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接種券と共通テストの向こうにある日本の課題とは

Ask not what your country can do for you ―― ask what you can do for your country.

(国が何をしてくれるかを求めるのではなく、〔国民である〕あなたが国のために何ができるかを問いかけるのだ)
― ジョン・F・ケネディの大統領就任演説 より

完璧な準備を求めて手続きが遅滞する日本の行政

 オミクロン株の急拡大で社会が揺れるなか、ブースター接種の前倒しが議論されています。しかし、接種手続きや行政の準備と連携をめぐって迅速で柔軟な対応ができない状況が、またしても社会問題になっています。
 2回目の接種以降の時間の経過で、体内の免疫が低下しているとされながらも、前倒し接種が思うように進まないのです。コロナ禍での接種をめぐる遅れという状況は、一年前とそう変わってはいないようです。この問題を考えるとき、日本人の多くがごく当たり前だと思っている常識を考え直す必要があるように思えます。
 
 それは、常に政府や官を上に置いて物事を考える習慣です。
 そもそも、ワクチン接種において接種券の配布と、行政によるここまでの管理は必要なのでしょうか。法的な詳細な縛りはひとまず置いて、次のように考えてみてはどうでしょうか。
 
 政府がワクチンを輸入した後、経済的、心身的理由などでかかりつけの医療サービスを受けていない国民の接種枠として、一定分のワクチンをまず国が地方自治体に配ります。それを市町村が保管し、自治体等での集団接種用に運用します。同時に、全国に点在するクリニックを含む医療機関から、そこに通院歴のある人の数を報告してもらい、その数に従ってワクチンを医療機関に配布します。個人の接種回数はそれぞれの医療機関のカルテで管理し、ワクチンの接種証明を発行するようにしてはどうでしょう。インフルエンザの予防接種と同じ発想ではどうしていけないのでしょうか。
 
 接種券の準備と集団接種のシステム構築のためにやたら時間がかかり、結局ブースター接種が完了した頃には経口薬などが一般に普及するようになったとしたら、それこそ税金と時間の浪費になります。国がここまで管理しなければならない意味が見えてこないのです。
 
 シアトルで最初の接種が行われ始めたときに、配送用のトラックが故障する事故が起こったことがありました。そのままではワクチンが無駄になってしまうということで、事故で立ち往生したところの街が即座に判断し、その場ですぐに特設会場を設置し、早い者勝ちの接種を行いました。もちろん、1回目の接種証明も発行してくれたということです。
 準備万端、完璧に用意をして詳細な動線まで確認してからでなければ動き出さない日本とは対照的に、まず動きながら、その場で課題があればそこで判断し調整をするという臨機応変な対応を象徴した出来事といえそうです。
 「アメリカには接種券なんてないし、気軽に街のドラッグストアに行けば接種が可能だよ。問題は、マスクをせず、接種も拒否する人が多すぎることだけど」
 シアトルの友人のこのコメントは、アメリカの置かれているなんとも言えない皮肉な状況をあらわにしているようではありますが。
 

「権限移譲」を弱めて上意下達を根付かせる日本の教育

 話を戻しましょう。
 接種をめぐる制度の違いの背景にあるものは、責任と権限を現場に移譲するか、中央がそれを保有してコントロールするか、という発想の違いです。日本の社会は暗黙のうちに、社会の課題は政府や行政機関が責任と権限を担うべきだという意識を共有しているのです。ですから、政府や官が上で、民間や市民はそれを見上げ、うまくいかなければ批判はするものの、結局のところ、政府が下す指令に従うことをよしとする習慣が根付いているように思われます。
 
 「権限移譲」という意識が極めて希薄で、物事を上下のラインでしか見ることができないことが、日本の組織を硬直させ、時には脆くしています。変化が早く、スピードが求められる現代であればなおさら、現場の判断でもっと物事が柔軟に運用できるような仕組みが求められているわけです。
 実は、日本企業の海外拠点で現地の優秀な社員の定着率が悪い現象がよく話題になっています。その原因も、常に組織のピラミッドの上まで決裁を求めなければならず、そこには日本人の管理職しかいないことが原因であると言われています。ワクチン接種の管理と運用の実態は、そんな日本社会の仕組みの弱さを象徴しているように思えてなりません。
 
 最近、もう一つそれを象徴するような事件が起こりました。
 それは、大学入学共通テストの会場となった東京大学の前で、17歳の高校生が成績の不振に絶望して人に斬りつけ、3人に重軽傷を負わせた事件です。マスコミや世論は犯人の身勝手な行為を批判し、受験が滞りなく実施されるための安全管理などについて論じていました。
 しかし、共通テストという国が教育を管理し、その教育方針に従わない限り、負け組とされるような制度のあり方が生んだ悲劇として、この事件をとらえた報道はほとんどありませんでした。
 
 共通テストはコロナのワクチン接種券と同じで、国民を等しく同じ方針で統率しようとする政策に他なりません。国民の多くは共通テストをゴールにする教育方針を疑うこともなく、国に盲従してそのゴールを目指すよう子供を育てます。結果として個性を殺し、様々な見方や正解があるはずの世のなかの事象に目をつむり、同じ問題の解き方とたった一つの正解を学ばなければ、受験には勝てない社会がつくり上げられました。
 それは共通テストに限らず、大学入試全体に言える傾向です。そこから脱落したとき、人生そのものがおしまいになると勘違いさせる教育の歪みが、今回の悲劇を生み出したのではないかと思えるのです。
 

「同調圧力」のベルトコンベアはどこへ行くのか

 最近、「同調圧力」という言葉が流行しました。この同調圧力は、教育現場では単なる圧力を超えた同調統制とも言える制度となって、国民をベルトコンベアに載せています。
 民主主義国家とは言いながら、権力による暴力や権利侵害はないものの、国が作り出したこのベルトコンベアは、絶大な拘束力をもって国民を縛っています。制度に乗った勝ち組がその権益を維持するために、そのベルトコンベアのあり方を見直すことなく、メンテナンスだけに注力しています。国民がえさを求める魚のように、上を向いて口をパクパクさせている状況が、官にとっては最も都合よく社会を統率できるのです。
 
 一人ひとりが主権者として個性を大切にし、常識を疑いながら物事を考えて進化させることができない限り、それが日本という国の競争力の低下にもつながってゆきそうに思えるのです。
 

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『新・日本の論点』ジェームス・M・バーダマン (著)、イヴォンヌ・チャング (訳)新・日本の論点
ジェームス・M・バーダマン (著)、イヴォンヌ・チャング (訳)
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