいます。そこに、イラクやイラン、さらにシリアなどに独裁政権が生まれれば、彼らは元々の隣人を分断させることで、自らの所属するグループ内の忠誠心を強化し、国家を指導しようと試みます。
 クルド人の場合、彼らがトルコ国内にも多く居住していたために、トルコの内部で国家主義が芽生えれば、クルド人はその差別や攻撃の対象となってしまいます。こうした状況はクルド人だけではなく、世界各地で、元々隣人で、かつ民族的にも同胞であった人々を引き裂く結果を招いていたのです。
 

国内の宗教的対立の高まりを見せるインドの危機

 今、この分断の危機を如実に感じているのが、バイデン大統領が日本と共に名指ししたインドです。
 元々イギリス領だったインドは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒との対立が原因で、インドとパキスタンとに分離独立しました。しかし、その後もインド国内には多くのイスラム教徒が住み続けているのです。今、モディ政権は経済成長するインドを後押ししながら、ヒンドゥー国家としてのインドのアイデンティティを押し出そうとしているのです。
 この国家の事情が、インド国内で再び二つの宗派の対立を煽ろうとしています。隣人が憎しみ、対立する不安が広がりつつあるのです。
 
 危険なのは、民族や部族が異なる点を、遺伝子情報などの最先端の科学を利用して、人種間のルーツの違いによって強調することです。これは民俗学や人類学などの分野では必要なことかもしれません。しかし、このことが政治的に悪用されれば極めて危険です。
 さらに、西欧の列強が人々の対立を利用し、煽ることで社会を分断させ、自国の植民地統治をやりやすくした過去の経緯が、現在の国際政治に暗い影を落としていることも忘れてはなりません。インド社会の分断の原因の一つも、そうした過去のイギリスの植民地政策にあったことは周知の事実です。大切なのは隣人を思うことで、特定の部族と国家とを結びつけないことです。
 
 少し話がそれましたが、今、世界中の人が旅行者であれ居住者であれ、日本とのコンタクトを増やしています。そうした人々を日本人が異なる意識やスタイルを持っていることから寛容に扱えなくなることは、ここで解説した部族間の対立と国家運営のメカニズムに通じてくる可能性をはらむ危険な現象のようにも思えます。
 外国人を含め、側にいる人を隣人と思う気持ちが、今の社会には必要なのです。バイデン大統領の一言は失言であるとしても、日本人は日本人で、海外の人々とのつき合い方をじっくりと考えるべきではないかと思うのです。
 

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『Unseen Faces, Unheard Voices』リビングストン&都・アーミテッジ (著)Unseen Faces, Unheard Voices』リビングストン&都・アーミテッジ (著)
この本の登場人物は、主にアフガニスタン、カンボジア、ネパール、パキスタンに住んでいる。彼らは国家という枠組みの外に生きており、栄養も教育も医療も、雇用の安定も、身の安全すらなく生活している。社会的に排除された人々が見せる人間としての尊厳―その目を見張る美しさを通して、彼らの苦しみに光を当てる写真集。日英対訳。

写真家にとって一番の課題は、貧困の醜さと、人間の尊厳がもたらす美しさとのバランスを探り、見る人が、こうした不正を見抜いて考えることを「選択」できるようにすることである。究極的に、私のメッセージは、教育が変革の力となり、特に少女たちにチャンスをもたらすことを見る人に伝えて、私たち一人一人が、いともたやすく他人の人生を改善できることを知らせることである。
―― リビングストン・アーミテッジ

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