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ロシア人の世界観からみるウクライナ問題とは

Ukraine was not a country. It was the region where Russian and Polish have been sharing the land for centuries.

(ウクライナは国家ではなく、長年にわたってポーランド人とロシア人が土地を共有してきた地域のことさ)
― あるロシアの知識人の言葉 より

ロシアの起源をさかのぼればキーウに行き着く

 ウクライナにロシアが侵攻して2年以上が経過しました。
 世界の多くの国はロシアの一方的な侵攻に対して猛反発し、結果としてロシアの国際社会からの孤立が進んでいます。
 そんな国際情勢のなかで、日本に住むロシア人の多くも複雑な思いを抱きながら戦争の成り行きを見守っています。その一人と、まさに2年ぶりに食事をすることができました。
 
 ロシアは旧ソ連時代にソ連の傘下であった国々と連携したり、さらには中国など西側諸国と対立する国々との関係を強化したりしながら、ウクライナへの侵攻を有利に進めようと懸命です。そこで、元はソ連を形成していた共和国の一つであったカザフスタンでのウラン関連のビジネスとも深く関わるその友人に、ロシア人が考えるウクライナ侵攻について尋ねてみました。
 彼は、開口一番、ウクライナのすべてが反ロシアではないことを強調します。その中で出てきた「ルーシ」という言葉が印象的でした。
 
 ルーシとは、ロシアの大元となった民族を示す言葉です。
 スカンジナビア半島などから入ってきたノルマン系と、北方アジア系の人々とが入り交じって形成されたルーシの人々は、9世紀に今のウクライナの首都キーウ(キエフ)にその拠点をおき、キエフ大公国という国家を築きました。この王国が今のロシアの原点となった国なのです。そして、キエフ大公国は一時ヨーロッパ、ロシア一帯を領土におさめ、東ローマ帝国とも同盟をして、いわゆるローマ・カトリックと対抗する正教会の守護神ともなったのです。
 
 しかし、この大国はその後モンゴル帝国によって滅ぼされ、ロシアは長い間モンゴル系の人々に支配されます。この状況をロシア人は異国人によって支配されていることを意味する「タタールのくびき」と呼んでいました。
 そんな「タタールのくびき」を拭い去ったのが、13世紀にモスクワにおこったモスクワ大公国だったのです。以来、ロシアの中心はモスクワに移ってゆきました。
 私の知人はこの過去の経緯が今のウクライナ情勢の背景にあると強調します。つまり、ロシアはウクライナの首都キーウにその起源がある国なのです。
 

ウクライナの西にあるポーランドとロシアとの確執

 とはいえ、ウクライナ情勢は複雑です。ウクライナはこのようにロシアと切っても切れない関係にあった一方で、その西側は常にポーランドの影響下にあったのです。
 ポーランドは、スラブ系の人々によって建国され、11世紀以来ウクライナ一帯を支配してきました。その後、ポーランドが国家の盛衰を繰り返す過程で、常にウクライナにはポーランド人が居住し、間接直接の支配を繰り返してきたのです。ポーランド人はローマ・カトリックに帰依し、西ヨーロッパとの連携を深めた国家です。そこにルーシを起源とするロシアとポーランドとの確執の原点があったのです。そして、その確執を象徴する場所こそがウクライナと呼ばれる地域だったのです。
 
 1945年に第二次世界大戦の趨勢がほぼ決まったときに、ヤルタ会談でスターリンのもと、ウクライナは完全にソ連の一部となり、ポーランドは西へと押しやられて今の国境が決定しました。私の知人は、このウクライナに残ったポーランド系の人々こそが反ロシアをスローガンとする人々なのだと強調します。親ロシア派という人々がウクライナの東に多く居住していたのは、そうした過去の背景があったわけです。
 ポーランドは、19世紀になって衰微し、逆にロシア帝国が大国としてポーランドを圧迫します。ポーランドの人々はそんなロシアを東から自らの文明、つまり西欧の文明を破壊する侵入者と捉えてきました。ロシア人にとっての「タタールのくびき」と同様の状態が近代のポーランドを見舞ったのです。
 ですから、第二次世界大戦の後、ポーランドが東ヨーロッパに編入された後も、ポーランド人は常にソ連に対して好感をもたず、ソ連が崩壊した後はいち早く西側諸国の一員となったのです。それはローマ・カトリックを信仰するポーランド人にとっては当然の帰結でした。
 
 私の友人は、これがウクライナをめぐるロシアの立場を明確にする理由なのだと強調します。この話を聞いて思ったことは、イスラエルとパレスチナをめぐる宗教や過去からの確執の根深さと似たような状況が、ウクライナ問題の背景にもあるということでした。
 
 人間の意識は文化によって異なるといわれます。その中で特に強調したいのが、アメリカのような移民社会に根ざす文化と、ロシアやアジアの国々のように、大陸のさまざまな民族の影響にさらされてきた人々との文化観の違いです。前者の人々は、現在と未来が過去よりも大きな比重をもって行動をおこすモチベーションとなります。しかし、後者の人々の心の中は過去への意識と執着が前者の人々に比べはるかに強いのです。
 
 私のロシア人の知人がルーシの時代にさかのぼってウクライナのことを語る様子をみたとき、同じ大陸国家の確執の中で迫害を受けたユダヤ人がイスラエルに逃れ、国家を建設したり、その国家の建設の過程で家や財産を失ったパレスチナがいたりしたことと、いかに状況が似ているかを思い知らされます。過去に比重をおく人々の対立を緩和することがいかに困難かということがわかってきます。
 

さまざまな民族が行き交う大陸国家が抱える国際問題

「ウクライナという国家はそもそもなかったんです。そこはロシアとポーランドが分かち合っていた大地で、ソ連時代に作られた国家なのです」
 
 友人のコメントは確かに事実に基づいています。以前、ロシアが本当に敵視しているのはウクライナではなく、ポーランドなのだといっていた専門家のことも思い出されます。
 しかし、だからといって、今ある国家に侵攻して、そこに住む人々の生活を破壊していいのかという疑問を拭うことはもちろんできません。過去にこだわるあまり、現実におきている悲劇を正当化してしまうことが、国家間の戦争では頻繁にあるからです。
 
 とはいえ、この話を聞くときに、ロシアがウクライナのドニエプル川の東側の占拠にこだわっている理由がみえてきます。そこは20世紀の初頭まで、ロシア帝国がポーランドとの交渉によって支配していた地域だったからです。
 ドニエプル川の東側にあって、ロシア帝国の軍事力としても重用された有名なコサックという騎士団が、元々ロシア人とモンゴル系の人々の双方にその出自があり、今のウクライナで活動していたことからも、この地域のもつ複雑な民族模様がみえてきます。
 
 ウクライナ問題、そして中東問題を語るとき、今起きていることを横軸として、長い歴史の中でユーラシア大陸を行き来した民族模様を縦軸としてみてゆけば、島国で生活する我々日本人には見えてこない、もう一つの国際問題の有り様がみえてくるのです。
 

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『日英対訳 世界の歴史[増補改訂版]』山久瀬 洋二 (著)、ジェームス・M・バーダマン (訳)日英対訳 世界の歴史[増補改訂版]
山久瀬 洋二 (著)、ジェームス・M・バーダマン (訳)
これまでの人類の歴史は、そこに起きる様々な事象がお互いに影響し合いながら、現代に至っています。そのことを深く認識できるように、本書は先史から現代までの時代・地域を横断しながら、歴史の出来事を立体的に捉えることが出来るよう工夫されています。世界が混迷する今こそ、しっかり理解しておきたい人類の歴史を、日英対訳の大ボリュームで綴ります。

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