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どちらも勝たず、敗者にもなれない虚しい大統領選挙の実態

President Biden is trying to figure out how to tamp down Democratic anxiety after last week’s disastrous debate performance.

(バイデン大統領は、お粗末極まりない先週の討論会がもたらした民主党の動揺をどうやって鎮めようか思案している)
― New York Times より

テレビ討論会を分析するキーワード「同一性 identity」

 今回のアメリカ大統領選挙を前にしたCNN主催の討論会で、バイデン大統領がかすれた声で弱々しく語り、時には口ごもり、時にはトランプ前大統領の挑発に乗って自己弁護をした醜態が批判の対象となったことは、各メディアでも大きく報道されています。
 
 リベラルな取材で知られるニューヨーク・タイムズですら、トランプ前大統領に民主党が勝つためにもバイデン大統領は身を引くべきだと解説するなど、大統領への逆風は強くなる一方です。バイデン大統領自身も自らの健康状態を気にしていることは事実のようで、家族とも相談を続けているものの、今のところバイデン大統領が続投せざるを得ない状況には変わりないようです。
 

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 しかし、ここで敢えて別の視点で、今回のディベート(討論会)について分析をしてみたいと思います。
 そもそも、アメリカで大きなプレゼンテーションをするときに大切なことは、事実をしっかりとロジックをもって提示し、政策や戦略についての激しい議論はしても、個人攻撃は避けるべきというのが、根本のルールです。
 そして、「事実をロジックをもって」というスキルを象徴するのが、データをいかに明快に開示できるかという技能なのです。開示をするノウハウの中に、「同一性」という言葉があります。英語にすればidentityとなるのですが、それは自らが語りたい主題を裏付ける複数のデータを示す言葉です。つまり、自らが主張したい論理をしっかりと補強するための具体的な実例をどれだけ多く持っているか、という点に聞き手は集中するのです。しかも、そこに挙げられた実例が、どれも等しく自らが言いたい主題をサポートしていなければなりません。この等しくサポートすることを「同一性」というのです。
 
 ここで、今回のディベートを解説するにあたって、敢えて両者の視覚的な印象に捉われず、メッセージの質だけを分析しようと、その激しい討論の音声だけに耳を傾けてみました。すると面白いことがわかってきました。
 最初の4分の1は、バイデン大統領の声は掠れていましたが、明らかに彼が優位に立っていました。というのも、大統領は自らを攻撃してくるトランプ氏に対して、しっかりと統計上の数値をもって自らが成し遂げてきた成果を示していたのです。それぞれの数値はちゃんと彼がやってきたこと、さらにこれから続けてゆく政策を裏打ちする「同一性」のある内容でした。
 それに対してトランプ前大統領は、常にバイデン大統領のやってきた政策を「ひどいものだ」と形容はしますが、具体的に何がどうひどいのかというポイントとなれば、そのバックアップとなる「同一性」の提示はほとんどしていません。言い換えれば、批判する根拠となる事実の明示に乏しいのです。
 
 しかし、バイデン氏が誤ったのは、その後でした。
 彼はトランプ前大統領の挑発に乗って、トランプ氏自身の個人攻撃を始めたのです。これで、トランプ氏とバイデン大統領とは、同じ土俵に引きずり込まれ、年齢の差からくる弱々しさを露呈してしまったのです。
 ビジネスと個人とを明快に分けることがマナーとされるディベートの世界で、双方とも醜く相手の個人的資質について揶揄を始めたのです。この場合、その内容が下品であったとしても、年齢的にも体力的にも優位に立つのは明らかにトランプ前大統領でした。この脆弱さを、ニューヨーク・タイムズをはじめとしたメディアは酷評したのです。
 

個人攻撃の応酬ではなく双方ロジックのある主張を

 トランプ前大統領は明らかに、ジミー・カーターとロナルド・レーガンとの大統領選挙をイメージして今回の討論会にのぞんだようです。つまり、ジミー・カーターが、大統領在任中に起きたイランでのアメリカ大使館人質事件で有効な手を打てなかったことを、ロナルド・レーガンが痛烈に批判し、我々は強いアメリカを取り戻さなければならないと主張したレトリックを応用したのです。
 
 アフガニスタンからの惨めな撤退劇をイランの人質事件になぞらえ、アメリカが世界の笑い物になったと主張し、自分がアメリカを建て直してみせるとバイデン大統領を切り捨てたのです。その延長として、トランプ氏は泥沼化するウクライナ問題や、ガザでの惨劇へのアメリカの対応のまずさを批判したのです。
 この事例を軸に、トランプ前大統領はバイデン大統領を史上最低の大統領だといえば、その挑発に乗ってバイデン大統領もトランプ氏は、「自らの妻が妊娠しているときにポルノ女優とセックスをするような人物」だと言って、個人攻撃を始めてしまいました。次期大統領候補の討論とも思えない、聞くに堪えないやり取りです。
 
 ここで同一性について再び考えます。というのも、これこそが英語でのロジックビルディングのノウハウを知るうえで、かつ語り手の知性とその情報の信頼性を推し量るうえでも重要なバロメータとなるからです。
 説得力のある同一性を表示するには、事例が客観的であることが重要です。状況を、主観を交えずに数値化し、冷静かつ距離をおいて描写することが求められるのです。彼は史上最低の大統領だというならば、それがどういった根拠で主張できるのかという事例を提示して、初めてその言葉に重みがでるのです。もしそれがなければ、その主張は話者の単なる感想と自らの印象を語ったに過ぎません。
 
 政治の世界では、そうした話術こそが詭弁であり、デマゴーグ(扇動を目的とした話術)とみなされるのです。トランプ前大統領のスピーチのほとんどはそうしたロジックのないものでした。歴史的にみても、こうした扇動に人々が影響されたとき、国家は全体主義や分断へと進みやすくなります。
 であれば、バイデン大統領の対応は簡単だったはずです。自らの主張とビジョンを先ほどから繰り返しているロジックに従って語り続ければよかったのです。それを継続できなかったことが、今回の最大の問題だったのです。実際、ディベートの最中にうんざりしてテレビのスイッチを切った視聴者も多かったはずです。
 

どちらも支持を得られない減点法の虚しい選挙戦

 今、アメリカの有権者は「トランプは危険だが、バイデンも弱い」というチョイスのない状況に陥って、どちらに投票するか判断ができずにいます。
 
 今回の討論会で、その戸惑いがさらに深くなり、有権者が選挙そのものから離れたとき、結果がどちらに有利になるのかという減点法で予測を立てるのはなかなか困難です。バイデン大統領の去就とトランプ前大統領が直面する裁判の行方が、この減点法の判断にさらに拍車をかけているということが、今回の大統領選挙の実態なのです。
 

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