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サンフランシスコが蘇るとき、アメリカも

I left my heart in San Francisco. High on a hill, it calls to me. To be where little cable cars climb halfway to the stars.

(私の心は今もサンフランシスコに、思い出す高い丘。そこを星に向かって登ってゆく小さなケーブルカー)
― 『思い出のサンフランシスコ』 より

リベラルな街・サンフランシスコの疲弊と荒廃

 最近サンフランシスコの治安が悪化し、街が荒廃していることが話題になっています。この話題を掘り下げると見えてくるのが、今年のアメリカ大統領選挙をめぐる課題といえます。
 
 サンフランシスコは、全米でも最もリベラルな街だといわれています。つまり、そこは民主党の支持母体であるカリフォルニア州の中でも最も民主党支持者の多い都市で、現職の副大統領カマラ・ハリス氏の地盤であることでも知られています。そんなサンフランシスコが今、瀕死の重病にさいなまれているのです。
 
 遠因はコロナにありました。2020年にコロナによる死者が急増すると、多くの企業がリモートワークを推奨しました。リモートワークという新しいライフスタイルを最も好んだのが、こうしたリベラル層だったのです。
 サンフランシスコの企業がこぞってこの新しいライフスタイルを推奨したことで、多くの人が街を離れたのです。その結果オフィスが空になり、企業の移転も多数発生しました。空きビルが増え、企業収入からくる税収にまで影響が出始めます。
 
 在宅勤務を好む人は、オンラインで衣食住をまかないがちです。そうなると、街の活気の原点ともいわれる小売業が疲弊します。ここで問題となったのが、閑散とした街にはびこる犯罪でした。
 これはサンフランシスコ、さらにはカリフォルニアならではともいえるリベラルな法制度からくる皮肉な結果でした。サンフランシスコはアメリカの中でも最も犯罪者の人権が守られている街で、例えば、多くの窃盗行為が軽犯罪の部類に入るため、街の疲弊に拍車をかけるように治安がみるみる悪化していったのです。
 
 こうなると観光にまで深刻な影響が出てきます。小売業が疲弊したため、百貨店や観光都市サンフランシスコの顔ともいえるギフトショップやレストランの営業にまで暗い影がさし始めます。冒頭に紹介した歌詞でも語られているケーブルカーに乗る人も減り、街の顔ともいえる港湾近くのフィッシャーマンズ・ワーフなども大打撃で、人影もまばらという有様に変容してしまったのです。
 そして、昨年にはついにノードストロームといった大型百貨店なども閉店を決め、サンフランシスコを見限ります。この変化はまさにコロナが蔓延してから現在までのたった三年間での出来事なのです。
 最近サンフランシスコを訪ねた日本人の知人は、Facebookでその変化の凄まじさにショックを受けたと報告していました。特に、ユニオンスクエア周辺などの中心部の廃れ様が、若い頃サンフランシスコに住んでいた彼にとっては悲しい出来事だったのです。
 

アメリカの分断を進行させる大統領選挙の論点

 そして、この疲弊の背景こそが、今アメリカを二分している社会の分断、さらには大統領選挙に向けた論点と無関係ではないのです。
 この問題もコロナの流行時に遡れます。
 コロナが流行った頃、アメリカではマスクを着用するか否かで世論が二分されました。科学的なアプローチを支持するリベラル層は当然マスク派となり、その延長にリモート勤務の推奨がありました。
 対して、個人の行動への干渉だとしてマスク着用の義務化を拒んだのが保守派の人々だったのです。当時大統領だったトランプ氏は、こうした保守層に強い支持母体があったために、コロナの蔓延を防ぐために行政が介入することを嫌いました。これがマスク着用の是非という、ある意味でリベラルと保守とを分断させる象徴的な論点となったのです。
 
 さらに、トランプ政権は移民の流入にも「待った」をかけ、アメリカの経済はアメリカ人のものだという姿勢を鮮明にすることで、支持を引きつけました。この延長には、犯罪の温床となっていた地域に多く居住する「持たざる移民」への嫌悪がありました。人種差別はアメリカ人が建前として最も忌避する行為ですが、移民排斥を唱える人々の心の中にはメキシコ系移民などへの偏見が隠れていたことは誰もが知る事実でしょう。
 
 トランプ氏が大統領選で落選すると、保守層の支持基盤に支えられている州などでは、アメリカに潜り込んでくる移民を勾留したあと、民主党の地盤となる街に移送して、そこであえて彼らを解放するといった極端な政策をとる自治体すら現れます。ですから、分断の進むアメリカの中で、保守系の人々から見れば、民主党の政策に押されて多様な移民を受け入れていたサンフランシスコの疲弊は、当然の報いと映るのです。
 

「思い出のサンフランシスコ」よ、もう一度

 サンフランシスコの高台にあるフェアモントホテルの前に両手を広げて歌うトニー・ベネットの銅像があります。
 1962年に彼が歌って大ヒットしたのが『思い出のサンフランシスコ』という名曲です。まさに古き良き時代の名曲として知られています。それから59年。彼がアルツハイマーに苦しんでいる最中の2021年に、レディー・ガガとのコラボで奇跡の、そして最後のコンサートが開かれました。その2年後にトニー・ベネットは96年の人生を全うしたのです。皮肉にもその頃、サンフランシスコは苦境のどん底に落ちていったのでした。
 
 トニー・ベネットによって『思い出のサンフランシスコ』が大ヒットした頃、世界はビートルズの波に席巻されていました。しかし、オールドファッションともいえるこの曲は、あえていうならば当時の戦後世代とは違う古き良き時代を思い出させる曲として、新時代へのアンチテーゼとして支持されたのではないかと思ってしまいます。
 
 サンフランシスコの疲弊が、アメリカの分断を象徴する事件であるとすれば、現代のこうしたトレンドを乗り越えるアンチテーゼが欲しいものです。
 トニー・ベネットの笑顔が過去のものとなるにつれ、サンフランシスコが忘れ去られる時、アメリカの持つ多様な美しさそのものが色褪せてしまうように思えるのが、今年の大統領選挙の実像ではないかと思う人も多いのではないでしょうか。
 

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アンドリュー・ロビンス (著)、岡本茂紀 (編・訳)
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