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目を背けてはならない、人間の尊厳という課題

Alabama plans second execution of Kenny Smith by experimental method.

(アラバマ州で実験的な方法でケニー・スミスに二度目の刑が執行されようとしている)
― Equal Justice Initiative より

米国アラバマ州での死刑執行をめぐる議論とは

 アメリカ南部のアラバマ州で、今大きな問題になっていることがあります。
 それは、ケニー・スミスという死刑囚の死刑執行をめぐる議論です。
 ケニー・スミスは、1988年に、ある男性から彼の妻の殺害を依頼され、実行した容疑がかけられ、保険金殺人の罪で死刑宣告を受けたのです。
 張本人の男性は捜査の段階で自殺をしたのちに、彼が殺人の主犯として訴追されました。陪審員による評議の結果は保釈条件なしの終身刑でしたが、裁判官がそれより重い死刑の宣告をしたのです。これは、アラバマ州の法律による審判でした。
 
 問題は、その後長い年月の後に死刑の執行が決まり、実は彼は2022年の11月に刑場で薬物による執行を受けたのです。ところが、慣れない刑務官が1時間にわたり、彼に薬物の注射をしようと試みたものの失敗に終わり、執行が中止されました。その結果、この刑務官の行為は残酷な拷問にあたるのではという議論となりました。
 その後、さらに彼への処置をどうするかというやり取りの末に、アラバマ州知事は最終的に今年になって刑の再執行を命じたのです。
 
 再執行が1月25日になされると報道されると、一度刑に服した者を改めて殺害することへの批判が巻き起こります。
 加えて、執行の方法が問題となりました。前回の失敗を繰り返さないために、窒素ガスによる処刑という新しい方法が採用されたのです。窒素ガスは呼吸を不可能にすることで、人を死に至らしめることができます。しかし、その過程で相当な苦しみを与えるおそれがあるために、今までアメリカでは窒素ガスによる処刑の前例がないのです。日本でも憲法に残酷な刑を禁止する条項がありますが、アメリカにおいても人体実験ともいえるこのケースへの反論が相次いでいるのです。
 しかし、アラバマ州では予定通り刑の執行をするというスタンスを崩しません。
 

繰り返される死刑の存廃と執行方法への問題提起

 この問題が報道されたとき、多くのマスコミが民主主義国で死刑を採用している国はほとんどないにもかかわらず、こうした野蛮な行為を繰り返しているアメリカはどうなっているのかと評論をする人が相次ぎました。
 もちろん、人を殺したという罪は当然極刑で償うべきだという遺族や関係者のアピールもありました。これと同様の議論は日本でもあったものの、オウム真理教の事件以降、死刑が違憲か合憲かという議論が公に問われることは少なくなり、日本もアメリカの多くの州と同様に、先進国の中で死刑を存置する数少ない国家となってしまったのです。
 
 例えば、ヨーロッパで一つの国家がEUに加盟するには、その国での死刑制度の廃止が求められます。イギリスはEUを脱退しましたが、今でも死刑の廃止を続けています。イギリス国内において外国で重罪を犯した被疑者が逮捕されたときに、相手国に死刑制度がある場合は身柄の引き渡しを慎重にする制度もあるほどです。こうした常識からみた場合、アラバマ州での今回の措置はあまりにも野蛮なのではないかというのが専門家の意見です。
 
 「今回は、単に死刑が残酷な刑であるかどうかという点以上に、その執行方法が人権を無視しているといえるのです」と、ニューヨーク大学の法学部の教授は指摘します。
 たとえ死刑囚であっても、人間の尊厳を奪ってはいけないというのが教授の見解です。刑の執行は拷問ではなく、不要な苦痛を与えるものであってはならないのです。
 実はこの議論は、以前にアメリカの多くの州で執行の方法が薬殺に移行する理由となりました。もちろん、死刑制度そのものを廃止した州も増えたのです。しかし、さらに薬殺が受刑者に本当に苦痛を与えていないのかという議論も、専門家の間で最近なされています。またこの指摘を受けて、被害者の家族などが、その議論自体が被害者の苦しみへの無理解だという強い反発に繋がっていることも事実です。
 
 今回、ケニー・スミスのケースが広く報道されたとき、改めて日本でも死刑を存置するか否かという課題への議論が薄れていることに気づきました。
 被害者の家族の苦しみと怒りは当然でしょう。しかし、そのことと法的な側面からの刑のあり方への議論とは、分けて考える必要がありそうです。
 ある人は、「罪を憎んで人を憎まず」という原則を主張します。社会と犯罪との因果関係や家庭環境や医学、さらには心理学的な要因により、人が罪を犯してしまうケースもあると主張する専門家も多くいます。医学的に犯罪者と認定する方法も、時代と共に進化しているわけです。精神障害だけではなく、脳の解析の進歩によって、人が罪を犯す過程への分析も時代と共に変化してきています。
 そうした側面を無視して、その人を殺害することで全てを解決してしまうことへの問題提起は、すでに何十年も繰り返されているわけです。
 

人を裁くことの意味と裁かれる者の人権を考える

 ケニー・スミスのケースで指摘されている人権という概念への取り組みも大切です。
 人を裁くのは市民ではなく、法律であるという意識を捨てると、中世の敵討ちをただ死刑が代行するべきだという愚かな議論へと変化してしまいます。それは法治国家という概念への脅威にもなるでしょう。
 ですから、感情論だけで死刑制度を考えることだけは、慎重であるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
 
 実は、オウム真理教の起こした地下鉄サリン事件で死刑の宣告を受けた受刑者たちへの刑の執行が行われる直前に、東京の外国人記者クラブの記者たちが連名でそれに反対する書簡を提出したことはあまり報道されませんでした。しかし、海外の目は明らかにその執行には批判的だったのです。繰り返しますが、それは被害者の苦痛への理解という点を考えたうえでの抗議でした。
 
 アメリカの場合、州によって法律が異なるため、例えばニューヨーク州では死刑は廃止されていても、アラバマ州では今回のようなケースが起きてしまいます。執行は日本では法務大臣が決裁しますが、アメリカでは州知事が最終的な判断を行います。
 
 あと数日で一人の受刑者が、今まで誰も経験したことのない方法で死を迎えることになる事実に、疑問を抱くアメリカ人と、それが正義だと主張するアメリカ人とで、世論が二つに分かれているのです。
 そのような議論が日本でも必要だと改めて考えさせる事案だといえましょう。
 

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