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二人のキムのものがたり

Lee Jee-ho, the only son of Samsung Electronics Chair Lee Jae-yong, began his mandatory military service Monday as a Navy officer candidate.

(サムスン電子の会長イ・ジェヨンのたった一人の息子、イ・ジホが海軍の士官候補生として、月曜日に兵役に就く)
― Korean Herald より

韓国財閥4世の米国籍離脱と軍入隊の報を受けて

 サムスン電子のイ・ジェヨン会長の長男ジホ氏が、韓国で兵役に就くことが今話題になっています。
 彼は、アメリカで生まれたために、2重国籍保持者の対象となっていました。しかし、今回兵役に就くにあたって韓国籍を選び、アメリカ国籍を放棄することを自ら選んだことで、韓国の世論から称賛を受けているのです。
 イ・ジェヨン会長は、世襲を廃止するために、ジホ氏がサムスンの経営につくことはないと表明していただけに、長男の去就が注目されていたわけです。
 
 このニュースに接したとき、二人の友人のことが頭に浮かびました。
 一人はアメリカに渡り韓国籍を離脱し、アメリカ人になったキム。そして、もう一人はまもなく6年間の日本での生活を終えて韓国に帰国するキム。この二人の物語は韓国の現代史をそのまま語っているかのように対照的です。
 そして今回のジホ氏のニュースと重ね合わせると、韓国人の素顔が投影されてくるかのようです。
 

二人の友人――米国籍のキムと釜山出身のキム

 アメリカ国籍を取得したキムは、とても面白い友人です。
 初めて出会ったのは26年前、ロンドンの出張先でのこと。彼は当時学術書の韓国への輸入ビジネスを手掛けていました。その後、忘れた頃に電話がかかってきて、今東京にいるかと聞いてきます。そして時間が合えば一緒に飲みにいき、楽しい時間を過ごします。あるときなど、いきなり電話がかかってきたので、どこにいるんだいと聞くと、大阪だよと答えます。たまたま私も大阪にいたので、ホテルのバーで再会したこともありました。
 彼は、ニューヨークの郊外とソウルに拠点をもって、今でも書籍のビジネスに携わっています。
 
 「僕がなぜアメリカ国籍をとったかって。当たり前さ、兵役などに就きたくないし。そもそも、やれ韓国だのアメリカだの、あるいは日本だのという政治を信じていない。だから、こうしてアメリカ人になっている韓国人はとても居心地がいいんだよ」と話してくれたことがありました。
 
 そしてもう一人のキムは、釜山の出身です。
 彼は徴兵のときに目の病気があって、今でいう社会服務要員となりました。それはそれでよかったのですが、彼も国歌斉唱などがあまり好きではなく、その時がくると口パクで対応していたといいます。
 
 そんな彼は、朝鮮戦争のときの離散家族の孫で、祖父は北朝鮮に残留してしまいました。最近父親が他界したので、おそらく祖父はすでにいないのではと思われますが、消息はわかりません。父親は一人っ子のキムに子どもがいないことを嘆いていたと、妻のイさんが話してくれたことを覚えています。北朝鮮から自分の父親と別れてやってきたキムの父親は、きっと心から孫の顔を見たかったのでしょう。
 釜山にはそんな北朝鮮にルーツを持つ人が多く住んでいます。元大統領の文在寅(ムン・ジェイン)氏もその一人で、南北の分断には強い思いがあったといわれています。
 
 さて、アメリカのキムの家は、韓国の南西の角にある木浦(モッポ)市がそのルーツです。ソウルには木浦から移住してきた人々が暮らす一角があり、彼の両親はそこで木浦風の海鮮料理のレストランを経営していました。
 韓国はソウルと釜山とを結ぶ線が経済の中心で、釜山からみると西の端にある木浦は、経済の面でも中央政界や経済界との人脈の面でも取り残された港町です。それでも、日本統治時代は日本の進出拠点として繁栄していた時期もありました。
 
 今、彼は一年の多くをソウルで過ごし、韓国や日本について記された海外の資料を収集しては、それを図書館などに販売するユニークな仕事をしています。兵役がどうこうと言っていた割には、ソウルで語り合う時には韓国と日本とのさまざまな歴史のことが話題になります。そして、李氏朝鮮の歴史などへの深い造詣をのぞかせます。
 しかし、彼はその一方で、竹島でも独島でもかまわないよと、日本と韓国との領土問題などには冷めた一面ものぞかせます。
 
 釜山出身のキムには、そんな冷めた一面はありません。
 お酒とタバコが好きで寡黙な彼は、韓国の政治に強い意識を持っています。韓国からの知人が東京に来れば靖国神社に連れていき、日韓関係の複雑な過去のあらましについて案内していたようです。文在寅氏が大統領に就任したときは、これでやっと韓国も民主化されると酔った勢いで語っていたことを覚えています。
 
 そんなキムは、韓国の出版社に勤務していた頃、社長と社員の待遇をめぐって喧嘩をし、辞表を叩きつけたのです。その社長は、韓国の民主化運動の第一世代を生き、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領が軍事独裁体制の中で経済発展を目指していた70年代には、思想犯として投獄された経験もあります。
 しかし、キムは普段は極めておとなしく、悪くいえば存在感すら感じられないこともあるほどです。再就職に困った末に東京に来て、韓国の出版社からの仕事をフリーランスで受けながら、韓国内で働く妻とは別々の生活をしながら日本語を勉強していました。そして時々妻が東京を訪ねてくると、一緒に日本の地方を旅したりしていたものです。
 
 アメリカ国籍のキムと、韓国籍のキム。その二人はどちらも韓国人という強い意識を持ちながらも、韓国社会にあらがい、一人はアメリカ、もう一人は東京を生活の基盤としていたのです。
 

二人の友人から教えられる韓国の素顔

 そんな二人が共に韓国に拠点を移し、アメリカのキムはソウルで、そして釜山出身のキムは、大学で教鞭をとる妻のいる地方都市に戻ろうとしています。
 イ・ジホ氏のアメリカ国籍離脱と兵役で韓国に帰国するというニュースが飛び込んできたとき、この二人の友人の顔を同時に思い浮かべたのです。
 
 同様の韓国人はアメリカにも、日本にも多くいるはずです。
 祖国とその歴史、そしてその波濤を受けながらもやはり韓国人であるというルーツをのぞかせる彼らが、私が韓国を訪ねたときに連れていってくれる韓国料理店では、日本にはない本場の味を楽しめます。時間が合えば出会って乾杯する二人との関係は、すでに15年以上です。
 彼らから教えられる韓国の素顔こそが、私の韓国への知識の源泉となっていきます。
 

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意外と知らない韓国のあれこれがQ&A形式で楽しく学べる一冊! 韓国に対する関心が高まる中、韓国語を学ぶ学習者も年々増加しています。本書は、韓国をもっと知りたい学習者が、韓国語を学びながら、できるだけ多様な情報と観点を得ることを目的に作成しました。韓国人の著者自身が直接日本人から受けた質問や、日本人が韓国を理解するために必要だと思われる質問を厳選。韓国に関する基本情報をはじめ、文化・歴史・政治・経済・社会など、さまざまな角度から「韓国」について知ることができます。地理的に最も近い国である日本と韓国には、お互いに理解し難い特有の文化があります。ある一面だけではなく、多様な側面を知ることで、より深い交流の手助けとなる一冊です。

 

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